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アンチコメントがきたので分析してみた

こんにちは。学部長の谷村です。
先日アンケート調査を実施した際に、たくさんの方にご協力をいただいたのですが、一部アンチコメントがきました。
読んでいくと非常に変人学の観点で興味深いと感じたので今回分析してみたいと思います。

コメント①
「変人学部入るような輩は変人ではないなと思いました。」

これは、変人学においてよく話題になる「自称変人に対する嫌悪」をストレートに表す事例かと思う。
大前提として、変人学部のメンバーは「変人について真面目に研究したい」と考えているメンバーが集まっている。自分が変人だと思っている人が参加条件ではない。

変人を自称する人間に対する嫌悪については、前回の記事でも触れているが、戦略的に変人を名乗ることでメリットを得ようとする人間が世の中には一定数存在する。(そしてそれは決して間違っておらず、例えばビジネスにおいて競合との差別化を図ることは常識だ。)
だが、うまく相手に違和感を抱かせずに差別化を図れていればいいが、無理している感や言動と現実が乖離している場合において、周囲に空虚さを感じさせたり、残念さを感じさせたりする。それがより顕著となると、周囲の反発につながる。
ここで「輩」という言葉が使われているが、「たちのわるいやつら」といったネガティブなニュアンスが含まれている。
これもまさに、前述のような反発を表現しているように感じる。

また、変人という言葉はパワーワードで、目立ちやすい。受け手が実体との乖離を感じれば感じるほど、不当な評価(全然変人じゃないのに変人として目立っていること)に対する反発が大きいのかと思われる。

ちなみに誰が変人か、ということは判断する人間に依拠するので、このコメントを書いた方が変人学部のメンバーを「変人でない」と判断したことについては当然に正しいことになる。

コメント②
「変人学部は、変人、を何かいいものと勘違いしたクソ真面目な学生集団という印象です。」

こちらも、変人を考えるにあたって陥りやすい価値判断の罠に陥っている事例かと思われる。
前提として、変人学部は学生集団ではない。全員社会人である。また、クソ真面目という言葉には、「ふざけているように見せているけど、真面目さが見えちゃっているよ」といったニュアンスが含まれているように思われる。そのようにみえていたのは意外であるがわれわれはいたって真面目だ。

さて、「変人を何かいいものだと勘違いした」というコメントだが、変人学部は「変人を考える際に価値判断をしてはいけない」と繰り返し主張している。そのため、このコメントを書いた方は、おそらくあまりわれわれの文章やイベントを通して発信している内容を見ていないか理解していないのかと思われるが、それはさておき。

その人が変人かどうかは、判断する人の「普通」観によって左右されるため、属人的で相対的だ。そして、一部の変人をもてはやしている企業などもあるが、価値判断を変人に持ち込むことは危険だ。なぜなら、それに価値があるかどうかというのは時代や集団・状況によって大きく変動する。変人に価値があるかどうかなんて分からないのだ。

このコメントを書いた方が、変人を無批判に「いいもの」として賛美する風潮に違和感を抱き批判しているのであればそれは非常に鋭い視点を持っているように感じるし、私たちと近い考えを持っているように思える。

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