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小説BAND☆やろう是 序章 告白

 あれは、僕が高校生最後の冬だった。
 北風が厳しく、身も心もちぎれてしまいそうになる危うい季節だ。

 慌しい正月も去る事ながら、晴れ晴れしい出所…否、来たる卒業への物悲しさと新入生を迎える華やかな雰囲気が静かに入り乱れるなんとも例えようがない時期である。
 式の準備に勤しむ後輩達が校舎中を走り回り、ああだこうだと怒鳴りながら何度も僕の横を通り過ぎた。

 僕は高校三年間という波乱に満ちた日々を思い出しながら、中庭にある池に生息する鯉どもに餌を与えていた。
 本当は用務員さんの日課なのだが、何も用事のない放課後に用務員室にいつも立ち寄って、おじさん達と何気ない雑談をしていた。

 そろそろ下校しようとして、用務員さんがまだ鯉に餌をやっていないという事になると、僕が鯉どもに餌をやって下校していたのだった。

 そして今日が最後の餌やりとなった。

 明日から卒業式まで一ヶ月の休暇があり、その間やる事は山ほどある。
 やらなければならない事を一つ一つ整理しながら無意識に餌を投げ、遂に手元から餌がなくなった事に気がついた。
 鯉どもに達者で暮らせよと別れを告げ、『さて、下校するべぃ』と立ち上がった瞬間、右側の体育館方面から聞きなれた声が僕を立ち止まらせた。

「岡田さん。」
「おお、どしたん?」

 話かけてきたのは昔から一緒に馬鹿ばっかりやってきた高島徹(通称 トース)だった。
 今までまったくと言っていいほど女っ気もなく、何か話すとしたらゲームの話か下ネタばかりのしょうもない奴だ。

「大阪引越しする準備できたん?」
 彼は意地悪そうな笑みを浮かべながらまじまじと僕を見ている。
「あぁ、もう引越しする準備できたで。」
 動揺している事を悟られぬ様に僕は平然を装った。
「まじで?俺まだ全然できてないでよ。」
 彼は幼さの残る表情で照れ笑いしながら頭をガシガシと掻いた。

 僕はこの春に高校を卒業して、『ある夢』を追いかける為に大阪へと引っ越しする事になっている。彼もその『ある夢』の協賛者であり、共に夢を実現させようと硬い契りを交わしていた。
 夢を叶えるなら大阪ではなく東京の方がよいではないかという声も聞こえてきそうなのだが、そこには当時絶対的な主観があった。

『別に大阪も都会なのだから、東京とそう変わるものでもないだろう。』

 とにかくここ愛媛県伊予三島市より大きい街は都会であり、我が県最大
の規模を誇る松山市よりも都会は大都会なのである。よって日本の首都である東京も、その衛星都市である大阪も、名古屋も福岡も大して変わらないのではないかと考えていた。
 大いなる勘違いである。
 世間知らずなエピソードなので、思い出せばある意味心苦しくなってくるのでこれ以上は勘弁していただきたい。

 トースには余裕を見せていたのだが、引越しの準備は愚か、心の整理もできていない状態だった。
 初めての一人暮らしに対する期待と不安。荷物を詰めている途中に遭遇した数々の過去の過ちたる写真の処理などに追われ、足止めをくらっているというのはもちろんな言い訳である。
 本当は僕の門出を祝い、毎日の様に繰り広げられていた酒盛りと、その後の病気の如く蝕む二日酔いで作業が一向に捗らないのだ。
 トースはすでに泳いでいた僕の眼を見て、伸びきった前髪を揺らし苦笑いで話題を変えた。

「他の奴らはどうなっとるんか聞いたん?」
 その問いに余計どうしていいか分からなくなってしまい、適当な答えを
頭の中から懸命に探し出した。

「いや、まったく聞いてないよ。」
 結局洒落た言い訳も見つからず、仕方なく今の現状を報告した。
 彼は遥か遠くを見つめながら何もかも分かっていたかの様に首を振り、また遥か遠へ目線を延ばした。
 煩わしい事は自分から行動に移さない主義は昔から変わらないらしく、メンバーとのコンタクトはほとんど僕任せなのである。
 何食わぬ顔で僕の顔をちら見して「また明日な。」と一言交わし、その場を離れた。


 トースとは昔から馴染みのある友達で、小学生の時は近所にあったゲームセンターで、とあるゲームにいつも心を焦がしていたゲーセン仲間。
 中学生の時は一緒にテニス部に入部をし、入部から卒部に至るまでずっとバディとして僕が前衛、彼が後衛を受け持っていた。
 僕達が志願してそうなった訳ではなかったが、入部当初からいつも二人で行動していたので顧問の独断と偏見でそうなったらしい。
 特に努力もしていなかったので常に補欠の位置を決め込んでいたのだったが、最後の大会で、何故かベスト8という好成績を残して周囲の部員を沸かせた。

 ここまではよかったのだが、高校入学と同時に彼との行動にずれが生じだしたのだった。
 ようやく高校生活にもだいぶ慣れてきた五月下旬に事件は起きた。
 彼とはクラスが別だったのだが、休み時間によく廊下で立ち話をしたり、帰宅する時もよく行動を共にした。
 温かい日ざしが僕らに降り注ぎ、平和という感情をとふつふつと感じていた。スナック菓子を頬張りながらのんびり家路を進んでいく。
 彼は自宅にたどり着く少し手前で、いきなり笑顔になり、希望に満ち満ちた表情で足を止めた。

「俺な、楽器でもやってみよか思とるんよ。」

 彼の突然の告白に少し驚いたが、ゲーム以外の新たな趣味を持つ決意をした彼に喜びを感じた僕はその意見に大きく賛同した。
 彼はうれしそうに家へと入って行く姿を確認し、その出来事に喜びをかみ締めながら一人で家路を急いだ。
 その夜一本の電話が鳴り、風呂上りだった僕は髪を拭きながら電話に出た。その電話は中学の時テニス部で一緒だった同輩の石井菊次郎(通称 菊ちゃん)だった。
 彼は少し焦った様子で僕にこう尋ねてきた。

「なぁ、高島最近なんかあった?」
 何故か焦る様子の彼に思わず僕は首を傾げた。
「今日も一緒に帰ってきたけど何もなかったと思うで。楽器始めるとかなんかしらん言よったけどな。」
「楽器始める言よったんじゃな?今日な、高島見かけたんじゃけど…。」
 菊ちゃんは目撃してしまったトースの妙な行動について語り始めた。
 どうも塾帰りだった菊ちゃんは寒空の下、自転車で帰宅していた。
 丁度この街で唯一楽器を販売している店『オオサカ堂』の横を通りかかった時、ふと飛び込んできた場面があった。
 それは急いで自転車を飛び下り、店に入っていくトースの姿だった。
 話かけようと彼も店の中に入ると、トースはエレキベースが置いてある場所で息を切らせ、蒼白した面持ちで立ち尽くしていた。
 その後ろ姿に違和感を覚えた菊ちゃんは思わず声を掛けようと手を差し伸べたその時、トースは吐息を軽く漏らしながらいきなり一本のエレキベースを手に取り、完全に沈黙した。
 どきどきしながらその姿を見つめていると、遂に沈黙を破ったかの様にカッと眼を見開いてカウンターへと走って行き、商品を差し出した。
 会計を済ませて店員さんにへへっと軽く笑み「これで一華咲かせちゃるけんね。」と一人ごちて急いで店を出ていった。
 店員は騒然とし、店の雰囲気は困惑を極めていた。
 菊ちゃんは何事もなかったかの様、店を後にして、帰り道にある公衆電話から僕に電話をしてきたのだと言う。

 過去にも同輩や後輩から彼の奇妙な行動について幾つか問われた事はあったが、僕の前ではそんな行動は見せた事はない。
 直接その現場を見た訳でもないし、焦って話す彼の口調が聞き取りにくいせいもあって、その時はいまいち状況が掴めなかった。
 あまりにも驚いている様子なのでこりゃいかんと思った僕は、無理やり話題を変え、話を有耶無耶にして電話を切った。


 そんな話を聞いた数週間後、トースは学校で知り合った友達とバンドなるものを結成したらしく、彼の態度は徐々に変わっていた。
 初めは下校を共にしなくなり、一人で下校する日が増えたくらいのもので他は何も変わりはなかったが、その後用事で彼の家に電話してもなかなか繋がらなくなり、遂には学校の廊下でたまたますれ違った時も、多分バンドのメンバーと思われる友達と一緒にいた為もあると思うが、一言二言しか会話を交わさなくなった。
 いよいよ彼の態度に違和感を覚えた僕は、一人でいる時を狙い、素っ気なく話しかけてみたのだが、以前とさほど態度は変わらなかった。
 しかしずっと一緒にいた者だけにしか分からない決定的な違いがあった。
 彼は楽器のあるすばらしい生活や、バンドメンバーとの日々の事を話し始めた。特にバンドの顔でもあるボーカリストが不在のまま練習していて、募集をしてもなかなか思うようなメンバーが見つからない事を真剣に語っていた。
 バンドの事だけを楽しそうに話す今の彼に、以前の下ネタを話す時のチャラけた雰囲気は一切ない。
 そこにはまったく知らない彼の姿があった。
 何か僕に話したそうに彼はもじもじとしていたのだが、「まぁ、頑張ってや。」と捨て台詞の様に言い放ち、僕はその場を走り去った。
 彼が見えなくなる所まで走り、立ち止まったその直後に猛烈なやり切れなさと、今まで感じた事のないくらいの寂しさが心の奥から溢れ出してきた。
 彼は高校に入学趣味が新たに増え、その趣味に費やす時間の中、一緒に歩む新しい仲間ができた。
 それに引き替え僕はなんとなく進学し、特に何も行動を起こさず時は過ぎていく。生きがいもなく満足感もない。
 時間とは限られたものであり、誰もが平等に与えられている。それをどう切り盛りしていくかで事が大きく変化する。そんな時間配分の中、彼は僕を敢え無く消去し、新たなシーンを作り出したのだ。
 今まで足並みを揃え一緒に歩んできたと思っていた彼が、いつしか後ろ姿になり、遥か遠くに見え隠れし消えてしまい、僕一人が取り残されてしまうのではないかと思えてならなかった。
 焦りや不安という思いが醜い劣等感という気持ちに変化し亡霊の如く僕の心へと憑依した。
 それからというもの、僕は彼を避けて行動する様になり、会話も途絶えていった。

 何気なくテレビをつけて季節は梅雨へと変わっていた事を知った。
 あれからクラスメートに数名の友人ができ、皆気さくないい奴ばかりなので彼らと過ごしているとなんとなく心も安らいだ。
 皆と昼食を共にしていた時、グループの一人が岡田の家に行ってみたいと言い出した。
 しかもなぜか今日じゃなくてはいけないらしく、基本的暇人である他の奴らはその意見に大いに賛同した。
 当然僕は断ったのだが、異常な盛り上がりを見せる彼らの姿に収拾つかなくなり、仕方なく了解してその場を治めた。

『やべぇ、大変な事になった。』

 やはりやる気の出ない生活を続けていた事もあり、僕の部屋はストイックさの欠片もない散らかりまくった状態と化していた。
 僕の親は共働きであまり家には帰らないので、急遽電話して片付けを頼める訳でもない。散々苦悩したあげく、いよいよ僕は覚悟を決めた。
 その状態を見られて何を言われたとしても笑い飛ばす事にしたのだ。
 そして放課後、皆を自宅へと案内した。
 家に到着し、皆は物珍しげにどよどよと家の中に入っていった。
 育ち盛り、食い盛りの漢どもが五人。でかい靴が何足も置かれた為、玄関はむさ苦しい状態となった。
 中に入ればすぐに二階へ行く階段があった。家全体を見れば割と広めの住居なのだが、一階は別の所に入り口があり、急な客人が訪れた時の応接間とその客人を泊める寝室となっていた。実質生活するスペースは二階だけなのでそう広くもないのである。
 階段を上りきってすぐにある右の扉を開けると僕の部屋がある。皆はどんな世界が広がるのであろうと胸ときめかせながら部屋に入った瞬間、一斉に凍りついた。
 長方形八畳のフローリング部屋で片隅にパソコンが一台とその横には寄り添う様にシングルベッドが置いてある。小さいCDプレーヤーが一つ無造作に転がっていて、他のスペースはお菓子の食べかすや読みっぱなしの雑誌、脱ぎ散らかした服が散乱してどう考えても足の踏み場もない見るも無残な光景だった。
 皆の反応を予測出来ていたので、僕は無言で片づけを始めた。もてなすのを嫌がった意味を知り、申し訳ないと思ったのか皆透かさず片付けを手伝った。僕は止めたのだが、皆無言でそして真顔でテキパキと動いていた。
 大勢でする片付けはスムーズに進み、およそ二十分も満たないくらいに部屋は片付いて、打って変わって殺風景なものとなった。
 僕は皆に礼を言い、その場を避けるかの様にリビングへと皆を誘導した。
 仕事に忙しい両親なのだが、潔癖症と思われても仕方ないくらいのきれい好きで僕の部屋以外はいつも完璧に掃除していた。(思春期の男の子だとほっとかれていたらしい…。)
 リビングに入って皆周りを見渡した。セレブ生活を意識して置かれたと思われる大理石でできた六人用テーブルがスペースいっぱいに置かれてあり、その横に障子を隔てて六畳の座敷がある。リビングの先にはキッチンスペースがあり、合計十八畳の空間が広がっている。
 皆はそのテーブルをぺたぺたと珍しそうに触りながら席へ着き、各自持ち合わせたスナック菓子を広げ、何気ない雑談タイムが始まった。
 学年のかわいいと思われる女子の話や、各教科を受け持つ先生の良からぬ噂。部活の話題や学食メニューのランキングなどと、いかにも学生がするようなべたな話題が飛び交った。
 ある程度話す事も尽きてきて、もうそろそろお開きの時間かと思われたその時、琢磨博樹(通称 タク)が中学時代の変わった友人の話を始めた。
 その友人は小学生の時に大阪から転校してきて、独自のお笑いセンスと奇怪な行動で一躍人気者となったらしい。そんな彼の起こしてきた嘘の様な本当な話を、皆腹を抱えて笑い転げた。
 その話を起爆剤とし、それぞれ過去にあった愉快な出来事を語り始めた。それぞれ出身校は違っていたので、周りにかって知ったる知人がいないのをいい事に無茶苦茶な事を暴露し続け、笑い合っていた。
 僕はその話題を何気に聞いていると、西脇頼友(通称 頼さん)が『岡田はどうだったんだ?』と訊ねてきた。
 一斉に僕の方へ顔を向け、期待した面持ちで見つめられた為、特にないといえる状況ではない事を悟った僕は、ゲームばっかりしていた小学校の時の事や、同後輩達と繰り広げた部活動の日々を語った。
 僕の話にシャレた話題はなく、笑える所もなかったのだが、皆話に相槌を打ちながら笑顔で話を聞いてくれた。本当にいい奴ばかりだと心から思えた。
 最後に高島徹の話をした。かつてゲーセン仲間であり、中学の部活動ではバディーだった事。高校に入ってもずっとつるんでいて、ある日突然新しい趣味と仲間を作り僕と疎遠状態になってしまった事…。
 暗い話にならない様に心がけて話したつもりだったが、その場の空気は重苦しいものとなり、遂には皆俯いてしまった。
 沈黙した空間の中、近くにある小学校からブラスバンドの練習だろうか、トランペットの音が静かに聞こえてくる。そのトランペットの旋律を必死に追いかけているかと思う程皆は黙りこくっていた。
 重苦しい空気を作り出した原因である僕は、暗い表情を浮かべ、俯きながらも『小学生にしては洗練された旋律だなぁ。』と感心しながらその旋律に耳を傾けていた。
 そろそろ誰か話し始めてくれと誰もが顔を歪ませて思っていたその時、その音が沈黙を切り裂くようなどえらい不協和音を奏でた。その音に反応し、皆机からずりコケてしまった。
 体勢を整え、顔を見合わせると透かさず大爆笑が起こった。その不協和音に一同は心から感謝したと思う。
 そんな中、タクは僕に優しく諭すような口調で話しかけてきた。

「岡田の気持ち俺ようわかるわぁ。俺もそれによう似た事があってな、兄貴に相談した事あるんじゃって。んならな、高校入って初めの方はやたら連れできて、昔の連れとあんま遊ばんくなるんじゃ言よったわ。それに落ち着いてつるむ連れも減ってきたらな、また昔の連れともつるむ様になる言よった。じゃきん、あんま気にせん方がええで。」
 

 タクの表情は優しく、でもその裏にある憂いを僕はなんとなく感じとる事ができた。そんなエピソードを聞いて、皆それぞれ高校に入学して変わっていった友達の事を語り合った。
 僕やタクと同じく仲良かったけど新しくできた友達と遊びだして連絡取らなくなった友人の事、親の転勤で他県に引越しして同じ高校へ共に通えなくなってしまった友人の事。高校に入学して彼女ができ、態度が急変して連絡が途絶えた友人の事。皆それぞれ笑顔の奥に憂いを抱えている事を初めて知った。
 僕は一人じゃない。
 皆もそれぞれ悲しさを乗り越えて今を生きているのだ。今日ここに集ま
った皆はかけがえのない友達であり、同じ時代を生きる新たな仲間達だと素直に思えた。
 時間も十九時を回っていた事にようやく気づき、皆はあたふたしながら家を飛び出していった。僕は外まで彼らを送り出し、その後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
 暮れなずむ街の中、我が街のシンボルとも言える紙工場の煙突が遠くで相も変わらず煙をもくもくと出し散らかしている。そんな景色は昔から悲しいかな変化しないが、今日という日と経て僕の心は優しく、そして強く変化する事ができた。

序章 おしまい    

第二章 兆候へ続く

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