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金魚の足跡

 袖の中途半端な、やわらかな布をきて、彼女はわらっている。犬がその横でうんとのびている。のびると、犬は皮膚になって、おもさがそこにいる。わたしがシャッターをきれば、それがまるごと吸い込まれるようでいてそれは違って、別離が生まれるだけで、だからこそいい。熱がべったりと喉を濡らす。喉に生えた毛のことを想う、それをゆっくりさするみたいにして、声をあげた。

 昼寝から起きると、窓の外はぎんぎらに照らされていた。夏の時間はちょっと苦い。うまく飲み込めなくて、少し出遅れるかんじがある。それは夏の飲み口が優しくできていないからみたいな話でなく、すべてがねっとりとしているから。まとわりつくものってみんな嫌いだ。親の言うことも、醤油ラーメンの残り香も、近い家から聞こえるなき声も、しけったスナック菓子を無心で食べたあとの人さし指も、いまのあなたの体温も。だから、うまく流れていかない時間で、からだをもてあましていることが夏の正しい泳ぎ方かもしれない。

 お祭りに行った。お祭りと言っても、屋台や花火メインのそれではなく、無数の灯籠をゆったりりみるようなそれだ。
向かうと雨が降りだして、わたしが折り畳み傘をさすと、彼は傘をさしたから降ってくるんじゃない?なんていつもの傘否定をはじめたけれど、彼が傘を好まない理由なんてそんな中学生みたいな理論じゃなくて、ただわたしとくっつけないからだともう知っている。すぐに開かせた彼の傘は暗くておおきな森みたいで、ちょうど2人の間にリス3匹ほどの距離が空いた。彼のことは大切だと思うのに、必要以上に近づきたいとは思えない。手を繋ぐことにはなれたけれど、それ以上に詰められたいとも思わない。手を繋ぐことに慣れたのさえいいことと言い切ってしまえないのは彼以外の男性とでも手を繋いでしまいそうになるからだ。彼だから繋げる、彼だからゆるせる、みたいなものがきっと、カップルにはあるはずなのに。

 写真を撮られるのは苦手だ。動けないのが苦しい。カメラで縫い取られるよりも、水槽で泳いでいたいと思う。彼に言われた通りにしゃがんだり立ったりして、遠い目をしながらそう思う。
綺麗だね、とさえ言わずに、ぼうっと景色を見る時間が欲しいのに、彼は写真を撮ることに夢中みたいで、撮り終えたら満足したみたいにわらっていた。2人で撮ろうってあかりの前で試行錯誤した時間を思い出すよりも、2人でみた同じものの記憶のほうが大切にできる気がした。でも、そういうことも言えなかった。

 帰り道、思い切り炭酸をのんだ。ひとりであるく夜道は金魚の足跡を辿るみたいだった。電灯があかるくて、ローソンの看板がいつもより孤独に光っている。鮮明なのは風だけで、わたしの頬をきって進む。まきあがった夜に腕を預けてステップを踏めば、一人でもお祭りになれる気がする夏の夜だった。


23.0808

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