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カモミールティーで目を覚ます

潮だまりの輝く砂、月に照らされて漂うボート。(早川書房 p.267)

 途方に暮れるような悲劇から、物語はゆっくり動く。

 私たちの日常においても言えることだが、かくも恋愛というものは、複雑で奇奇怪怪。容易には説明できないものである。

 よく男はどうたら女はどうたらと無闇矢鱈に性別の傾向をもとに分析をしようとする人がいて、それを聞くとなんとなくそうかもなあと思ったりもするけど、結局最近そんなものはなくて一人ひとりの個性に準ずるのだろうと勝手に結論づけている。

 きっと性別がどうという分析は必要なくて、そこには折しも一人の人間としての意思が介在している。ひとつ敢えて世間一般に通用するであろうことを言うのであれば、恋は障害があるほど強く燃え盛るものであるということだ。

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 恋愛小説の王道。

 そう、三角関係である。仮に初めからお互いがお互いのことを好きであればそれほど単純な図式は存在しない。もうその時点で、はいハッピーエンドですよよかったですねと大仰に手を叩く。わざわざ彼らの人生を丁寧に丁寧に紐解いていく必要はないわけだ。

 恋愛小説には、必ずと言っていいほど結ばれる人との間に見えない高い障壁が存在しているのだ。ディズニー映画に見られるような白雪姫もシンデレラも突き詰めれば同じような構図である。

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 ──朝5時2分。

 なぜかわからないけど、夜明けが来るほんの少し前のタイミングで目が覚めた。ひどく喉が渇いて、烏龍茶を一杯飲む。それでもまだ足りなくて気持ちを落ち着かせるためにカモミールティーを淹れた。

 半ば曇りがかった頭で私は今この文章を書いている。なんでこんなに朝早く起きてしまったのだろう。その理由をぼんやりと考えている。カモミールティーを飲んだおかげで、幾らか気持ちが落ち着いた。昨日読んだ本の名前を思い出そうとして、胸がグッと詰まる。

 それは元々私の意思で手に取った本ではなかった。なんとなく印象派の絵画に通ずるような、それでいてタイトルが泥臭い感じが気になったのだ。後で調べてみると、今年の本屋大賞の翻訳部門で1位に輝いた作品であることを知った。

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『ザリガニの鳴くところ』:ディーリア・オーウェンズ

 まだ余韻として自分の頭の中に残っていたことが原因かもしれない。読み終わった瞬間ため息がついた。一つの美しい映像の流れる映画を見ているような気分になった。でもその美しさの影にはひっそりと黒々とした単一的な色彩も紛れ込んでいる。

 霧によって見えにくくなったボートの姿。その些か頼りない乗り物の上には一人の女性が乗っている。果たして彼女はどこに向かって漕ぎ続けているのだろうか。タイトルとは裏腹に、「湿地の彼女」の瞳の奥には透き通るような景色が宿っている。

 不思議とこの本を読んでいるとき、私の中にはサカナクションの「グッドバイ」が流れていた。船の上に乗っている彼女は誰に別れを告げようとしているのだろう。(サカナクションというバンドに対しては私自身並々ならぬ思いがあるので、これもまたいつか記事にできたらと思っている)

 一寸先は闇で、手を伸ばそうとしても何も届かない。

 人知れずそっとその小舟は進み続ける。誰も手を伸ばしてくれないことを知った少女は嘆き悲しんで、その場に蹲る。でも本当はそんなことなくて、彼女のことを気にかける人は周りにたくさんいた。でもあまりにも彼女を取り巻く影が濃密すぎて、彼女はその存在を自分からはっきりと知覚しようとしなかった。

 ああ、サカナクションの音楽と物語が自分の中で繋がってしまってぐるぐると頭の中を駆け巡る。このお話のジャンルはどのように住み分けしたら良いのだろう。ミステリー、ヒューマンドラマ、愛憎劇。もう眠気で思考が停止しているせいか、野暮な言葉しか出てこない。

 一つ言えるのは、小説の中の言葉がばらばらと私の中に降ってくる。胸が震えるのとは違う。そんな野暮な言葉では表現できない。むしろ心がしんと静まり返って震えることを許さない。

 体が気だるくて、思わず現実に引き戻されることを拒んだ。人はいくらだって自堕落に生きることができる。誰か、自分のことを見出してくれと思いながらそんな考えは野暮だなということに思い至る。

 生きる上での目的とか意味とか、そんなことをついつい考えてしまいがちだけど、本当は自分の中の燻る思いにつられて揺蕩うように生きていけばたとえ水中の中であろうともっと楽に呼吸ができるのかもしれない。

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