【知られざるアーティストの記憶】第74話 テラクウォーツとケマンソウ
Illustration by 宮﨑英麻
*彼は何も遺さずにひっそりとこの世を去った。
知られざるアーティストが最後の1年2ヶ月で
マリに遺した記憶の物語*
第10章 5度目の入院
第74話 テラクウォーツとケマンソウ
2021年12月30日。マリはアマと名乗る友人の家にテラクウォーツを買いに行った。買うことを決意した理由の一つは、メイが施してくれたこの不思議な振動に魅せられ、これを持っていれば仙骨先生やタケイさんやメイなどの施術を定期的に受けなくても、自分や家族の体調のメンテナンスを自分で行えるという可能性を感じたからであった。もう一つの理由はもちろん、彼の体調の改善にもきっと役立つと感じたからだった。
アマを通じてテラクウォーツを新たに導入する者のほとんどは、メイを始めとするヒーラーや施術者であり、自らの施術にそれをオプションとして付け加えた。とりあえずは自分と自分の家族、そして心の家族である彼に施すことだけが目的であったマリは、そんなヒーラーたちに交じってテラクウォーツの講習会などに参加する機会を得ることになっていった。マリはこの日から、練習がてらこれを毎日自分のチャクラに当てることを、彼の家の中で行った。それは、音や振動で家を浄化するというマホのアドバイスに則ってもいた。
ところで、年末も押し迫った日だというのに、アマはマリをもてなし、フラワーエッセンスに対応した「植物のカード」を引かせてくれた。
「このカードは、南米に渡ってプラントメディスンを学んだシャーマンの友達が使ってたものなんだけど、相当奥が深いんだよね、これ。」
アマは目をきらつかせて、ほがらかにそう言った。マリがこのときに引いたカードは「ケマンソウ」、「血を流す心臓」を意味するカードであった。
アマが見せてくれた解説を読んで、マリは今このカードを引いたことの意味に思い巡らせた。(→この記事の末尾に「ケマンソウ」のことばを載せます。)
彼はマリが持ち帰る洗濯物を、決して洗わなくていい、そのまま置いておいてくれと念を押したが、マリはそんな言葉には耳を貸さずに、持ち帰った翌朝に洗濯した。せっかく握った、愛する男の服を洗うというこの上ない幸せのチャンスを、そう簡単に手放すはずはなかった。どこで洗濯をするのかは迷ったが、家族の居ない時間に自宅の洗濯機を回し、それを彼の家まで運んでベランダに干した。まるで彼がそこに立っているように、彼の服が風にたなびいているのを見て、マリは一人感慨にふけった。
「蕎麦かりんとう、ありますか。」
日本中の人が、頭の中の半分は今夜の年越し蕎麦によって占められるであろう大晦日、客の呼び込みをする蕎麦屋の店員に向かってマリは尋ねてみた。
「えっ、蕎麦かりんとう……はありませんけど、年越し蕎麦はいかがですか。」
「あ、いえ。入院している人に届けるので、蕎麦かりんとうを探しているのです。」
店員は複雑そうな笑みを浮かべた。マリは結局、何軒目かのスーパーでやっと蕎麦かりんとうを見つけて、洗濯した服と共に彼に届けた。彼が特別に好きかどうかもわからないその素朴なお菓子を届けた理由は、
(あなたとともに年を越すよ。)
という意思表示に他ならなかった。
除夜の鐘みたいに108回、ではなく8回、ナースステーションの前で打ち鳴らそうかと目論んでいたテラクウォーツを、マリは車の中に忘れた。しかし、出かける前に彼の寝室で打ち鳴らしながら、
「今から会いに行くよ。」
と叫んだのが聞こえたかのように、会うなり彼は
「今日あたり来るかと思った。」
と言った。
その夜、いつものように夫と共に用意して家族で食べた年越し蕎麦の味は覚えていない。
2022年が明けた。マリは家族で初日の出を見て、1月3日から夫の実家に一泊した。夫の実家は車で4、50分という比較的行きやすい距離にあったが、子どもたちが大きくなるにつれて足が遠のいていた。しかし毎年年始には、夫の休みに合わせて顔を出すのが常となっていた。
マリはこのところ、ダージャの発する言葉がやけに胸に響くようになっていた。ダージャはこの時期に、愛というものの正体について、角度や言い回しを変えて繰り返し発信していた。動物の言葉を理解する彼女が語る愛は、どれも動物たちから教えられたものであるゆえに、極めて本質的で説得力があった。それはマリに対して、「ハートが反応しない相手」である夫と一緒に居続けるのかという問いを鋭くつきつけていた。
そんな矢先だった。夫の実家で過ごしているときに夫が、
「マリの周りは自立的な女性たちが多いから、離婚する人もかなり多いよね。」
と言い出したのは。この話は普段から夫がよくするものであったが、このときのマリは虫の居所が悪かったのか、はたまた夫の言い方の中に潜む批判的で好奇的な目線に苛立ったのかもしれない。
「え、離婚したっていいと思うけど。今年あたり考えてもいいかもよね?」
マリは夫のことをきっと睨みつけながらそう口走っていた。
「離婚なんて言い出さないでよねえ。子どもたちもいるんだから。」
正月早々、年老いた義母をうろたえさせてしまった。夫はマリの挑戦を受けて立たなかったが、
「子どもたちの心の傷のことを考えないとな。二十歳くらいになれば受け入れられるだろうけど、5歳じゃ難しいだろう。」
と言った。マリはそれ以上は言わなかったが、義母や夫の言う「子どものために」という考え方が時代遅れのように感じられた。
1月5日、ダウン症の書家である金澤翔子の書道展を観て、その作品からも、運よく会えた翔子本人からも強烈に発せられるまあるい大きな愛を全身に浴びたマリは、その足で彼の病院に寄った。彼にリクエストされていたバナナを持って行った。
この間までの抗がん剤治療で今、白血球と血小板の値が最低まで落ちていること、医師から睡眠剤をもらい、眠れていること。来週の骨髄検査の結果によって退院日が決まるので、今は何とも言えないことを彼はマリに報告した。この日の彼はやたらと「ありがとう」を口にし、感傷的に見えた。
ナースステーション前の5メートルを隔てた逢瀬でマリは、テラクウォーツを掲げて彼にお披露目した。その場で鳴らすことはさすがに憚られた。
「買ったの?」
と彼は訊き、マリはこくんと頷いた。
「いくらしたの?」
マリは指を4本立てて見せた。
「4万?」
こくん。
「ここで会話はしないでください。」
とても言いづらそうな面持ちで、とうとう看護師さんから注意を受けてしまった。しかし、このときまで好きなだけ会話する二人を見逃してくれたことに、感謝せずにはいられなかった。
★この物語は著者の体験したノンフィクションですが、登場人物の名前はすべて仮名です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?