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万博と建築

退屈な議論だった。
勿論無料枠しか見る気がなかったけど、万博と建築というより政治と建築みたいな話に終始していた。
透明性を保ったと言われているコンペでさえ実態は必ずしもそうはなっていないし、もっといえば説明がなされるそれ自体にまやかしがあってそこを前提とした流れというものをいくつも見聞きしてきたから今更の議論だと思えて仕方ない。
それはその対象が国家プロジェクトであったり、注目度の高いものであればあるほどその傾向になるだろうし、勿論そうでない建築のコンペなどでも起こる。

退屈な議論だった。
勿論無料枠しか見る気がなかったけど、万博と建築というより政治と建築みたいな話に終始していた。
透明性を保ったと言われているコンペでさえ実態は必ずしもそうはなっていないし、もっといえば説明がなされるそれ自体にまやかしがあってそこを前提とした流れというものをいくつも見聞きしてきたから今更の議論だと思えて仕方ない。
それはその対象が国家プロジェクトであったり、注目度の高いものであればあるほどその傾向になるだろうし、勿論そうでない建築のコンペなどでも起こる。

東京五輪の際のプロセスだって同じだったはずだ。
細かな体裁は違っても大きな流れは同様であり、だからこそ、その後のザハ案が実現しないことがコンペ制度の崩壊と国際的日本の信頼の失墜を生むこと。根本の成立骨子がある基盤をも破壊してしまうことをするのは本気なのか?という指摘を磯崎新はしたと思ったが、それと今回のは違って山本理顕の指摘は表層の問題に対してチクチク言っているだけの代物に聞こえてならなかった。それに対する藤本壮介もなんか何が言いたいのかよくわからない言動を繰り返していて立場の責任範囲を誇示したがっているようにしか聞こえぬ、なんとも退屈なもの。
五十嵐太郎の存在も単に歴史の確認程度で、まあ東浩紀の発言や関与でなんとか体裁を保っている感じ。

建築とか建築家への過剰な期待があった遠い昔と違って、今の自分の視点はこの人たちがプロデューサーになることへの危機感しか感じないという・・なんとも理想と現実のギャップをただただ哀しい。
この後につながる後半戦をご覧になった方にその感想を聞きたいと思うので、ご覧になった方がいれば是非共有してくだされば幸いです。

東京五輪の際のプロセスだって同じだったはずだ。
細かな体裁は違っても大きな流れは同様であり、だからこそ、その後のザハ案が実現しないことがコンペ制度の崩壊と国際的日本の信頼の失墜を生むこと。根本の成立骨子がある基盤をも破壊してしまうことをするのは本気なのか?という指摘を磯崎新はしたと思ったが、それと今回のは違って山本理顕の指摘は表層の問題に対してチクチク言っているだけの代物に聞こえてならなかった。
それに対する藤本壮介もなんか何が言いたいのかよくわからない言動を繰り返していて立場の責任範囲を誇示したがっているようにしか聞こえぬ、なんとも退屈なもの。五十嵐太郎の存在も単に歴史の確認程度で、まあ東浩紀の発言や関与でなんとか体裁を保っている感じ。

建築とか建築家への過剰な期待があった遠い昔と違って、今の自分の視点はこの人たちがプロデューサーになることへの危機感しか感じないという・・なんとも理想と現実のギャップをただただ哀しい。
この後につながる後半戦をご覧になった方にその感想を聞きたいと思うので、ご覧になった方がいれば是非共有してくだされば幸いです。


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