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ジェフェリー・サットン書簡集より抜粋 旧友ギャレット・ミラー宛[告白]

そして僕が人間を捨てた後、僕の内部に居たのは[アメーバ]だった。僕は大層嬉しかった。何故ならそれは、僕が人間だった時に心の奥底でずっと感じていた、僕の姿そのものだったから…。ギャレット、君には僕が人間に見えていたと思うけど、僕は自分を人間だとは認識していなくて、じゃあ何だと思っているかっていうと、まず少なくとも人間の形はしていなくて、でも決定的にこれと言えるものは無く、世の中に該当するものが見当たらず、自分の知る限り一番近いものがアメーバだったんだ。ああいう単細胞で、どこか形の定まらない、ウネウネしている生っぽい生き物…。それだから僕は、うっかり自分が人間である事を忘れてしまう事もよくあって、例えば朝起きてまだどこかぼうっとしている時など、自分の手が視界に入ってびっくりしてしまう時もあった。一瞬自分の手が何なのか分からなくって、ベッドの中で慄いてしまうんだ。でも寝起きの頭で少し考えて、ああそうかこれは手だ、手だったと思い出す。そしてベッドから起き上がり、バスルームへ行って、鏡を見てそうだった、僕はこういう顔で、男で、人間をやっていたんだっけとだんだん記憶が甦ってくる。そして身支度をしながら自分の大部分を思い出し、外側を人間の形にして、仕事に出掛けてゆく。それが日常だった。だから僕の感覚でいえば、アメーバが外を歩いたり仕事したり買い物したりしていたんだけど、傍目から見ればもっぱら人間にしか見えなかっただろうね。でも実はね…僕は、万が一自分がアメーバだという事が周りにばれたらどうしようなんて急に不安に襲われる事もあった。何かの拍子に突如人間じゃない事がばれて、あっ!こいつ人間じゃない!こいつアメーバだぞ!と指差されて、複数の人に追いかけられて、警察に捕まって、法律違反でしょっ引かれたりしないだろうか、そして裁判になって、人間ではない事が確定したら、その場合人間としての戸籍とかはどうなってしまうんだろうかとか、そんな事を本気で心配したりもしていたんだ。でも。僕は今、ようやく人間を捨てて[アメーバ]と対面出来た。これからはもう幸福な日々だけが待っていると思った。でもね…、実際の生活にはちょっと悩みがあって…。[アメーバ]はとても純粋な故に、欲に対しても素直で、特に死へのこだわりが強くて、僕は時々それに振り回されてしまうんだ。僕が生活の中で見聞きする、死に関するものへやけに敏感に反応するんだよ。反応するだけならまだいいけど、[アメーバ]は死に出会うとまるで鳥餅みたいにそれをくっつけて、内部に取り込むんだ。不意打ちでそれをされると僕の生活に支障が出てしまう事もあるから、最近は出来るだけ死に関するものに接触しないように気を付けているんだけど、先日ちょうど鳩が道に落ちている所に出くわしてしまって、うっかり至近距離で死を浴びてしまった。その瞬間[アメーバ]は身震いするほど喜んで、何しろ死が久しぶりだったから、死だ、死だぞ、死だ、ってはしゃいで、その場でその死んだ鳩を内部に取り込んだ。久しぶりだったから僕は少し気分が悪くなって、その日は仕事を休んだよ。[アメーバ]は死が好物なんだ。そうやって[アメーバ]が取り込んだ生物の死は、内部で増える一方だから、僕の中はもう大分大所帯になりつつある。そしてどう言ったらいいかわからないんだけど、取り込まれた死は[アメーバ]の側で死んだまま生きてる。死んだまま楽しそうにしてる。[アメーバ]も満足そうだよ。僕はというと、まあ[アメーバ]の死への執着には少し閉口するけど、この生物達は好きなんだ。だって[アメーバ]が取り込んだ死の生物は、本当にどれも美しいから!きっと、何でもかんでも考え無しに取り込んでいる訳ではないんだろう。[アメーバ]なりの基準があるんだと思う。特に僕が好きなのは[乾いた犬]だよ。[乾いた犬]は、いつも白っぽい石造りの廃墟に佇んでいて、口には誰かのへその緒を咥えている。そして僕は[乾いた犬]とよくこんな遊びをする。そのへその緒は一体何処で拾ったの、誰が生まれ落ちた場所なの、僕もどうにかしてそこへ行きたい、僕はきっとそこに置いてきたものがある、そう言うと[乾いた犬]は、「俺の脊髄に絡み付く血の両手、心はずぶ濡れて」そう言って何の迷いも無く前足と奥歯でへその緒を引きちぎるんだ。これが僕の大好きな[乾いた犬]。[乾いた犬]が咥えているのは、たったひとつの希望なんだ…。ギャレット、君は常識人で友人思いだから、君が今思っている事はなんとなく想像がつくけど、精神疾患の判断はあくまで客観的な視点だと思うし、僕のように自分は人間ではないという自覚がちゃんとありつつ尚且つ人間として何の問題も無く真っ当に社会生活を営んでいる者にとっては、医療が介入する余地はないんだよ。でも願わくばギャレット、君という人が本当に居てくれたらどんなにいいかと思う。そうしたらこの[真空を消費する玉蟲]も[山頂に脚を奪われたガゼル]も[冬眠のまま繁殖するホッキョクグマ]も、お腹の中から実際に取り出して見せてあげるのに。彼らの美しい死を君にも見せてあげたいよ。餌をあげ続けたら盛んに甘えるようになって、すごく可愛いんだ。君も必ず気に入ると思うよ。









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