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当たり前の中の変 ~トイレのピクトグラム~

どうもこんにちは。変人学部運営の川下(かわした)です。今回、僕も「普通・常識だとされていることの中で変を見つける」をテーマに書いてきます。普段見過ごされているようなことに、あえて違和感を投げかけます。


第一回は「トイレのピクトグラム」。



生き物である以上、排泄から逃れることはできない。地震や突然の雨と同じように、それは突然やってくる。外出先だろうが、移動中だろうが、関係ない。
そんな状況に陥ると、僕らはトイレを探す。特に外出中だと、少し落ち着かなくなる。
そんなとき、頭の中で便器よりも先にあるマークを思い浮かべてしまう。

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不思議なことに僕らは、このピクトグラムに便器が描かれているわけでもないのに、これを御手洗いだと認識している。この図の下にTOILETと記されているのがせめてもの良心だろうが、よく考えてみると、ここまでの認知のプロセスは異様なもののように感じる。
青い人と赤い人が真ん中で仕切られている図を見るだけで用を足すところを思い浮かべたり、用を足すイメージを連想したりする。しかも、青い人=男性、赤い人=女性という刷り込みがいつのまにかなされている。色だけでは区別できないこともあり、男女で身体を表した図も区別されているのだろうが、この図をトイレに採用した経緯が気になった。

こんなのもある。

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前述の通り、赤=女性、青=男性なのは変わらないが、ここで注目すべきは体の部分だ。
女性が三角形になっているのはまだ理解できる。ボードゲームのコマみたいなピクトグラムだが、着目点はそこではなく、男性だ。

・なぜ逆三角形なのか?

・人間の男性の身体は逆三角形だと捉えられているのか?


これも色以外での区別が必要とみたのか、形を対にさせているのだろうが、男性のピクトグラムが逆三角形と捉えられていることも気になる点だ。別に四角だって構わないだろう。男女が対の概念として捉えられている時代が終わりつつある中でこのピクトグラムは異様なものに感じる。これ以上言ったらキリがないのも事実だが。

では、なぜ男性=青もしくは黒、女性=赤(あるいはそれに準じる色)ということになったのだろうか。
その答えがこれ。


https://toiletmark.com/toiletmark-color/#toc6

海外と日本のトイレのマークについて述べられているが、色分けはどうやら日本独自の文化だそう。1964年のオリンピックからスカートを履く国への配慮があったこと、それゆえに色分けが必要だったことは苦肉の策だったんだろうと感じた。赤と青が世界で一番明確な色の対比基準だということも、世界への配慮の結果なのだろう。第二次世界大戦後、国際社会への仲間入りのためにいかに世界へ目を向けていたのかを考えさせられた。
さらにこの記事によると、アメリカでは形で性別を区別する考え方が主流なのだとか。前述の三角形、逆三角形での区別の仕方はある意味世界基準ともいえる。
こちらも参照されたい。

https://www.newsweekjapan.jp/amp/picture_power/2019/05/post-5.php?page=1


男女を対と考えるやり方が根底にあることはわかった。しかも、それが色だけでなく形にまで表れている、ということになるのだろうか。分かりやすさの結果、男性は青や黒、女性は赤とカテゴライズされたということか。


余談だが、近年ではこういうトイレもある。


https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/watch/00013/00090/

ジェンダーの諸問題が叫ばれつつあるなかでこういうものが生まれるのも納得できる。そう遠くない未来、今回紹介したこのピクトグラム自体が過去帳入りになるのかと思う一方でそこで生まれる新たな問題を予測させられた。

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