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名もなき村を輝かせる、黄金の絨毯。

『ビジネスパーソンの新・兼業農家論』の「コラム」 公開

8月28日(金)に発売されました新刊『ビジネスパーソンの新・兼業農家論』のコラム「スゴイ新・兼業農家ファイル」の一部を公開します。

《はじめに》を読む
《地方と都会、2拠点生活をして気づいたこと。》を読む
《大自然の中でゆったりと生きる、という選択。》を読む
《なぜ今「農家」こそが最強の職業なのか?》を読む

地域の特徴を活かして村を元気に! 集落を覆い尽くす菜の花プロジェクト

 この章間コラムでは、僕が関わってきたたくさんの「スゴイ兼業農家」さんの中から何名かを紹介させてもらっています。今回は、僕自身が兼業農家としてやっている活動の一部を紹介します。

 これまでも触れてきましたが、僕は今、東京でインターネット農学校を運営しながら、日本全国を行き来して農に関するプロジェクトに取り組みつつ、月の半分は故郷・広島の農村で過ごしています。

 耕作放棄地2・4ヘクタールを再生させ、「菜種・米・大豆」を作り、それぞれ「菜種油・米粉揚げパン・豆乳チーズ」へ加工し商品化。
 この加工のチカラによって、素材のままで出荷するより60倍も多くの利益が見込める、という話を序章でもしました。

 この菜種・米・大豆、実はそれ自体を作ることが当初の目的ではありませんでした。いずれも故郷・田万里町の「限界集落再生プロジェクト」の過程で生まれてきたのです。

今からでも自分にできることはないだろうか?

 「限界集落」とは、人口の50%が65歳以上になった集落のこと。田万里町も立派な限界集落です。序章でも話したとおり、田万里は広島県竹原市の山間にある町で、過疎化が止まりません。世帯総数176世帯、総人口422人、そのうち20〜30代の若者はたった24人です。

 僕自身、大学で上京してから人生のほとんどの時間を東京で暮らしていました。しかし数年前、田万里で米農家を営む父を亡くしたことをきっかけに、日本の農業の現状を目の当たりにすることになります。

 残された農地をどうしよう? と、地元の農現場の最前線の人たちに相談したところ、田万里町では「70歳の農家が若手」と呼ばれていたのです。

 これはこの町に限ったことではありません。日本全国の農村では高齢化と担い手不足が深刻化しているのです。この現状を目の当たりにしたとき、「何もしなければこの地域は滅んでしまう。今からでも自分にできることはないだろうか?」と、そんな思いが込み上げてきました。

 残された自分の土地で農業をやるだけでは、この現状は変わらない。上京してからの事業で学んだ「売り手よし・買い手よし・世間よし」の『三方よし』を考えたときに、自分とお客さんのためだけの農業をやっても意味がない、地域が元気にならないと、自分が本質的にやりたいところにつながらないと思いました。

 農村を元気にしたい、田万里という町自体を元気にしたい。そう考えたときに思いついたのが、集落全体をまるごと菜の花で覆い尽くす『有機あぶらの里プロジェクト』です。

国道2号線の両脇を『菜の花』で覆い尽くそう!

 田万里は稲作を中心にしてきた村だから、米ばかり作っていっても、今の風景と何も変わりません。これまで培われてきた稲作のスタイルを活かしつつ、地域の風景を変え、確かな地域ブランドを誕生させる方法はないか――。
 田万里は、南北を山に囲まれ、南から北の山裾までの距離が300mほどしかない盆地が約5km続く、まるで「うなぎの寝床」のような細長い地形。

 町の真ん中に国道2号線が通っていて、山側には新幹線も通っており、通り過ぎていく人は多いのですが、誰もそこが田万里という町だということは知らない。名もなき農村でした。

 これらの地形と特徴を活かして、かつての田万里町の活気を蘇らせたい。そう考えたとき、The CAMPusの活動を通じて、「米を作っていないシーズンの田んぼに菜の花を植えると、土が良くなるし人も観光に来る」(※1)という話を知り、「国道2号線の両脇を『菜の花』で覆い尽くそう!」と思ったのです。

その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし......

 僕は子供のころからロマンチストだったから(笑)、父が運転する車で国道2号線を通るとき、窓の外に広がる田んぼを眺めて、「この田んぼが全部あかるい色の花畑になったらキレイだろうなぁ」と妄想していました。

 それを実現させるときが来たように思いました。村を黄金の絨毯で覆い尽くして、『風の谷のナウシカ』の「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」……みたいに、その真ん中を駆け抜けられたらロマンチックじゃん、と(笑)。

 国道沿いに菜の花の絶景が広がることで、今まで通り過ぎていた人々が、足を止め散策し、この町を知るきっかけにもなります。人々が訪れることで、活気が生まれ、ここで暮らす人々も気持ちが若返るくらいに嬉しくなるだろうと思いました。

自然の摂理に則ったしくみを活かす

 さらに、菜の花は絶景を作ってくれるだけではありません。昔は、菜の花を採って菜種にし、それを絞って油にして、残りを田んぼの中に緑肥として入れることで肥沃な土ができ、米がよく育つ、というサイクルがまわっていました。

 しかし暮らしが変わっていく中で、「油はスーパーに売っているし、自分たちで絞らなくてもいい」「緑肥なんて漉き込まなくても、農協が売っている堆肥を買えば十分だ」という流れになっていきました。

 でも、本来はそうじゃない。菜の花を植え、菜種を絞り、緑肥を入れ、米を育てるという循環、自然の摂理に則ったしくみを活かすのは、うつくしく豊かな暮らしだろうと思いました。

 春の時期に村全体に菜種を植え、5月のGWには、観光客が菜の花畑を観に来る。そのあとは菜種を収穫して油を精製する。そして、いつも通り水稲を植えて秋になったら米を収穫し、今度は米ぬか油を生成する。

 残った米の芯は米粉にしてパンを作り、菜種油と米ぬか油で揚げて「揚げパン」にする。しかもそれらを全て有機で作る。そうすれば、「土から作った究極の揚げパン」になるなあと!

 こんなことを仕掛けて、地元の若者たちによるベンチャーが誕生したら面白いだろう、ということで自治体にも具体的に提案し、「進めていこう!」という機運になっていきました。

(※1)菜の花・・・畑を肥やして次に育てる農作物の手助けをする緑肥効果がある。
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著者 井本喜久(いもと・よしひさ)
ブランディングプロデューサー/一般社団法人The CAMPus代表理事/株式会社The CAMPus BASE代表取締役
広島の限界集落にある米農家出身。東京農大を卒業するも広告業界へ。26歳で起業。コミュニケーションデザイン会社COZ(株)を創業。2012年 飲食事業を始めるも、数年後、妻がガンになったことをキッカケに健康的な食に対する探究心が芽生える。2016年 新宿駅屋上で都市と地域を繋ぐマルシェを開催し延べ10万人を動員。2017年 「世界を農でオモシロくする」をテーマにインターネット農学校The CAMPusを開校。全国約70名の成功農家の暮らしと商いの知恵をワンコインの有料ウェブマガジンとして約2000名の生徒に向けて配信中。2020年 小規模農家の育成に特化した「コンパクト農ライフスクール」を開始。農林水産省認定の山村活性化支援事業もプロデュース中。

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