#79 手紙についての愛を語る
私が確か中学生くらいの頃、HYの「てがみ」という曲が大流行した。今でもお気に入りの曲のひとつで、友人たちとカラオケに行く時にはここぞとばかりに熱唱している。不思議と青春時代に流行った音楽というのは、妙な余韻を伴って頭の中でカセットのテープが回るかのようにカラカラと音を立てて流れ、決して色褪せることがない。
思えば過去に人からいくつか手紙をもらったことがあって、それは恋人からもらったものもあるし、後輩からもらったものもあるし、見知らぬ土地で出会った人たちのものが混在していて、どうしてもそうした人たちからもらったものは、もう交流がなくなってしまった人であったとしても、手元から捨て去ることができない。記憶がはっきりと温もりのある紙とともに大切に蓄積されている。
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手紙って、最上級の愛の形ではないだろうか。
今どきはたぶん誰かに告白するにも、LINEとかでチャチャッと言うのが主流なのかと思うけど、どうしてもどこか紛い物のように思えてしまう。大人になって、むしろLINEなんかではなくて自然な流れでお付き合いが始まるケースもあるが、やっぱり直に告白あるいは手紙で想いを伝える形に憧れがある。手を動かす、そして文字がカリカリと紙面の上に書かれることで感情が見える。
かれこれ30年ほど前に作られた井俊二監督の『Love Letter』という映画。私が物心つく前のものだが、前から気になっていて一昨年くらいにふとサブスクで観た。ストーリーとしてはふとしたきっかけで亡くなった婚約者と同姓同名の女性の元へ送られ、文通が始まるという話で、それが私の中で礫のようにしこりとなって残っている。
本来であれば繋がることのなかった赤の他人にも近い人物と奇妙な言葉のやり取りをする。少しずつ相手とのやりとりによって、主人公の中で恋人を失った出来事が整理されていく。心の喪失を埋めるかのように、見ず知らずの相手の言葉によって、壁を埋めるかのように補修されていく。
学生時代に突然見ず知らずの後輩から手紙をもらったことがあり、いつしかその人と文通をしたことがあった。当時私はスクールバスに乗っていて、通学路が一緒だった。そのあとどれくらい続いたか定かではなく、自然消滅のような形で消えてしまった気がするが、実際に文字でやり取りすることはフワフワした綿菓子のように楽しかった覚えがある。その手紙には、書き手が必死に考えながら書いたのであろうという痕跡が残っていた。ボールペンで整えられた筆跡の下には、消し残したのか鉛筆のうっすらと線が残っている。便箋はいつも違っていて、落ち着いた色調のものからファンシーなものまで。ちょっとした日常の刺激になっていて、どんな便箋をもらえるのか密かな楽しみになっていた。私も、一生懸命、書いた。文字が紙の上にじわりと滲んでいく。その瞬間、なにか生命力を模ったようにも見えた。
やがてその人のやり取りもいつの間にか途絶え、私は大学時代に新しい刺激を求めてバックパッカーとしていくつもの国をフラフラと旅した。その時にちょうど同室になった女の子と、何がきっかけだったか言葉を交わすようになった。彼女の体からは、今まであまり嗅いだことのない甘い香りがして、なんだか不思議な気分になった。なんとなく、彼女とまだ話し足りないことがある気がして、連絡先を聞いた。当時海外の人たちと交流するためのツールとしてはFacebookが主流だった。でも、彼女はFacebookのアカウントを持っていないと言った。代わりと言ってはなんだけど、と前置きする。彼女は自分の手帳のページをペリリと破って、そこにサラサラと文字を書いて、「文通しましょ」と言った。少しハスキーで、落ち着いた声で私は心が静かにたおやかに心音を立てる光景を想像した。
日本に帰ってから、約束した通り彼女との文通は続いた。その当時の手紙は今でも残っていて、それをカサカサと開いてみると、彼女が最近感じた出来事が主に書いてあった。少しスピリチュアル的な内容が多かった。私はその頃世の中のことにとんと無頓着だったので、彼女が私に対して伝えてくれた言葉に対して何を読み取ればいいのかわからなかったけれど、彼女と話した時の何気ない会話が頭の中を掠める。
宇宙は私たちと一緒にいる、とか、風のささやきや森の匂いの素晴らしさなどについて滔々と書いてあった。そして美しい空が描かれた便箋と一緒に、いつも彼女が書いたと思われる写実的でシンプルなイラストや、押し花が入れられていた。彼女が私に何を伝えたかったのか。でも私は、彼女との手紙からほんのり香る彼女の匂いに、心の脈が鳴るのを感じていた。温もり、それは彼女が数々の言葉で綴ってくれたように、自然と一体化するような出来事だったのかもしれない。
彼女との密やかな文通も、ある時を境にパッタリとなくなってしまった(これは理由がはっきりしていて、私が仕事の忙しさにかまけて返信することを怠ってしまった)。今も、彼女とやり取りが続いていたらどうだっただろう。また、私の中にはないいろんなことを教えてくれたように思う。
それから社会人になってできた恋人とも、手紙を交わしたことがあった。一緒に交換日記みたいなものもした。これだけ文明があって手軽に言葉を交わすことができるのに、それでもあえて手記でやり取りすると、やっぱり温い。普段は機械じみた感じで冷たいと思われるやりとりも、たとえば喧嘩した時とか、謝罪と称して手紙を書くと、自分の中の考えとかが整理されるから不思議だと思った。その人とも、一年と経たずして別れてしまった。今でも連なる後悔はあるけれど、手紙で交わしたことは確かに互いの本音を貫いていた。
だから、たとえばこれから旅先で出会う人や恋人に対しては、定期的に手紙を交わしたいなと思っている。大事なことほど人は相手に本音を隠したがるから。自分の手で言葉として書き連ねる行為は、尊い。普段言えないような恥ずかしいことも、曝け出せる気がするから。
これを書いていて、改めて手紙を書きたくなった。コロナの後でしばらく音信が途絶えてしまった友に向けて。私は元気にしているよ、あなたのことを今でも時々思い出すんですと密かな愛の告白も添えて。
故にわたしは真摯に愛を語る
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