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鮭おにぎりと海 #57

<前回のストーリー>

初めて見たエッフェル塔は、なんだか初めてとは思えないくらいどこかで見たような既視感を覚えた。

ユーレイルと呼ばれる高速列車に乗られること6時間程度。ヨーロッパでは、ワインやビールがびっくりするほど安い値段で売られている。せっかくなので列車の中で飲み始めたら、いい感じに酔っ払ってしまった。パリに到着したのは、夜の7時ごろ。もうすっかり陽が落ちてあたりは真っ暗である。

どこからか歌が聞こえる。街の人たちが陽気に歌っているのだ。ついに来たのだ、パリに。俺は決して夢見る少女という柄ではなかったが、それでも昔からパリに対する憧れは強かった。何がどうというわけではなく、俺は特別な余韻に浸りたかったのだ。

駅から降りると、遠くに淡いオレンジの光を放つ塔がそびえたっている。あれがまさしく、フランス・パリの象徴であるエッフェル塔に違いない。時々塔のてっぺんから細い光が放出されて、周りをぐるりと照らす。そして、塔本体が眩いばかりの光に包まれる。その光を見ていただけでどうしようもなくワクワクした。

到着したら、真っ先に行きたい場所があった。シャンゼリゼ通りの西側にある、シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門である。俺は昔別の国で紛い物を見た。いや、紛い物と言っては失礼である。インドのニューデリーにある戦没者追悼のための門であるインド門。あれはあれで、巨大でニューデリーのシンボルたる門であった。

それでも、本物を見ると想像以上に巨大だった。そしてオリジナルよろしく、尊厳に満ち満ちていた。軍事的勝利を讃え、その勝利をもたらした将軍や国家元首や軍隊が凱旋式を行う記念のために作られた門。かつてナポレオン皇帝が作らせた門だ。ニューデリーのインド門とは背景として真逆なところがまた興味深いところである。

中は登ることができるようになっている。せっかくなので上まで登ってみると、凱旋門から放射線状に伸びる道路が見渡すことができた。なんと緻密に作られた建築物なのだろうか。俺は決してアートに秀でた男ではないが、それでも芸術家たちがパリに魅せられた気持ちがよくわかったのだった。

この日泊まった場所は、案の定ユースホステルだ。パリ市内にあるものの、値段相応という感じでシャワーはなぜか冷たい水しか出ないし、朝はどこか萎びた雰囲気のフランスパンだった。これでは興を削がれるし、冬場なのでそれこそ死ぬかと思うほど寒かったが、それでも高揚した気持ちは収まらなかった。それに寒さで言えば、シカゴで過ごした時間の方がよっぽど寒かった。

♣︎

パリに到着してから次の日、マフラーとダウンを着て外へ出かけた。冬の空気は非常に澄んでいる。どこか目が覚めるような空気の締まり方だった。

ヨーロッパでの過ごし方は割と単調である。街をうろうろしてショッピングしたり、美術館をまわったり、おしゃれなカフェで一休みしたり、荘厳な教会でお祈りしたり。それでも自分がパリにいるだけで全てが華やかな気分になってくる。柄にもなくちょっとスキップをすると、通りすがりのセレブそうなおばあちゃんに哀れそうな目で見られた。

道ゆく若者たちがみんなおしゃれそうに見える。昨日から感じていたことだが、これか固定観念によるイメージの肥大化なのだろうか。パリにいるというだけで、ステータスがグッと高まる。

そういえば、パリといえば『ミッドナイト・イン・パリ』を思い出す。舞台はパリで、主人公が時空を超えて昔の世界と行き来する話だ。映画のイラストに用いられたのが、ゴッホの『星月夜』。本物はニューヨークにある通称MOMAと呼ばれているニューヨーク近代美術館で見た。自分もまさしく舞台と同じ場所に立っている。

パリに来たならせっかくだと思い、かの有名なルーヴル美術館にも足を伸ばした。あまりにも展示品が多すぎてとてもじゃないが1日では見切れない。何年後かして、その時のことを思い出そうと思うとほとんどのものは頭の記憶から消え去っていた。唯一記憶にあるのは、小さな額縁に入れられた『モナ・リザ』のなかで悠然とこちらに向かって微笑む女性の姿と、その小さな額縁にこぞって集まる観光客の姿だった。

その夜もオレンジ色に光るエッフェル塔を見た。その時なぜこんなにも懐かしい気持ちになったのかがわかった。その姿は、まるで東京タワーそのものだったからである。

俺は、エッフェル塔を見ながらかつての記憶を掘り返していた。

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