冷たい男 第6話 プレゼント(4)
この店を、いやこの屋敷を建築した人、そして設計した人、そして注文した人はとても前衛的でお洒落な人だったのだろう。
そうでなければトイレのドア1つをこんなにオシャレな造りにするはずはない。
オーク材の板を鉄板の枠で多い、真鍮のドアノブは魚の尾の形をしており、優雅にその身を反っている。表面には美しきエルフに恋焦がれたドワーフが片膝をついて岩のように発達した太い指を差し出して告白している・・・という物語を連想させるような彫刻が彫られていた。
(そう見えるのは私だけなのかな?)
後ろにいる双子にはどう見えているのだろう?
ひょっとしたらエルフの姿をした魔王に屈服したドワーフに見えたりするのだろうか?それともロールシャッハテストのようにエルフでもドワーフでもなくもっと別の異質なものに見えているのか・・・?
「今回は、ここなんですか?」
少女の前に立つチーズ先輩に尋ねる。
「ええっ」
チーズ先輩は、頷く。
「この間はお風呂場じゃなかったでしたっけ?」
「3日前は私の部屋のドアでした。母も固定しようと頑張っているのですが何せ気まぐれなもんで難しいようです」
双子も子狸も2人が何を言ってるのか分からず首を傾げる。
チーズ先輩は、お尻のポケットをいじって小さな鍵を取り出す。柄の部分が蝶の羽の形をしており、羽の周りを紅玉が幾つも散りばめられている。
チーズ先輩は、蝶の羽の部分を自分の唇に近づける。
「繋げ。紡げ。天と地と狭間の道を示せ」
蝶の羽の周りに散りばめられた紅玉が燃えるように光る。
チーズ先輩が鍵の先端をトイレのドアノブに近づける、と、鍵の先端がノブの中に吸い込まれる。
双子と子狸の目が大きく見開かれる。
チーズ先輩は、鍵をゆっくりと回す。
ガチャンッ
ドアノブがゆっくりと回り、扉が開く。
温かな風と共に花のような甘い香りが漂ってくる。
扉が開いた先、そこに見えるのはあまりにも広大な花畑だった。
「ふえっ?」
双子のどちらかが空気の抜けるような声を上げる。
チーズ先輩は、扉から鍵を抜き取るとお尻のポケットにしまい、迷うことなく花畑に足を踏み入れる。
少女も迷うことなく足を踏み入れる。
双子と子狸はお互いの顔を見合わせる。
3人とも驚愕とも恐怖とも取れるふやけたような顔をしている。
時間にして3秒ほど迷った挙句、3人は花畑へと足を踏み入れた?
暖かい
それが最初の感想だった。
春先のような暖かな空気が剥き出しの肌に触れる。
空は雲一つない青空で日差しが優しく皆を照らす。
足元には現在の季節には決してあり得ない赤や黄、白、紫などの数多い種類の花が咲き乱れ、蝶が舞い、目を凝らすとバッタやてんとう虫の姿まで見える。
「ここは・・・?」
子狸は、鼻の先にある花の匂いを嗅ぐ。
とても甘い。
扉が開いた時に流れてきた匂いはこの花畑の匂いだったのだ。
「春の部屋ですよ」
チーズ先輩は、優しく微笑んで子狸の質問に答える。
その顔は、子供たちに物事を教える教諭のようだ。
「先先代・・・つまり私のお婆様が春の妖精や精霊たちと一緒に作ったのだそうです」
ビーズでアクセサリーを作ったの、とでも言うようにチーズ先輩は言う。
「作ったって・・・」
ロングは、呆然と春の部屋を見回す。
部屋と言う仕切りなんて感じさせないどこまでも広がる空と花畑・・・。
思わず背筋が震える。
どれだけの高度な魔法が使われていると言うのか・・。
「何のためにこんな物を?」
驚きで舌を噛みそうになりながらショートはチーズ先輩に訊ねる。
「もちろんお仕事の為ですよ。こういう部屋でないと育たない商品が幾つもあるので・・・保管庫のようなものです」
そう言いながら花々の中に手を入れ、切長の目を動かす。
少女も同じように花の中に指を入れて掻き分ける。
「気をつけて下さいね。この時期は変な粉や液を振りまくヤツもいるので」
「大丈夫です。形は覚えてますから」
「貴方たちも蝶や他の虫に触れてはダメですよ。この部屋にいるのは普通とはちょっと違いますから」
双子と子狸は神妙に頷く。
2人は、夢中になって花の中を泳ぐ。
双子と子狸は、そんな2人を見守った。
いや、見守るしか出来なかった。
水のせせらぎのようにゆっくりと流れていく。
「先輩いました!」
少女が嬉しそうに声を上げる。
チーズ先輩は、腰を上げて少女に近寄る。
「似てるけど違います。あっ触れないで下さいね。害はないけど危ないので」
害はないけど危ないとはどういう意味なのだろう?と子狸は、ポリポリと鼻先を掻く。
少女は、がっかりと肩を落とす。
「でも、この近くにはいそうですね。もう少し探しましょう」
2人は、再び花の中に手を入れる。
そしてら探すほど四半刻・・・。
「見つけました」
チーズ先輩が右手を高らかに上げてにっこり微笑んで立ち上がる。
ずっと同じ姿勢で固まったからか、立ち上がった時に思い切り腰を反る。
少女も嬉しそうに立ち上がり、同じように腰を反った。
チーズ先輩は、右手に握ったものを少女に見せる。
双子と子狸も好奇心を持って覗き込み、悲鳴を上げる。
チーズ先輩の手のひらにいたのは真珠色に淡く発光する芋虫であった。表面には幾何学模様のようや筋が雷のように走り、青く鈍く光っている。
「そ・・・」
ショートの顔が青ざめ、小刻みに震える。
「それ・・は?」
ロングに至っては目を合わせることも出来ず、唇がこれでもかと歪む。
子狸だけが小さな声で「美味しそう」と呟いた。
少女とチーズ先輩は、3人の反応に顔を見合わせ、首を傾げる。
「蚕よ」
少女は、さも当然のように言う。
「小学校の教科書で見たことあるでしょ?」
チーズ先輩も少し困ったように言う。
小学校の教諭を目指す者としては直接受け持ってる訳でなくても授業を聞いてくれてなかったというのは少し寂しいものがあるようだ。
「「いやいやいやいや!」」
双子は、全力で手を振って否定する。
どんなに勉強しても光る青筋の走った真珠色に輝く蚕なんて習わない!
そう否定しても2人はまったくと肩を竦めるだけだった。
双子は、何ともいえない敗北感に悔しそうに唇を噛む。
チーズ先輩は、左手の人差し指で自分の唇に触れ、小さく短い言葉を唱える。
そして唇から離すとその指先を蚕の口元に当て、ゆっくりと引いた。
その瞬間、蚕の口から銀色に光る糸が伸びてくる。
驚きの余り絶句する双子と子狸。
チーズ先輩は、器用に指先を動かして糸を人差し指に巻き付けていく。
そして気がつくとそれは綺麗な丸い糸玉へとなった。
「ありがとう」
チーズ先輩は、糸を吐き終えた蚕を花の上に置く。
蚕は、コソコソと鼻から茎へと身を捻りながら消えていく。
人差し指から糸玉を抜くと少女に渡す。
少女は、嬉しそうに受け取る。
「ありがとうございます。先輩」
「運がいいですね。かなり上質な糸です」
「あの・・・報酬は?」
「さっき十分過ぎるほど頂きました。まだ私が払いきれてないくらいです」
「それじゃあ残りで織り機を借りるのと染めるのって出来ますか?足りなかったら不足分は払います」
「十分だと思います」
2人のやり取りの意味が分からず双子と子狸は首を傾げる。
「おねえ様・・・」
「それって・・・?」
双子のおずおずと質問する。
少女は、糸玉を愛しげに見て、そして顔を上げる。
「手袋の材料よ。これで生地を作って手袋を作るの」
少女の言葉に双子は口を丸く開ける。
「彼の手は特別冷たいですからね。普通の生地じゃ防げないのです」
テーズ先輩は言う。
「だから毎年、この子が彼の為に作ってるのですよ。健気でしょう?」
チーズ先輩に言われて少女は、頬を赤く染めて口元を手で覆う。
「毎年ですか?」
「凄い・・」
双子は、感嘆の声を上げる。
「市販の物じゃダメだし、手袋がなかったらとんでもないことになっちゃうから仕方ないのよ」
少女は、苦笑を浮かべる。
チーズ先輩も同じように苦笑を浮かべる。
「とんでもないこと?」
子狸が訊く。
少女とチーズ先輩が顔を見合わせて笑う。
「高校の時ね。彼とハンターが大喧嘩したことがあるの。その時に手袋が破れちゃってあいつの身体が半分以上凍っちゃったことがあるのよ。その時はお湯につけるわ、火で直接炙るわ大変だったな」
「小学校の時も大変でしたね。プールの授業で見学してる時に偶然、手がプールに触れてしまってアイススケート場になってしまいました」
「でも、それはそれでスケートが出来て得した気分でしたけどね」
そう言って2人は笑うも双子も子狸もとても笑えなかった。
チーズ先輩は、身を屈めて地面をノックする。
地面が盛り上がり、小さな山が現れる。
土がメッキのように剥げ、現れたのは古めかしい小さな木製の機織り機であった。
「糸玉を」
チーズ先輩が差し出した手の上に糸玉を置く。
チーズ先輩が糸玉を近づけると機織り機の木目が歪み、小さな手が幾つも伸びて糸玉を取る。
無数の小さな手は糸玉を解し、伸ばし、切られ、まとめていく。
そして丁寧丁寧織り機の綜絖の穴を通り、経糸となっていく。
「あとは貴方次第です」
そういうとチーズ先輩は銀色の糸が巻かれた小舟の形をした緯糸棒を少女に差し出す。
緯糸を張る時に使うものだ。
「分かりました」
少女は、力強く頷いて緯糸棒を受け取った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?