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#70 空についての愛を語る

井の中の蛙、大海を知らず されど空の深さを知る

 ガガン、カンカンカン、カンカンカンカンというけたたましい音によって私の意識はハッと現実へと引き戻される。近くで工事をしていた。前を歩いていた友人が、どうした?という表情で私の顔を覗き込んでくる。その人は、昔からずっと長い付き合いの人なのだけれど、私と同じように年を重ねている割に全く昔と見た目が変わらない。

 私たちの近くをヒラヒラとスカートを翻らせながら女子高生が通り過ぎていった。ちょうど3人いて、彼女たちは何か楽しそうにお互いを指差し合いながら愉快な笑い声を立てている。

 覗き込んできたその顔を私も見返すと、唇の端が少し切れていた。そうだった、肌身離さずリップクリームを持っていて、私の記憶の中にあるその人の姿は、いつもしきりに唇を塗る光景だった。

 胸がちくりと疼く。苦い、口の中が苦い。さっきまでクリームソーダを飲んでいたはずなのに、嫌なざらつきが口の中に残っていた。

「空を見てた」

「空?」

「うん。時々、なぜかわからないけれど何かを失ったかのような、悲しい気持ちになる。虚しさと似ているのかもしれない。自分がいなくなってしまうような。その正体がわからなくて、ぼんやり空見てた」

「ふうん」

 空は周りの色を反映しているだけらからね、うんちくとも取れるような世間一般によく知られている話をしてその人はそのまま私の前を歩いていた。

 反射的に俯いた。海の色を讃えたかのように真っ青な空の色だった。空気は乾燥してカサカサという音が聞こえてくるようだった。カサカサ、カサカサ。私が知らず知らずのうちにポケットに手を突っ込むと、中から主人あるじを無くした飴玉の袋が出てきた。

 小梅ちゃん。季節限定の味が出て商品棚で見つけるたびに、喜びを爆発させたような顔になる。犬がお気に入りの骨を見つけた感じに似ている。その人も犬を飼っていた。犬を飼うと、飼い主に似るというけれど、その逆の現象も起こっているに違いない。

*

 ふとした拍子に、よく知られた諺が頭の中にスッと浮かんだ。

 最近テレワークもだいぶ板についてきて、私に合った働き方というのがわかるようになってきた。自宅で仕事をすることのメリットは、自分の時間を比較的柔軟に使えることだ。掃除や洗い物も、テレワーク前と比べるとかなりやりやすくなった。

 とはいえ、ひたすら家で仕事をして、PC越しに打合せを行うと変な気分になってくる。もしかすると家の中に誰かがいればまた違うのかもしれないのだが、今は一人暮らしなので物理的には私は家の中にひとり、である。「咳をしても一人」、とは言いえて妙だ。しっくりくる。

 とにかく閉鎖的な気持ちになりかけた時には、窓から空を見る。その日によって当然ながら景色が違う。季節によっても、移り替わる。ちなみに冬の今の時期が一番好きかもしれない。空気が透き通っているから、より色が鮮明に映るように見える。

 同時に怖い、とも思ってしまう。思わず自分のことを見透かされるような気持ちになってくるから。悪いことはできないね。自分が本能的に正しくないと思ったことをしていると、胸がドクンドクンと脈を打つ。さらばだ、さらば友よ。環境は人を変えていく。そこに留まるものなんて何一つない。空と雲の関係性は一緒にそこにあるようで、実は別々の道を歩んでいる。

*

 もともと諺の前半は中国の思想家である荘子によって作られた言葉であったが、後半の箇所については日本へ伝わる際に付け足された可能性が高いらしい。その土地土地によって物語があって、他の人が作ったものに対して知らないままに肉付けがされていく。

 少し前に友人と交わした言葉の光景が急に思い出されてきた。その人とは、一時期かなり頻繁に会っていたにも関わらず、いつの間にか疎遠になってしまった。その人は結婚をして、家族を持ったことが起因しているかもしれない。

 空は不思議と、見ていると気分がだんだん落ち着いてくる。日によってその姿形を変えるが、いつでも私がこの場所に佇んでいる意味を教えてくれる。海と同じように、たとえ曇り空であっても。

 季節は巡りゆく。雲が流れるスピードは思いのほか早かった。温かいコーヒーが鼻腔をくすぐる。匂いが一番敏感になる。寒さで手はかじかみ、足はほんの少し痺れて揺れている。その空気の中に包まれていると、自分が少しマシな人間に思えてくる。空は色を映すように、人の感情も映しとってくれるのだろうか。

*

 最後別れ際、その人は言った。

「でも時々思うんだけどさ。空って、ひとつの共通言語みたいなものだと思うんだよね。どんなに言語や生まれた環境が違っても、『空がきれい』なんていうのはその場で共通して持てる言語の形態じゃない?」

 なんだ、この人もきちんと自分の言葉を持っているんだな。そして私はもしかするとこの人のことを人間として好きなのかもしれない。

 何が正しいのか、言葉は伝わらない、人の考え方もそれぞれ、人はときに仮面を被る、世間体は倫理をかたどる、偽善的な優しさはくだらない、欲望は時に自分を見失いそうになる、……外見の美しさはその人を体現するのだろうか。わからないことだらけだった。脈絡も何もない言葉の連なりがつらつらと列を作っている。自分のことはままならない。怠惰で、何もかも打算的な人間はこの世にたくさんいる。誰だって自分が大切だ、

 違う場所で、違う環境で、違う生活を営んでいても、どこかで何かがつながっていればいいという身勝手な感情に揺り動かされている。記憶は薄れていく、確実に、誰かと一緒に夜が明けるまで語ったことも。その時はひどく真剣な思いで話をしたのに、一言一句を覚えていると思ったのに。

 それでも空を見上げるたびに、何かが込み上げてくる気持ちになってくる。不確かな感情を照らし合わせたときに、それを束ねたものが空の色であったらならいい。知らないところで着実に積み重ねられていく。

 それが、確かなかたまりであることを、静かに願っている。


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