鮭おにぎりと海 #32

<前回のストーリー>

その時僕は、宇宙の神秘を見た気がした。

大学で出会った葛原さんと一緒にプラネタリウムを見て以来、そこで見た天井いっぱいの星空が頭から離れなくなった。気づけば、長い夏休みも終わりを迎え、大学の授業もまるで何もなかったかのように平常運転で回り始めた。

葛原さんと僕も、なんとなく夏休みと変わらず毎週月曜日のお昼の時間帯に一緒にご飯を食べていた。彼女は今日は海老天ぷらそばと鮭おにぎりのセットという、年頃の女の子にしてはカロリーの高そうな食事をしていた。そんなことは口が裂けても彼女に対して直接口にはしなかったが。そして僕自身は相変わらず毎回カレーの大盛りだった。

9月の下旬に大学は再開したのだが、不思議と秋の季節は上半期よりも時間が経つのが早い気がする。気がつけば9月はあっという間に終わり10月もまるで波をさらうかのように過ぎて行った。葛原さんと僕の奇妙な決まり切った習慣も、何だかまるで空気の如く続いていく。

その頃になると、僕の中で葛原さんに対する気持ちも次第に膨れ上がっていくことを自覚せざるを得なかった。これまで決して誰とも付き合ったことがないわけではない。

なんとなく中学高校の時って、モテる奴の相場は決まっていて容姿がいいやつか運動や勉強ができるスマートな奴のどれかだった。それでも時々なんの取り柄もない人を好きになってくれる玄人好みの女性がいるのだ。

高校生の時一度だけ、クラスの女の子に告白されて付き合った。なんで僕なんかのことを好きになったの、と聞くと当時付き合っていたその女の子は、何だかアンニュイでミステリアスな感じがいいな、と思ったのとはにかんで笑った。どれも横文字で僕は正確に意味を噛み砕けたか自信がないのだが、人生初めての女の子との付き合いは3ヶ月ほど続いた。

それでもいつだって終わりは突然だ。初めての彼女からふられた時の言葉は、「思ったような感じじゃなかった」の一言だ。勝手に期待されて勝手に幻滅されて、それって一体なんなんだとその時の僕は憤懣やり方ないといった感じでしばらくの間伏せった。その時ちょうど母親が好きな人ができたといって出て行ったことが重なったこともきっと少なからず関係しているだろう。

元はと言えば、高校のクラスメイトであったその女の子と付き合ったきっかけも、理由は単純で向こうから好きになってもらったから断る理由が見出せなかったからだ。そんな感じだから20年程度生きてきて、人を好きになるというのはどういうことなのか、全くもって理解できていなかったのである。

葛原さんに対して募る思いをこれはどう表現したら良いのだろう。その頃は流石に葛原さんと普通に喋れるくらいにはコミュ障を克服していたように思うのだが、いかんせん葛原さんと目があった瞬間、ひゅっと時間が止まる瞬間があるのだ。正直どうしたらいいのか、固まってしまった。

それまでは学校とバイト先の往復の中で、自分の明日の生活のことをかんがえて暮らしていくことが精一杯だったのだ。そこに新たに自分の頭の中を占める事柄が増えたのである。それは楽しくもあり、どうせその願いは叶わないのだという考えが頭をもたげ、その度に僕はひとり勝手に意気消沈するのだった。

何が自分の感性に対して引っ掛かったのかはわからない。葛原さんが一見大人しそうな見かけなのにどこか一本芯の通ったものの考え方や言い方をしていることに惹かれたのかもしれないし、そのどこか屈託ない感情表現に自分にないものを感じたのかもしれないし、はたまたまるで猫の如く自由奔放な姿に何か憧れに似た思いを抱いたのかもしれない。

とにかくその時僕がはっきりと考えたのは、誰かのことを考えるようになるのに理由なんてものは存在しないということだ。

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