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鮭おにぎりと海 #5

 <前回のストーリー>

いつの間にか、季節は夏から秋に変わり金木犀の香りがわたしの鼻腔を刺激するようになった。ひどく高貴な、頭の中がフツフツと揺れ動く匂い。一体この香りはどこからやってくるのだろう。

そういえば昔わたしが好きで見ていた『あたしンち』というアニメの主題歌を歌っていたのも、キンモクセイという音楽バンドだったな。曲名を忘れてしまったけれど、どこか1980年代のフォークソングを思い出させる曲調が割と好きだった。

「みかづき」というバトミントンサークルに、入学早々仲良くなった楓に誘われて、なんとはなしに入会した。その時に、家が近いからという理由で近くの駅まで送ってくれたのがツカハラさんだった。

サークル自体は週に2回ほど活動を行っていた。

サークル活動が終わった後は、まるでそれが義務であるかのように希望者を募り、みんなでアフターと呼ばれるご飯兼飲み会へ行くのが通例だった。最初は穏やかに進んでいた懇親会も、お酒が進むにつれ次第に誰かがコールを叫んでそれに合わせて誰かが飲む、という非生産的な場に変わって行ったのだった。

最初は付き合い、という体で毎回楓と顔を出していたものの、二ヶ月ほど経った頃にはバイトだなんだと理屈をこねてアフターに出ずに、そのまま帰るようになった。すると、それを見計らったようなタイミングでツカハラさんがわたしの家の近くの駅まで送って行ってくれるようになった。

なんとなくその流れで、ある日ツカハラさんに告白された。入学してから初めて迎えた合宿の時である。特に断る理由もなかったので付き合う流れとなった。その時、どこかの木の隙間からひぐらしが申し訳なさそうにか細く鳴いていたのがとても印象的だった。

そうしていざ付き合い始めてみたものの、いざ一緒に遊びに行くようになると、何だかどうしようもない違和感に苛まれるようになった。

ツカハラさんは、わたしの2個上だったのだけれど、わたしが年上の男性に抱く理想そのままに非常に大人な態度でわたしに接してくれた。もともとそんな人柄に好感をもって告白された時もそのまま了解の態度を取ったのだけれど、何だか彼とは価値観が違うのだということをデートを重ねるごとに思い知るのだった。

いつだってきっかけは些細なことである。

彼はどちらかというと、流行りのものにすぐ飛びつくタイプだった。流行の電子機器、流行の服装、流行の本や漫画。デートの時も、大抵テレビで話題になっていた場所ばかりに行くことが多かった。新しく買い足されたものは鈍い光を放っていて、わたしにはその光があまりにも眩しすぎた。それと、わざわざみんながこぞっていくような場所に興味を覚えることができなかったのだ。

最初は彼の趣味になんとか合わせようと努力をしてみたものの、次第に自分がそうやって人に無理に合わせようとすること自体が負担になっていった。そうした慣れない振る舞いのせいなのか、気づいたら口の中が口内炎だらけになった。これはしんどいと思うようになり、付き合って三ヶ月ほどしてわたしから別れを切り出した。最初ツカハラさんはなんとか束の間の抵抗を試みたものの、それでもわたしの決心は堅いとみるや否や、最後はとてもあっけないものだった。

終わってみると、彼にはとても悪いことをしてしまった、という思いが募った。それでも後悔という文字は全く浮かんでこなかった。

キンモクセイ の香りが薫る季節、なぜだかご飯の匂いも一緒にどこからか漂ってくる。その匂いを嗅ぐと、お腹がぐうとなる。そうか、だから食欲の秋というのかなあと頭の中でぼんやりと考える。『あたしンち』で流れていた曲を記憶を辿って口ずさんで見る。何だか、とても早く家に帰りたくなる歌だ。

そして、同時にキンモクセイの香りを嗅ぐと、どうしようもなくわたしは海が恋しくなる。まだ見ぬ遥か遠い国でも、同じようにこんな高貴な匂いがどこからともなくふわふわと浮かび上がってくるのだろうか。


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