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平坂のカフェ 第4部 冬は雪(22)

 それから男の子とは度々顔を合わせることがあった。
 会うのは友人との打ち合わせで遅くなる深夜近くのコンビニの前だ。
 どうやら家がこの近くで生活圏内らしい。
 個展からの帰り道にどうしてもコンビニの脇を通ることになるからタイミングが合えば顔を合わすこともあるだろうと特に何も止めなかった。それに顔を合わせると言っても大半は挨拶と二言三言話す程度だ。
 10歳以上離れている子とそんなに話せることなんてないし、大分改善してされたと言っても根っからの人見知りである私にそんな話すことが出来る訳がない。
 ただ、時間が時間だけに一度でもだけ「何でいつもコンビニにいるのか?」と訊くと小学校の時からいじめを受けて登校拒否になってしまったと言うことだ。
 私も小学校の時は"いない存在"だった為に学校に行くことが出来なかった。出来なかったと言うよりもその存在感自体を知らなかった。そして学校に通えるようになった時も特に楽しいと思ったことはない。ただ、両親やスーツのお姉さんに言われるがままに通っていただけだ。いじめられなかったのもただ単に運が良かっただけだろう。
 だから私はこの子の気持ちを本当の意味では分かってあげられない。だけど男の子が少しでも前を向くきっかけになればと思い、「私も学校に行けない時があったんだ」とか「無理はしなくていい」「やりたいことがあったら足を止めちゃダメ」などと思いつく限りのアドバイスをした。言った後に余計だったな、と後悔したが、男の子はその度に驚き、目を震わせて私を見ていたから少しでも励みになればいいな、と思った。

 個展は、相変わらずの盛況だった。
 コラボTシャツはほぼほぼ完売で受注待ちと担当者は嬉しそうに話していた。
 個展を見てくださった方の中には絵を買いたいと申し出てくれる方が何人もいたらしい。写真はOKにし、コピーも売っているのだが原本が欲しいと言う意見が多く、中には驚くような額を提示してくる人もいて、心臓が痛いくらいに鳴った。
 しかも驚くべきことに絵を買いたいと言ってきた人物の中には高校の美術部の顧問もいたのだ。
 私は、驚きと懐かしさから顧問に連絡するとその翌日の夜に顧問が個展を訪ねてくれた。
 数年ぶりに会う顧問は髪が真っ白に染まり、顔の至る所に年輪が増え、"お爺ちゃん"と呼べるような外見へと変化していた。
 しかし、何よりも変化したのは表情だ。
 顧問は、優しい笑顔を浮かべていた。
 彼が笑みを浮かべたのを見たのは私が自分の進路を決めた事を報告に言った時だけだ。
 本当に顧問?と疑ったけど、話し始めた声は間違いなく顧問のものだった。
「久しぶりだね」
 顧問は、穏やかな口調で言う。
 この人はこんなにも優しい声色だったのだと初めて気づいた。
「お久しぶりです」
 知らなかった顧問の一面に驚きつつも私は頭を下げる。
「立派になったねえ」
「ありがとうございます。何も知らなかった私にご指南下さった先生のお陰です」
「いやいや、僕は何もしてないよ」
 顧問は、穏やかに笑う。
「何せ君は教えがいのない子だったからね」
「えっ?」
 私は、心臓を氷のような手で握りしめられるような感覚に襲われる。
 しかし、顧問は小さく首を横に振る。
「そうではないよ」
 私の心を読み取ったように言う。
「君は私が教える前からもう絵がなんたるものかを分かっていた」
「そんな・・・あの頃の私なんて落書きをしてただけです」
 そうただの落書き。
 心の中の物を少しでも掻き出せればと思って描いてた落書き。
「絵とは技術ではない。発想でもない。どれだけの心の内を、思いを込められるかにある。魂のない絵など絵ではない」
 顧問は、壁に掛けられた絵を見る。
 それは高校時代に私が描いた寄り添うように生える2本の木の絵だ。
「君の絵には魂がある。君の思いがしっかりと根付いているのだよ」
 顧問は、そう言ったにっこりと笑った。
 左目が涙で潤んで前が見えなかった。
 そして顧問は、新作のあの桜の木の絵を買いたいといってきた。
「いいんですか?自分で言うのもなんですが作品としては少し中途半端で・・・」
 しかし、顧問は、首を横に振る。
「これは今の君だよ」
「えっ?」
「人として成長しながらも悩み、進みあぐねる1人の人間としての君だよ」
 私は、桜の木の絵を見る。

 私?

 これが・・・私?

「次に君の絵を見た時、さらに成長した君の絵と心が見られる事を楽しみにしているよ」
 そう言って顧問は、微笑んだ。

 担当者は、これはこの個展の為の新作ですのでと言って断ろうとしたが、私は、「新作なら直ぐ作りますから」と担当を説き伏せた。
 製作者である私に言われてしまうとぐうの音も出なくなったようで渋々了承した。
 ただで良いと言ったのだが、顧問はむすっとした顔をし、「師に恥をかかせるな」と言って現金で30万を担当者にそのまま渡してきた。
 私も顧問もあまりの額に動揺するが「今後の制作の足しにしなさい」と言うだけだった。
 私は、絵を抱えて去っていく顧問の最中をずっと見送った。

 その夜、帰ろうとした私に2つの連絡が入る。
 一つは友人からで個展が好評なので〇〇県でも開催するかことになったから準備よろしくと簡単に報告されたこと。
 もう一つが彼からで今度の休みに会いたいとのことだった。

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