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感性が消え去った景色の中で

 人は誰しも、強弱の違いはあれど個人的な執着を示すものが1つか2つあるように思う。そして一度固執してしまうと、その場所からどうにも逃げられなくなる。それは時に人生を豊かにもするし、一方で奈落の底に追いやる可能性も示唆している。

*

 先日、平山瑞穂さんの『遠い夏、僕らは見ていた』という本を読了した。読んで感じたのは、人はひとつのことに執着すると視野が途端に狭くなるということ。自分の世界を広げてくれるものはこの世にいくらでもあるというのに、ひとつの考えに縛られ、どんな些細な綻びを見ても一切のディテールを気にしなくなる。

■ あらすじ

十五年前の夏のキャンプに参加した二十七歳の五人がキャンプ主催者の遺言執行人に集められた。当時ある行為をした者に遺産三十一億円を贈ると告げられる。行為の内容は伏せられたまま、五人にはキャンプの詳細を思い出すことが課せられた。莫大な金への欲に翻弄されながら、各々が遠い夏の日を手繰り寄せる……。

本作品のメインとなる登場人物は、5人。
●江見今日子 … 
遺産の話に興味なし。優等生然とした態度を貫く。
●疋田利幸  … 
遺産の話に興味なし。それでも周囲の圧力に屈し、
他の人たちの記憶をもとに当時のことをまとめる。
●大貫智沙  … 
自分の容姿にコンプレックスを抱いている。
しばらくアイドルをやっていたが、落ち目に。
お金を貰って一発逆転を狙う。
●鷲尾樹   … 
不良上がりでうだつの上がらない中年男。
金を手にして、窮乏した生活から逃れようと画策。
●金谷和彦  … 
工場に勤務した結果、体を壊す。
苦しい生活に身を置くも、遺産獲得には消極的。
●相生真琴  … 
今回の遺産騒動における、弁護士。

■ お金への執着

 特に一般論的は話で執着する方向として多いのは、お金という気がする。

 お金は目的ではなくあくまで手段だというのに、お金を集めることを人生の第一義と考える人がいる。もちろんお金は大切だという考えに対して、否定するつもりは毛頭ない。私自身、いっときお金に困窮した時があって、どうしたらこの苦しい現状を抜け出せるだろうとお金のことが片時も頭の中から離れなくなってしまったことがある。

 その後、周りの助けもあってなんとか生活することができるようになったが、今考えてみるとあの時の自分は醜かった。お金は、人の生活を豊かにすることもあるが、一方で心の余裕を奪う。

 心の余裕を奪われた人間はどうなるか。この世界には心を震わせる小さな粒が至る所に転がっているのに、それを感じ取る感性が奪われてしまう。

 本作で登場した大貫智沙と鷲尾樹はまさにその典型だった。彼らの行動に同情はできる。だけど一方で、共感はできない。

■ 過去への執着

 人の記憶はひどく曖昧だ。

 自分の過去の栄光を何倍にも膨らませてさも英雄譚として嬉々と述べるものもいるし、一方で過去の見方を誤ることによって自分が本来進むべき方向を間違ってしまう人もいる。

 これもきっと、余裕を無くしてしまった人の末路のような気がする。焦りによって思考が抑止されて、広い視野が失われてしまう。そういった意味で言うと、昔からそれなりに豊かに育った江見今日子の考え方が、ひどくまともに思えてくる。

 逆に金谷和彦のように、極端に人生であまり良い経験をしてこなかった人間は、過去に囚われてより良い未来を想像できず生きる活力を失っていく。

ただ、人は結局、自分自身をはめ込んでいる枷から自由になることができない。(幻冬舎文庫 p.239)

■ 末尾に添えて

 生きる余裕を無くし何かに執着し始めると、次第に心が荒んでいく。

 周りが見えなくなって、他の人に接する時にも自己本位でしか接することができなくなっていく。程度の差はあれ、それでは先ゆく現在にある可能性をつぶしてしまう。思考が麻痺していく。

 心に感性の隙間がなくなったときは、何もない広い場所へと足を向ける。その瞬間、心が空っぽになる。そんな風にして自分の気持ちと向き合わないと、そのまま向かった先が茨の道に片足突っ込むということになるのかな、と本を読了した時にぼんやり考えた。


 自分に掛けられた枷なんて、まやかしの残像でしかないのに。



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