変人学部

2016年4月に「中央大学変人学部」として学生有志により設立。 2019年9月に大学の…

変人学部

2016年4月に「中央大学変人学部」として学生有志により設立。 2019年9月に大学の枠を超え「変人学部」に名称変更。 「変人とは何か」を探求しています。

マガジン

  • 変人学入門

    「変人」ってなんだろう? 考え出すと止まらないこの疑問を「変人学」として研究する有志団体です。 業種・年齢様々なメンバーで定期的に勉強会を開催しています。 そんな中で出てきた議論の一端をご紹介します。

  • #私が変だと思った瞬間

    人はいつ、どんな環境で、どういう時に自分のことを”変”だと思うのか? そもそも、人は誰しも”変”があるのだろうか? 変人学部の永田が、様々な人にインタビューをし記事にすることで、この2つの問いのこたえを探していきます。

  • 当たり前の中の変

    世の中で常識だ、当たり前だと思われていることがらの中に変なところと違和感を見つけ、考えるマガジンです。

最近の記事

アンチ変人コメントの分析Ⅱ

2016年に中央大学変人学部を設立して以来、「変人」にまつわる活動をしていると何度となく「アンチコメント」が寄せられる。SNS上のコメントという形もあれば、ブログという形もあれば、直接対面でコメントをいただくこともある。当初は悲しい気持ちになったり、かえって反発を覚えたりすることもあった。だが、そのようなコメントを受けることに慣れてくると、アンチコメントにはパターンがあることに気が付いた。そしてそれらのアンチコメントの背景には、人々の変人観が大きく作用していることに気づいた。

    • 教育現場で活用される「偏差値」と、研究が始まった「変差値」について

      高校受験や大学受験の際など、学力偏差値は人々の優秀さを計測する目安として定着している指標の一つだ。受験生たちは自らの偏差値の向上に向けて一心不乱に勉強を行う。 日本において、偏差値が学力測定に用いられるようになったのは、1957年に、当時東京都の公立中学校教師だった桑田昭三氏が校内テストに導入したことが最初という。それ以来、現在に至るまで学力偏差値は教育現場において重要な指標となっている。 この学力偏差値だが、もともとは試験の難易度や教員の勘・心証などに左右されず、学生の

      • #私が変だと思った瞬間〜みんな”変”だと思っている友人Mの話〜

        ①人はいつ、どんな環境で、どういう時に自分のことを”変”だと思うのか? ②そもそも、人は誰しも”変”があるのだろうか? 様々な人にインタビューをし記事にすることで、この2つの問いのこたえを見つけたい。 そんな変人学部メンバーの想いでうまれたこの連載も3回目。 ーーーーーーー 「自分だけが”変”だとは思わないんだよね、うちにとってはみんな”変”だから。」 私の周りには変人度合いが高いと思う人が多い。その中でもひときわ際立っていると思っていた友人Mは、さすがというか、ら

        • 個性強要社会と変人

          こんにちは。 学部長の谷村です。 「個性を大事に」という言葉はあきるほど聞かされてきていますよね。 現代はもはや個性強要社会といえるかもしれません。 今回はこの個性と変人について考えていきたいと思います。 就職活動においても、学習指導要領においても、「個性の尊重」「個性をアピール」と耳にたこができるほど言われてきたかと思う。 この個性とは何なんだろうか? 広辞苑によると、個性とは「①個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。②個物または個体に特有な特徴

        アンチ変人コメントの分析Ⅱ

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        • 変人学入門
          11本
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          3本
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          1本

        記事

          アンチコメントがきたので分析してみた

          こんにちは。学部長の谷村です。 先日アンケート調査を実施した際に、たくさんの方にご協力をいただいたのですが、一部アンチコメントがきました。 読んでいくと非常に変人学の観点で興味深いと感じたので今回分析してみたいと思います。 コメント① 「変人学部入るような輩は変人ではないなと思いました。」 これは、変人学においてよく話題になる「自称変人に対する嫌悪」をストレートに表す事例かと思う。 大前提として、変人学部のメンバーは「変人について真面目に研究したい」と考えているメンバーが

          アンチコメントがきたので分析してみた

          「真の変人は自分を変人だと思っていない」というのは本当か

          「あの人は変人だ」 噂話で、飲み会の席で、しばしば出てくる言葉である。 この場合、通常は本人が自分は変人だと主張しているか否かは関係ない。 あくまで周囲がどう判断するかである。 では、人は何をもって他人を変人だと判断するのか。 「変人」とは「一風かわった性質の人。変り者。奇人。」と広辞苑にあるように、「変わっていること」がポイントである。「変わっている」ということは、何かと比べて「変わっている」ということだ。つまり比較対象が必要だ。では、その比較対象とは何かというと、一般的

          「真の変人は自分を変人だと思っていない」というのは本当か

          変人と許容範囲について

          こんにちは。 学部長の谷村です。 「殺人犯って変人に該当しますか?」という質問があり、非常に本質的な議論だと感じました。 そこで、今回は変人と許容範囲について考えました。 多様性やダイバーシティの尊重が叫ばれる昨今。「みんな違ってみんないい」という金子みすゞさんの詩の一節がよく引用される。 そんな中で、変人が暮らしやすい社会づくりは多様性の尊重の最たるものだと考えている。 変人学部では、すべての人が変人としての可能性を持っていると考えている。 世間でも、人々の持つ多様性に

          変人と許容範囲について

          変人の対義語は凡人なのか?

          こんにちは。 学部長の谷村です。 これまで変人について考えてきましたが、今回は変人の対義語としてよく使われる「凡人」について考えてみました。 まず大前提だが、変人学部ではすべての人は変人としての可能性を持っていると考えている。だが、変人としての可能性を遺憾なく発揮できている人は少ない。その状態、つまり変人状態になれていない人のことを、何というのか。 一般的には、凡人(状態)という言葉が対義語的に使われるケースが多い。 そこで、対義語辞典で「凡人」と引いてみた。だが、いくつ

          変人の対義語は凡人なのか?

          #私が変だと思った瞬間〜友人Hさんのある日から〜

          ①人はいつ、どんな環境で、どういう時に自分のことを”変”だと思うのか? ②そもそも、人は誰しも”変”があるのだろうか? 様々な人にインタビューをし記事にすることで、この2つの問いのこたえを見つけたい。 そんな変人学部メンバーの思いでうまれたこの連載も2回目。 【Hさんの”変”】変人学部の永田の友人Hさんに、「自分のことを変だと思った瞬間ってある?」と聞いたら、周りと興味関心が違ってとけこめないと感じていたという小学生の頃の話をしてくれた。 ※普段からさん付けで呼んで

          #私が変だと思った瞬間〜友人Hさんのある日から〜

          人の本質は、まわりと同じでいたいのか違っていたいのか? 〜変人と幸せという観点から〜

          こんにちは。 学部長の谷村です。 今回は、人の本質は「まわりと同じでいたい」のか、それとも「まわりと違っていたい」のか、果たしてどちらだろうかとふと思い、考えてみました。 「○○ちゃんも○○ちゃんも持っているから私もこれほしい!」 そういって親にだだをこねた経験はないだろうか? 遠足の服装、テスト勉強の学習量、就職活動の時期、周囲に確認して同じだと安心する。 人には、まわりと同じでいたいという願望があるのではないだろうか? 一方で、「自分探しの旅」に出る人は多い。まだ何者

          人の本質は、まわりと同じでいたいのか違っていたいのか? 〜変人と幸せという観点から〜

          当たり前の中の変 ~トイレのピクトグラム~

          どうもこんにちは。変人学部運営の川下(かわした)です。今回、僕も「普通・常識だとされていることの中で変を見つける」をテーマに書いてきます。普段見過ごされているようなことに、あえて違和感を投げかけます。 第一回は「トイレのピクトグラム」。 生き物である以上、排泄から逃れることはできない。地震や突然の雨と同じように、それは突然やってくる。外出先だろうが、移動中だろうが、関係ない。 そんな状況に陥ると、僕らはトイレを探す。特に外出中だと、少し落ち着かなくなる。 そんなとき、頭の

          当たり前の中の変 ~トイレのピクトグラム~

          #私が変だと思った瞬間〜変人学部・永田の場合〜

          こんにちは!変人学部の永田です。 これから、「#私が変だと思った瞬間」というテーマで連載をはじめます。 ①人はいつ、どんな環境で、どういう時に自分のことを”変”だと思うのか? ②そもそも、人は誰しも”変”があるのだろうか? 様々な人にインタビューをし記事にすることで、この2つの問いのこたえを見つけたい。 そんな変人学部メンバーの思いでこの連載はうまれました。 ということで、初回は自分の話を。 私の#私が変だと思った瞬間は、大学4年次に受けた「社会福祉士国家試験の

          #私が変だと思った瞬間〜変人学部・永田の場合〜

          変人の価値について考えてみた

          こんにちは。学部長の谷村です。 「変人」ってどんな価値があるのだろうか。ふと思ったのでみんなで考えてみた。 考えるにあたって、まずはSNSやメディア記事などで話されている「変人」のポジティブ側面とネガティブ側面を集めてみた。 変人の良いところとして多く挙げられていたのが、「常識を壊し、変化を起こすマインドや行動力」だ。変人採用を銘打ち変人をポジティブに解釈している民間企業の求める人物像に似たような記載が多かった。 また、「何らかの専門的分野を持っていること」や「珍しい経験

          変人の価値について考えてみた

          最近流行(?)している「変人採用」について考えたこと

          こんにちは。学部長の谷村です。 「変人採用」と聞くとどのような印象を持たれるだろうか? 「凡人と同調圧力の象徴のような”企業”が本当に変人を採用するの?」と疑ってしまったのが私の第一印象だった。 就活生時代に、変人について考えるサークルをしていると話したところ、とある企業から「弊社は変人採用をやっているのでぜひ詳しくお話を伺いたい」とお声がけいただいたことをきっかけに、「変人採用」なるものの存在を知った。 調べてみると、「変人採用」を掲げている企業は意外にも複数存在する

          最近流行(?)している「変人採用」について考えたこと

          人が自らを変人だと感じるようになる過程について考えてみた

          こんにちは。学部長の谷村です。 とあるインターネットメデイアの調査記事で、「自分は他人と比べて変わっていると思っている人の方が過半数である」と書かれていた。 同調圧力が強いとされる日本社会において、「自分は普通だ、凡人だ」と認識している人が多いのではと感じていたのでこの結果は意外だった。 このことは、人々が無理をして自らの変人さを押し隠していることの表れかもしれない。 記事では、自分自身を「変人」だと感じている人に対して「自分を他人とは違った特別な存在だと勘違いしている残

          人が自らを変人だと感じるようになる過程について考えてみた