好きな音楽ってなぜ被らないのだろうね
クリープハイプが好きだ。
それはもう本当に恐ろしく好きだ。自分の中の旬が去ってもまだ好きだ。思い出がこびりついて辛くても好きだ。今のセフレ音楽みたいな立ち位置でも、曲作りの才能がずば抜けてあるんだって思う。初めて憂、燦々を聴いた時の涙の味も覚えてる。痺れる感覚と共に、心のどこかが警鐘を鳴らすように揺れた。あれが16のことで、今はもう昔のことだ。
exダーリンも、二十九、三十も、縋るように聴いていた時期があった。どこか崩れた歯車のような、美しさがあった。
昔から音楽はすきだ。何を聴いているの?と聞かれると、答えに詰まる程度には好きだ。
実際、なんでも聴いているような気がする。バンドも聴くし洋楽も聴く、ボカロも聴くし、ラップもヒップホップも聴く。
カラオケに彼と行ったときに、「じゃあさ、愛する!愛を伝える!みたいな歌でこれだってやつ、なに?」って聞かれてすごく答えにつまった。
一番に出てきたのが、踊っての下津さんのうたうフィッシュマンズの頼りない天使、次に出てきたのがゆうらん船のサブマリン。
でもこういうのって、自分一人のかみさまだろうって気持ちもあって、答えに詰まった。どちらを言っても伝わらないだろうって相手をなめてる気持ちもあった。たぶん、相手の求めてるのってこういうのじゃないなっていう気持ちもあった。
逆にどういうの?って聞き返すと、今歌ったやつ、と言われた。super beaverのなにかだった、と思う。ストレートに素直に愛を伝える歌詞で、曲調も明るく馴染みある感じで、聴きやすく、されど印象には残らない。好きな人にはもうしわけないが、わたしはsuper beaverは歌詞と曲がささらない。
なんというか、わたしはかなり広く聴いているはずなのに全く被らないのが本気でちょっと悲しくなった。で、結局、BASIの愛のままにとか言ったと思う。絶対もっと他にあるのに。
音楽の趣味が被らなくても悲しくならなくていいはずなのに、大事な部分がずれてる気がして本当に悲しくなった。でも、わたしの好きなものがひとと被る時なんて音楽でも本でも一回もないから、そんなものなのかとも思った。
でもやっぱり悲しかった。
お母さんからそこでラインが入った。
“Halo at 四畳半とウォンカと聴いてた
懐かしい”
さすが母。秋はたしかにウォンカドーレ聴きたくなるよね。
24.0829
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