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鮭おにぎりと海 #22

<前回のストーリー>

彼女が注文したのは、抹茶パフェだった。濃い抹茶ペーストに、餡子と白玉、寒天などが入っていた。そして、僕の目の前にはアイスレモネードが並べられる。抹茶パフェの緑、アイスレモネードの黄色、そして雲一つなく綺麗に晴れ渡った空の青色。そのコントラストが、ひどく印象的だった。

僕たちは、江ノ島散策の途中で見つけた大衆食堂に、一休みがてら入ることにした。丁度お客さんがはけた頃合いらしく、葛原さんと僕は運良く窓際の席に座ることができた。

「『男はつらいよ』に出てくる寅さんはね、普段旅に出ているときはとても陽気でひょうきんな人なんだけど、こと恋愛に関してはからっきしだめな人だったの。『寅次郎あじさいの恋』でも、せっかく好意を持って兵庫の丹波から東京にやってきたかがりさんと江ノ島でデートできる事になったのに、彼女と上手く話すことができなくて、そのまま二人は別れちゃうの。」

葛原さんは、再びどこか哀愁を帯びた目で僕のことを見た。彼女の言葉はなんだかそのまま僕に向かって放たれたような気がして、なんとも言えない居心地の悪さを感じてしまったのだった。

「ごめんなさい、こんな話するつもりじゃなかったのだけど。最近たまたまお父さんが寅さんみていてその場面が出てきてなんかちょっと居たたまれない気持ちになって、思わず戸田くんにその、切ない気持ちを共有しちゃった。」

彼女はいたずらっぽく笑って少し舌を出した。そんなことを言われながらも、僕は次第にまた違う考えがもたげてきた。こうやって少しずつ彼女の知らない一面だったりとか物事に対する考え方だったりとか、教えてもらうことで僕自身もゆっくりとだけれど、自分の事を知ってもらいたい、という気持ちになってきたのだった。これはなんと表現したら良いか分からないけれど、どこかぽっかりと身体のどこかが暖まってくるような不思議な感覚だった。

それから、少しずつ僕自身も自分もこれまでの環境についてぽつりぽつりと話し始めた。母親が高校生のときに出て行ってしまったこと、そしてつい最近久しぶりに会って話をしたこと、彼女が再婚して子どもが生まれそうなこと。

気付けば、僕が注文したアイスレモネードは緊張のあまりことあるごとにストローから液体を吸っていたので、一通り話し終わる頃にはほとんど飲み干してしまっていた。

「戸田くんは、結構複雑な家庭環境に生まれたんだね。知らなかった。わたしの母親は昔駆け落ち同然で今の場所にやってきたらしいんだけど、わたし自身についてはもう親の愛情を一身に受けて育ったと思う。」

彼女は、柔和な笑顔でほほえみかける。

「でも、それでも戸田くんが抱えている悩みとか、きちんと聞いてあげられる人でありたいの。」

葛原さんが抹茶パフェを食べ終わり(これがまた見かけによらずかなりのボリュームだった)、僕も一通り自分の身の上話を話し終えた頃合いで店を出た。辺りはほのかに陽が傾きつつあって、それまでの暑さも影を潜めてほんの少し海から涼しい風が吹いてきたのだった。

僕らは来た道を戻って、江ノ島の入り口へと先を急ぐ。そして弁財天商店街を抜けた辺りで、葛原さんが水族館に行きたいと言い出した。

特に断る理由もないしもう少し一緒の時間を過ごしたいと思っていたので、僕はその提案に乗っかった。そして江ノ島から少し歩いた場所にある新江ノ島水族館へと向かったのだった。

初めて入った水族館は、中に入ってみると意外にも広々としていて、かつ大きな水槽もあってちょっとびっくりした。

「戸田くんは、海の生物たちの中で何が好き?」

「うーん、なんだろう。そこまで真剣に考えたことはなかったけれど、わりと亀が好きかも。」

「あ、確かに何となく戸田くんっぽいかも。ゆっくり泳いでる感じとか。海亀って、一本筋が通ってる感じがするよね。」

「そうかな。逆に葛原さんは、何が好きなの?」

「わたしはね、くらげが好きなの。」

「くらげ?くらげが好きな人に初めて会ったよ。なんでまた?」

「なんでだろうね。確かにちょっと変わってるかも。昔両親に初めて水族館に連れてきてもらったとき、くらげ達が泳いでいる姿を見て彼らの優雅に泳ぐ姿が目に強く焼き付いたからかも。それと海にぼんやり浮かび上がる姿。」

僕たちは、ちょうどくらげがぷかぷか浮いている、大きな水槽の前に立っていた。その水槽は他の水槽とは少し仕様が異なり、時間が経つにつれて赤になったり緑になったり黄色になったりした。

「それとくらげって、漢字で書くと海の月。くらげが、わたしの行く先を照らしてくれるような気がするの。」

僕たちは誰かにとがめられることもなく、くらげの水槽の前でただぼんやりと眺めていた。それから1時間後、水族館の閉園時間を告げる放送が流れ、僕らはその場を後にした。そして葛原さんとは、藤沢駅で別れたのだった。

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