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【知られざるアーティストの記憶】第41話 不穏な結果と、動き出した代替療法

Illustration by 宮﨑英麻

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前回

第7章 触れあいへ
 第41話 不穏な結果と、動き出した代替療法

2021年9月16日の昼前、マリは急な来客を迎えるために慌てて玄関の周りを掃除していた。来客とは、友人の中医足つぼ師のメイであった。

マリはその一週間ほど前に、熱いお茶をこぼして左手首にやや深手の火傷を負っていた。長袖のシャツに染み込んだ淹れたてのお茶が皮膚に貼り付き、シャツのしわに沿って水膨れを作った。マリは火傷を軽く見て医者に診せなかったが、広範囲に皮膚を失った傷はいつまでもジュクジュクしていて、一向に治る気配を見せなかった。膿みはしなかったが浸出液が出続ける傷をガーゼで覆い、その上からバンダナで縛った手首はずっとズキズキし続けた。今さらながら皮膚科を受診しようと思ったその日、その傷を見て心配したメイが、「コウケントー」という光線治療器具を持参し、マリの家で照射治療を行うことを提案してくれたのだった。

コウケントーというのは、太陽光線から有害な紫外線だけを抜いた光線を患部や体の各部位に照射することで、血行や新陳代謝を促し、自然治癒力を高めることが期待できる治療法で、日本では大正時代あたりから伝わる歴史のある民間療法なのだという。様々な怪我や疾患の改善に目覚ましい効果がいくつも報告されていて、皮膚の再生にも優れているから火傷の改善は期待できるかもしれないとメイは言う。マリはどうせ出遅れている皮膚科受診をもう少し先に延ばしても、忙しいメイの隙間時間に家に寄ってもらうことにしたのだ。

忙しなく玄関を箒で掃きながらも、いつもの癖で彼の家のほうを見やると、開け放たれた彼の部屋の窓辺に彼が佇んでこちらをじっと見ていた。まだ午前中であったが、彼はすでに検査から戻ってきていたのだ。マリは気が急いていたが、彼の様子が気になり、彼のほうに歩み出した。

「火傷はどうですか?」
彼は初めにマリの火傷を気遣った。沈んだ声であった。
「入って。」
とマリを部屋に上がらせて、今日の血液検査の結果を見せた。
「ここを見て。」
前回退院時の数値と比べると、血小板の値だけがガクッと下がっていた。医師もそこを懸念したらしい。マリはそのときには知らなかったが、血小板の数は白血病の状態を知るためのキーになる数値の一つであった。何も問題がなければ3ヶ月先を予定されていた次回の検査が、1ヶ月先へと変更された。

「私はもうダメなのかもしれない。やりたいこともあったんだけど。神様が決めているのかもしれない。さびしいけれど。あなたにも何もしてあげられないかも。……生きている間は、つきあってください。」
ガクッと肩を落とした彼は、そう言うと後ろを向いた。

血小板数の減少は、それだけで白血病の悪化を結論付けられるものなのかマリにはわからなかったが、少なくとも良い傾向でないのは確かであった。元気そうだった彼の様子に、今回の検査を完全に楽観視していたマリにとっては、この不気味な結果は寝耳に水であった。

しかし、マリはじっとはしていなかった。立ち止まってしまった彼の代わりにすぐに動き始めた。まず、太極拳のY先生のアドバイスをもう一度彼に伝え、朝のマリの気功後に、彼の体に「愉氣(ゆき)」をさせてくれるよう頼んだ。彼は力なく頷いた。

Y先生とは、数日前に朝の気功の途中で鉢合わせた。先生も太極拳の帰り道に、マリが以前お伝えした気功を行っていた。しばらく二人は黙って同じ空間で気功を共にした。先生の所作はどの一つをとっても美しかった。先生は決してマリのペースの邪魔をせず、マリが行程を終えたことを確認してからマリに話しかけた。

「三丹田開合は、このようにやってもいいわよ。自然界の“氣”をここに集めて自分の体の中に入れるの。台風の後みたいに大地が乱れているときは、マイナスの氣も拾いやすいから、逆に気功をやらないほうがいいわよ。マイナスの氣を入れてしまった場合に、取り除く方法を教えるわね。」
そう言って、先生はマリにレクチャーをした。
「気功を終えた直後は、体にエネルギーが満たされているから、ぜひご家族に手を当ててあげるとすごくいいわよ。お子さんにもね。でも逆はダメ。お子さんに手を当ててもらうのはダメよ。」
「へえ、ダメなんですか?子どもの手って気持ちいいのに、意外ですね。気功の後に手を当てるのって、パワフルなんですね、やってみます。」
「ぜひやってあげてください。ところで郭林先生の本(註1)、まだ途中だけど、とても面白いですよ。詳しく気功のやり方が書かれているけれど、病気の種類によってやり方が少しずつ違うのね。」
「え、そうなんですか?その本には、白血病患者の気功法は載っていましたか?」
マリは思わず喰いついた。そして、近所の知人に白血病と闘っている人がいて、力になりたいと思っていることも伝えた。
「さあ、どうだったかしら。まだ全部読んでないのでわからないけれど、あと半分で読み終わるので、読み終わったらその本をお貸しするわね。」
先生は優しく微笑んだ。その笑顔は、先生の心の美しさを表していた。

一方、足つぼ師のメイは予定よりも遅く到着し、マリの手首にコウケントーを当て、30分後にはまた別の友達のところにコウケントーを届けに慌ただしく出かけた。彼女は困っている友人を放っておけない性格で、損得勘定抜きに僅かな時間を縫って奔走する。マリはメイに、お礼のメッセージを送ると同時に、お友達からコウケントーが戻ってきたら二週間ばかり私に貸してもらえないだろうかと、甘えついでに頼み込んだ。コウケントーはメイの家族のホームドクターであり、子どもたちの怪我や腹痛など、日常の中で必要なときにないと困るものである。そこを承知でお願いした。

メイにも、「近所の知人」が白血病で抗がん剤治療を受けており、現在治療が一段落して「寛解」、経過観察の段階であること、しかしながら化学療法だけでは限界を感じ、再発しないための代替療法を早急に模索したいこと、コウケントーにピンときたのでネットで調べたら、わずかながら白血病が改善された症例が見つかったことなどを伝えた。

コウケントーの参考文献を調べましたが、光線研究所発行の7冊と光線研究誌で1件だけ治験例がありました。

治験例
45歳の男性が、39歳の時に急性骨髄性白血病を発症しました。

1000-4008番の治療用カーボン(註2)を使って照射。

次第に食欲が出て、仕事も出来るようになりましたが、抗がん剤の副作用で左手の小指がしびれて動かなくなっていました。

1年2ヶ月の治療で左手の小指が元通りに動くようになりました。

6年後の現在は血液検査も良好で、医師から「珍しいケース」と言われている。

参考文献:「可視総合光線療法治療報告と症例集」P173

インターネットからの情報

メイは思った通りに快く協力してくれることになった。

(註1)マリが実践する気功の大元である、中国の郭林(かくりん)気功のテキスト。『郭林新気功―癌と慢性病患者のための自習テキスト』

(註2)コウケントーのカーボンカートリッジで、癌治療向けの品番。

つづく

★この物語は著者の体験したノンフィクションですが、登場人物の名前はすべて仮名です。


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