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ジャーナリングって本当にすごい

2019年、11月だった。
しんどくてしんどくて
You Tubeで色々見漁ってた。

心理学、自己啓発、スピリチュアル、宗教
セラピー、ドキュメンタリー、お笑い、音楽、ダンス…


なんでもいいから手当たり次第
あれやこれやと「本当のこと」は
どこにあるのか常に探していた。

溺れて居るときに藁にもすがる、みたいな。
しかし、ただただ
You Tubeに溺れてしまうという悪循環。

そうした中でも、この人は
『本当のこと』を言っている
という人に辿り着けて

概要欄には、その人の主催する
クローズドなSNSコミュニティがあると知った。

その主催者の方ご自身で
構築された心理学の講座を持っていて
その講座生たちが交流し、
学びを持つ場でもあった。
 
でも、メインの目的としては
「ネガティブを吐き出す」という場所。

よくわからないけど、すぐに参加した。
でも、文章がうまく書けなくて。

「はじめまして。」
そこからの続きが書けない。わからない。

書けば書けるようになった

とぼとぼと言葉をひねり
やっとの思いで書いた。

すると、早速返信が。
「吐けーーー!!」って
言ってくれた方がいて。

わたしはそこでバコーンと
何かが外れて、思いの丈を
言葉にぶつけた。

何故ネガティブなことを
吐き出すことができなかったのか。

それは
『ネガティブなことを言ってはいけない、
言いたくない、認めたくない、
つまりもう一度味わいたくない』
という思いが自分を苦しめていた

ということに
おいおい気づくことになるのですが
それはまたの機会に。

自分をゴミ箱にしたくない

自分はダメなやつで
できないことばかり
という思いに支配されていた地点から

今、自分が自分だと
認識している自分

とはまた別の
これまで生きてきた自分という存在を
大切にしたい

心からそう思えたら
ネガティブを吐き出して
自分を楽にしてあげたいと 
思うようになっていった。

しんどいときに必要なのは
アドバイスではなく共感。

だって、取り繕っている自分が
本心の自分に共感してあげていない

自分が自分を嫌ったり否定している

四六時中そんな敵のような存在が
共存する入れ物である「自分」  

その自分という入れ物から
一旦ぜんぶ思ってることを
引っ張り出して、吐き出して

それを否定せずただ見守る。
共感する。
それだけでどれだけ救われるか。

わたしは自分の中で、
昨日の自分と今の自分と 
3年前の自分と15歳のときの自分と…
といった感じで無数にある
嫌いな自分の記憶に塗れていた。

嫌いな自分が嫌いな自分と
常に戦い、常に拒絶
常に裁き合っていた。

その自分で生きていたら
それはしんどくて当然で。

タガが外れた。

そのSNSへその日から、まさに
狂ったように文章を書くことに
没頭し続けた。

すると、自分で思っても見なかったけど
ものすごく長文ばかりが
湧き出てきて止まらなかった。

自分は文章を書くことが好きなんだと
気づくことができた。

文章で、そして自己表現として
更に、クローズドではあるが
自分の最も知られたくない闇を曝け出した。

自分の闇の部分を出す許可ができた。
すると光の部分も出てくるようになった。

主催者の方の講座も合わせて
オンラインで学びながら
アウトプットをするようになっていくと
みるみるうちに心が楽になっていった。
生きやすくなった。

これは何だったのか

自分が必死に隠してきた痛みを
曝け出せたこと(自己表現、自己開示)

そしてジャッジせず
文章を書きまくること
(瞑想状態に近いジャーナリング)

そしてその文章から自分は
何を感じ、思っていたのか
本当はどうしたかったのか
そして、今どうしたいのかが
見えるようになった。(内観)

かなり心身ともに回復してきたころ
そのSNSの「ネガティブ吐き出し」と
自分の状態が求めているものと
合わなくなってきてしまった。

わたしはネガティブ吐き出しをしながら
それを絶対に学びにしたい。
バネにしたい、糧としたい、
思っていることのすべてを文章にしたい。

で、その文章に思いを書き出すことを
「ジャーナリング」というものだと知って
「もう既にそういう手法として存在していたんだ…」
と、感心したのでした。

だから、自分ひとりで
やれるようになりたい…と思って
「ジャーナリング習慣化」の
モチベーションを高めてくれる
オンラインコミュニティに参加している。

結果、習慣化成功してます。

そもそも瞑想を習慣化に

とにかく自分には瞑想が必要だ、と
思い詰めていた。

前述したSNSから離れた途端
自己表現、自己開示、瞑想、内観

そのどれも手につかなくなってしまった。
パッタリと。

すると文章も書けなくなっていくし
自分のことがまたよくわからなくなっていく…

ひとりでノートに向かうと何も起こらない。
動けない。書けない。

ああーーーー
とにかく、瞑想がしたい。
でも、できない。

だからやってる人達の中に
入れてもらおう、って探した。

すると、オンラインで
「書く瞑想」ができるイベントを見つけた。

そして、参加してみて
とても手応えを感じたところ
「習慣化コミュニティ」があることを知り
参加するようになった、という経緯。

参加して半年以上が経ち…
昨日はそのコミュニティ初の
オフ会ということで参加してきました。

新緑の爽やかな空気でした

代々木公園にて、お外でジャーナリング。

みんなで、一斉に書く瞑想


机に向かってペンを一心不乱に走らせる
複数音を聞いたのって
高校生以来だったかも。

30分間ただひたすらにノートへ
言葉を書き連ねていた。

いろいろなお話もできて
楽しく過ごしてきました。

こうして文章を書くことを
再開できるようになったのも
ジャーナリングが習慣化できたからで。

更には、そのジャーナリングを
更に深掘りして自己分析する
プログラムがあって。

それに参加したことで
またnoteで発信することを再開できる
心の向きに変わりました。

そもそも、note再開のキッカケ


合気道の学びが深すぎて
アウトプットせねば
勿体なさすぎるとの思いから
noteへの投稿を再開した。

何にせよ本当に人との関わりのおかげで
自分が動かされているんですよね。

合気道を習いに行くことになったのは
そもそもパートナーの誘いがあったからで…

そもそも、noteでの発信を
勧めてくれたのは英語の先生だった。

そもそもそもそもキリがない。
そのことを忘れて
自分の足だけで立ってると思っていると
すっ転んじゃうんだよね。

おかげさま、って忘れたときに。

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