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鮭おにぎりと海 #56

<前回のストーリー>

スペインのマドリードの中心地ともいえるプエルタ・デル・ソルという広場に俺はいた。そこで突如として、俺よりも年下と思われる何人かの若者たちが近づいてきた。そして突然、「今、お時間よろしいですか?」と聞いてきた。「何でしょう?」と答えると、

「私たち今大学生で、街中でアンケートをとっているんです。よかったら、このアンケート用紙に答えてもらえませんか。」

と言って、クリップボードに差し込まれた白い紙を渡してきた。ペンはクリップボードに紐で結ばれている。よくわからないが、街頭アンケートのようなものだろうか。記入しようとすると、

「あ、その前に申し訳ないんですが身分証を見せてもらえますか?どんな方か把握しておきたいので。」

その時点でもあまり考えることなく、懐から財布を取り出して中から国際学生証を出した。それから、若者の目の前に掲げる。

「これでいいですかね?」

「あ、確認いたしました。」

国際学生証を財布にしまうかしまわないかのタイミングで、財布を持っている俺の左手の上に被せるようにクリップボードを載せてくる。そしてそのタイミングで、若者たちが俺の周りに集まり始める。どうにも圧迫感がある。

「では、早速記入をお願いします。」

そこでよく内容を確認したところ、クリップボードの下の方から何かを引っ張るような感覚を受ける。慌てて手を動かそうとすると、なんと若者の一人が俺の財布から10ユーロ札を抜き出そうとしているではないか。

慌ててすんでのところで手を引っ込めた。気づかれた瞬間蜘蛛の子を散らすかの如く、若者たちは四方八方に散っていく。財布を見るとユーロ札が1枚、端っこの方が破れていた。結局未遂に終わったわけだが、あと少し気付くのが遅かったら確実にユーロ札を何枚かすられていたに違いない。

あとからユースホステルに戻って部屋にいた人たちに聞いてみると、彼らはジプシーと呼ばれているらしい。どうやら今では差別用語になってしまっているようだが、ジプシーとは移動型民族だそうで集団で普段は行動し、すりなどを庫内ながら生計を立てているそうだ。知らなかった。

朝起きた時に話しかけてきた女の子も部屋にいたので、せっかくなので話しかけてみた。どこかミステリアスな雰囲気を醸し出している女の子だった。名前はクレアというらしい。今日広場であった話をすると、

「だから言わんこっちゃないでしょう。どこの街へ行っても、光と影があるのよ。今日あなたが出会った子達は盗みを悪いことと思っていないの。むしろ、彼らからしたら盗みを行うことは生きる術なの。」

なんだか頭をガツンと叩かれた気がした。シカゴにいた時も思ったけれど、少なくとも俺は今まで恵まれた世界にいて、どちらかというとそこまで生きることに必死な人たちの姿をみてこなかったのかもしれない。

♣︎

その日も変わらず、部屋でどんちゃん騒ぎだ。俺もわりかしみんなで騒ぐのは好きな方なので、そうしたノリに混じるのだがふとした拍子にこのままでいいのかという焦りも生まれてくる。今目の前にある日常だけを見て、そして嫌なことを忘れたふりをして。

相変わらず、リオンは一貫して酒を飲もうとしなかった。クレアにしてみても、決してみんなの輪には入らずベッドでどうやら日記を書いているようだった。

クレアはどうやら他の男の興味を惹くようなタイプらしい。どんちゃん騒ぎをしているうちの一人、アレンという眼鏡をかけたどこかオタク気質な雰囲気の男が果敢にクレアに話し掛ける。ところが、彼女は意に介せずと言った感じで全く相手にしていないような雰囲気だった。

結局日によってメンバーは入れ替わるものの、その部屋にいた奴らとはその後も昼ごはんや夕飯を一緒に食べに出かけたりした。今思うとあれはあれで貴重な時間だった。少なくともリオンとクレアは、タイプは違えどすごく印象に残っている。決して自分の軸がぶれない。俺もそんな人間になりたかったのかもしれない。

スペインにはだいたい1週間程度滞在した。その後向かった先は、芸術の都・フランスのパリである。

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