【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第44話-春、修学旅行2日目〜紗霧②

 修学旅行2日目の夜。宿の和室で修学旅行生達が騒いでいる。紗霧は一人、広縁で外を眺めていた。星も見えなくはないが、和室からの明りが邪魔をしている。炭酸水を口に含んで、テーブルに横たわるスマートフォンを眺める。貴志からのメッセージはまだ開いてもいない。
 星が見たいなあ。夜空いっぱいに広がる星が見たい。
 外は怖くて出られない。貴志が横にいてくれれば出られるだろうか?それはもう叶わない事なのだけれど。
 2年前のあの日のように並んで…。あの林間学校の夜のように。

 夕食を終えた如月中学校1年生達は、後片付けを終えると、それぞれのテントに散っていった。
 名目上は「早く寝ろ」と指示が出ているものの、施設の消灯時間までは教師たちも、黙って見守ってくれている。 
 トイレからの帰り道、紗霧は広場の東屋に光るものを見つけた。四角い灯りは恐らくスマートフォンの画面だろう。
 誰だろう?ひょいと顔を覗かせると、聞き慣れた声が聞こえてきて、その後で声の主を確認することが出来た。
 貴志が通話している。ちらり。貴志がこちらに気づいて目が合った。なんだか気まずい気分だ。

「じゃあ留守番頑張れよ。母さんのこと、よろしくな」
 お父さんなの?そう聞きたくなるような大人びた言い方に、紗霧は目を丸くした。その後で眩しそうに目を細める。
 通話を終えた貴志が、紗霧に向き直った。
「弟が今一人だからね、電話してた」
 やっぱりお父さんなの?
 そんなツッコミを頭に浮かべながら、紗霧は貴志と同じベンチに腰をおろした。
 貴志の父はへき地医療に携わり、単身赴任中らしい。母も内科医で夜は遅い。
 貴志たちは普通の兄弟よりも、親子に近いのかも知れない。毎日学校帰りにスーパーから食材を抱えて帰る姿を、紗霧も何度か見かけている。

 弟の悟志も如月中学校を目指しているため、彼が勉強を教えているらしい。さすがに掃除は頻度を下げたらしいが、食事の準備や片付け、洗濯など家事に追われる毎日を過ごしていると聞いた。
 その上で自分の勉強は怠らず、テストも学年上位を保っていた。さらには護身のために古武術も習っているらしい。
 同じ24時間でどうしてそれだけのスケジュールを詰め込めるのだろう。
 学校では王子様扱いでみんなに囲まれ、プライベートは多忙。気が休まる時間は取れているのだろうか?
 林間学校で家を空けている時くらい、中学生らしく、等身大の自分でいてもいいはずなのに。結局は家のことが心配らしい。

 いいお父さんになりそう…。そう思ったところで顔が熱くなるのを感じた。
「心配なんだね」
 謎の恥ずかしさをごまかすように尋ねてみる。
「まだ小学生だからね」
 あなたも一個年上なだけの中学1年生ですよ。そんな言葉を遠慮なくぶつけてみようか、それとも飲み込むか…。そんな事を考えていると、
「まあ、心配なのは母さんの方だけどね」
 そっちなの?
「俺たちのために頑張ってくれてて、自分の事がまるでできてないんだ」
 あなたがそれを言うの?中学生らしく、もっと自分の事ばっかりでもいいはずなのに?
「母さんがリビングでお化粧した後に片付けないから、晩御飯作る前に、毎回片付けてるんだよ」
 ああ…そういう自分の事がまるでできてない…。
「父さんがデレデレで何でもやってあげてたから、ひどいもんなんだ。
 それで単身赴任するなんて、丸投げも良いところだよ」
 弟以上に世話の焼ける母。貴志はすごく楽しそうに話してくれた。家族への愛情が滲み出る。

 この人と結婚したら、こんな風に愛されるんだなぁ…。
 え?
 頭に浮かんだ「結婚」の二文字に、紗霧は戸惑った。結婚どころか、まだ付き合ってすらいない。そもそも「まだ」ってなんだ?王子様を求めて群がる女子たちの垣根すら越えられていないのに。
 否、何度も越えている。今も夜の闇に包まれて、貴志と二人。テントの灯りが星のように地上を彩り、広場の東屋を取り囲んでいる。二人はその中央で今、たった二人。
 ムーディーなジャズが似合いそうな雰囲気の中、紗霧の鼓動はハードロックを奏でそうな位に、激しく時を刻んでいる。
 鏡を見なくてもわかる。顔が赤い。熱くなった耳が、それを教えてくれた。

「ごめん、俺ばっか喋ってた」
 俯いた紗霧を見て、貴志が気まずそうに言葉を止めた。二人きりが嬉しくて、つい話しすぎてしまった。坂木さんはずっと黙って聞いてくれていたが、退屈させたかもしれない。
 ふるふると黙って首を振る紗霧に、ホッと胸を撫で下ろす。
「星は好き?」
 貴志は上を向いたが、屋根が邪魔して空は見えない。だけど、紗霧が頷いたのは逃すことなく見えた。
「ここ、周りに明かりが少ないから凄いんだよ。
 管理棟の向こうとか、めっちゃキレイだったんだ」
 貴志が立ち上がる。そして…。
「良かったら見に行かない?」
 紗霧にすっと手を差し出した。あまりに自然なエスコートに思わず紗霧も手を伸ばす。
 二人の手が繋がれ…そうな瞬間に、はっと気がついた紗霧が手を止めた。指先と指先がそっと触れ合う。
「そ、そういうところだよ…。王子様」
 弾かれたように手が離れて、紗霧がそっぽを向いた。今の顔は貴志には見せられない。動揺し、狼狽し、慌てている今の真っ赤な顔など。
 だから気が付かなかった。貴志の顔も、夕暮れ時に逆戻りしたような朱に染まっていたことなど。

 とくん。とくん。心臓の鼓動が聞こえる。
 鼓動の音に、二人の足音が重なった。同じ歩幅、同じ歩調で二人が夜道を歩いていく。
「ごめん…酔っ払った母さんを起こす時のクセなんだ」
 ランタンを片手に一歩前を歩く貴志の声が、夜の闇に吸い込まれていく。
「うん…。そうなんだ。あんまり自然だったから、みんなにやってるのかと思ったよ」
 紗霧のその一言は、貴志が全力で否定した。静かな風が二人の間を吹き抜ける。
 貴志は紗霧に怪我をさせないよう、慎重に足元を照らしている。月明かりの無い夜のキャンプ場は真っ暗だ。尖った石や、ささくれた枝なんかを踏んで痛い思いをさせないように、一歩前を歩く。
 お陰でお互いに相手の顔は見ないですんでいた。
 今は照れてしまって、向き合うことなんて出来ない。
 ゆっくりと進んで、管理棟を越え、キャンプ場の端までやってきた。

「わあ…!」
 地上の明かりから開放されて、山と空の境界も曖昧なくらいの暗闇。いや、逆に境界ははっきりとしていた。
 山は闇に包まれている。しかし見上げた空には一面に星の絨毯が広がっていた。
 プラネタリウムでしか見たことのない無数の光点。しかしこれは作られたものではなく、この宇宙を彩る光たちだった。
 この無限に広がる光の海の中で、自分たちの住む世界はその内のたった一つ。そしてその世界の中の無数の命の中で、今ここで並んで星空を見上げているのはたった二人。
 この世の全てが二人のために存在しているような錯覚に陥るほどの…光と闇のコントラストに、紗霧は声を震わせて感動していた。
「うわぁ…」
 感嘆のため息しか出てこない。人は心から感動したときに、こうも言葉を見失ってしまうものなのか。

「うわぁ…うわぁ」
 読書家の紗霧が完全に語彙力を失うさまを見て、貴志は心のそこから歓喜の鼓動が湧き上がってくるのを感じていた。
 同時に湧き上がる衝動。
 ああ…好きって言いたい!

 貴志が心から湧き上がる衝動を、勇気のなさで吐き出せずにいる横で、言葉を失った紗霧にも湧き上がる気持ちがあった。
 ああ…手をつなぎたい!手を繋いで、寄り添って、いつまでもこの星空を眺めていたい。
 夜が明けて、また日が暮れて、夜が来て、雨が降って、また晴れて、雨が雪に変わって、また雨に戻って…。
 その間中、ずっと…ずっと隣でこうしていたい。
 恋。その言葉を意識するよりも先に、紗霧は貴志との永遠を望んでいた。
 
 彼らの頭上で瞬く星たちの一つが、ふたりの願いを運ぶように、流れていく。

 あの日の星空は、目を閉じればいつでも思い出せるくらいに、まぶたに焼き付いている。
 もう手を繋ぐことは出来ない人だけど…。あの時生まれて初めて願った永遠。その気持ちも永遠に閉ざされてしまった。
 貴志と離れて心の大半は亡くしてしまったけれど、彼への気持ちは生きている。
 そう…彼を幸せにできる人が私じゃなくなっただけなんだ。
 これからは彼の幸せを願って生きていけばいい。彼の幸せを願うのは、今までと同じことなんだから。その相手が、自分ではなくなるだけ…それだけ…。
 それだけなのに…。彼からのメッセージが怖くて開けられない。

 広縁のテーブルに水玉が宿る。ふすまの向こうで、楽しそうに笑う同級生たちに気づかれないように、紗霧は静かに、静かに泣いた。

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