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聲をかたちにして。

先日、金曜ロードショーで「聲の形」という映画がやっていた。わたしが高校生くらいの時だっただろうか、少年マガジンで連載していた漫画。その頃コンビニで時間がある時立ち読みしていたので、断片的には読んだ覚えがある。今回改めて、映画で見てその時の読んだ断片的な記憶が一つにようやくつながった。

だいぶ映画では漫画でやっていた内容を端折ってはいるものの、見終わった時にアニメーションでしかできないと思われるような表現の幅が印象的だった。

この映画のあらすじは、生まれつき耳の聞こえない西宮硝子という少女と石田将也という青年の交流を描いた作品。というと、どうも聞こえは良いが小学校時代は、将也が耳の聞こえない硝子をいじめていて、結果反動的に将也はクラスからはじかれてしまう。そして将也は、硝子に対してどうしようもない罪悪感を持って生きることになるのである。

テーマ的には、かなり重いと思う。それでも見終わった後、居心地の悪さのようなものは感じない。人との関わりってなんだろうと考えさせられる。

因果応報という言葉にもあるが、将也が硝子をいじめた結果クラスから逆にいじめられる形になってしまったのは、仕方ない部分もある。そして、クラスの中にはいろんな立場の人間がいる。見て見ぬふりをするもの、逃げ出すもの、自分の保身を守ろうとするもの。

小学生から高校生になるくらいまでの年頃って、どうしても善悪の境目が鈍くなっているから、人によっては自分が「いじめている」という認識を持たぬまま誰かのことを傷つけてしまっていることが往々にしてあるような気がする。

そして、歳を重ねていろんな人と関わりを持って、その人の考えを受け入れるたびに自分の過去を振り返ってどうしてあんなことしてしまったんだろう、という思いにかられる。たぶん生きていたらそんなことがたくさんある。

そうした後悔や罪悪感は、生きている限りどこかしらで襲いかかってくることになる。いつも不思議に思うのだけど、どうして楽しかった記憶はどんどんその輪郭がぼやけていくのに、深い後悔の念はいつまでも消えて無くなってくれないのだろう。それはなんだか、砂を誤って口に入れてしまった感覚と似ている気がする。

この映画のすごいな、と思ったところはもちろんストーリー展開や映像の美しさもさることながら、例えば劇中で聞こえてくる音や手話であえてその意味を明かさないなど、細かいところに気が利いている点のような気がする。

ジブリ映画以来久々にアニメーション映画を見て考えさせられた。この余韻は、しばらく続きそうな気がする。

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