荒波には丸腰で飛び込め『2023.11.6』
仕事を辞めて、特に何もしない中で少しの発見や楽しみがあったら書こうと思っていた日記。
毎日書き進めてこれで38本目になる。
たまに自分の投稿を見るが、この時こんなこと思ってたんだーと、なんだか全くの他人を作品を見ている気分。毎日充実していて羨ましいなとよく分からない感想を持つ。
私は書いて数時間経った文章を読み返す時「これ誰が書いたんだ」現象が起きる。
私は、その時思ったことをその時にしか書けなくて、書いたことすら忘れてしまうのだ。
記憶喪失ではないので、さすがに自分が書いたという意識はある。でも、今同じテーマで同じ内容を書いてくださいと言われたらそれは出来ない。
私の文章は『なまもの』なのだと、過去の私が訴える。
だから私は推敲が苦手だ。
推敲をすると、推敲した今の自分が良いと思ったものに改善されていく。
でも過去の自分はこれがMAXだと思って書いているんだから、推敲前の作品が正真正銘の完成品なのではないかと、要らない考えを持ってしまう。
でも裏を返せば、数時間置くだけで客観視出来てしまうという利点があるのかもしれない。
作者不明の創作を、第三者目線で確認する。それが容易である性格は恵まれているかもしれない。
でもここ数日で、推敲が必要になる時代が私にも訪れた。
X(旧Twitter)で始めた140字小説。
同じ時期に出会った方々からのアクセスも関係しているが、大元はこれを始めたことによる影響で、Xのアクセス数が3倍になった。
私の創作を観てくれる人が多くなるとどうなるか。様々な視点から、自分の創作への感想が飛んでくる。かもしれない。
今まで気にしていなかったわけではないが、どうせ誰も見ていないし、いつでも消せるし。と思っていたもの達が簡単に消せなくなってくる。
これは進歩。大進歩だ。
責任を持って私の作品達を生み出さなくてはならない。
私の苦手な責任。責任。責任。
あんまり気負い過ぎるのも良くないが、ここ数日の変化で、表現者としてやっていく気持ちが強まってきている。
波がそこまで来ている。
今、波に乗る為のサーフボードをどれにしようか迷っているところで、あれも良いこれも良いとよく分かりもしないのに目移りばかりしてしまう。
「なんでも良いからとりあえず飛び込んでおいで!」
周りの人からの声が聞こえる。
数ヶ月前の私なら、怖気づいていたのかもしれない。でももう、仕事も無ければお金も無いし人望とか地位とか名誉とか元々無いものばかり。
私には守るものはない。
死ななければ問題無い。
そんな気がして、海まで足を進める。
今私は、時代の荒波の前に立っている。
ここからサーフボード無しで飛び込むか、とことん準備をしてウエットスーツまで買えるようになるまで待つか。
私は前者のような、頭の悪い人間になりたい。
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