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蝉時雨をほどきつつ

 いつまでも、身をほどかないわたしたちを、水が見つめている。
川の果ては海か土で、私のみているところからは果ては見えないからきっと海だ。手で掬えばこぼれおちてしまうその動きの中にどれほど生命らしさがあるだろう。水のほどける様が目を揺らす。

 昼の月はひどくかすれて、寝起きの体温みたいだった。ぬくくて、すこしずれている。骨がじんとして、黄金の森を掌でかきわけるような呼吸、そののちカーテンをひらいて、朝のひかりがそそぎこむ。内へ。そういった寝起きのうつくしい道も、いずれはほどけてしまうのだろう。

 集結して、かろうじて保っているような白い月の、青と白の境をよくよく見れば喉が渇いている。喉が渇いていることに気づいて、橋の上から川を見下ろすのを一度やめにして、駅へと歩き出す。

 ぎらぎらした分だけ取り返しがつかないことを太陽は知っていて、それでも走る、走り続けることの、重みで汗が滴り落ちる。つとめて冷静にぬぐえば、無限の中の一瞬を延々繰り返しているみたい。スヌーピーの花色のハンカチがしっとりしている。駅までの直線で踏んだ分のサンダルのクッションがつぎつぎ返ってくるように心臓が痛む。電車に乗り込むと、いつもそう。これがなかなかいいのであって、夏だとおもう。


 今日の電車には蝉も乗っていて、動じない顔がぐるり、ぐるり、と周りを見渡しているみたいだった。足先で少年がつつけば、ぎぎ、と震えて、動かなくなった。それをみていた。たぶん、三人ほどはみていた。わたしはその中のひとりだった。マスクの下で優しい顔をしていた。汗がこめかみから流れ落ちる。電車に乗り込んだわたしと、あの突かれた蝉の、たいらかな距離。散ると散らされることの距離。

 イヤホンをさして、わたしはひとり、そこから飛び立った。

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