「真の変人は自分を変人だと思っていない」というのは本当か

「あの人は変人だ」
噂話で、飲み会の席で、しばしば出てくる言葉である。
この場合、通常は本人が自分は変人だと主張しているか否かは関係ない。
あくまで周囲がどう判断するかである。

では、人は何をもって他人を変人だと判断するのか。
「変人」とは「一風かわった性質の人。変り者。奇人。」と広辞苑にあるように、「変わっていること」がポイントである。「変わっている」ということは、何かと比べて「変わっている」ということだ。つまり比較対象が必要だ。では、その比較対象とは何かというと、一般的には「普通」の人を指しているだろう。

普通の人も分析が必要だ。この「普通」を誰が判断するのだろうか。それは、「この人は変人だ」と判断する人がこの「普通」も判断するのである。そしてこの「普通」は、「この人は変人だ」と判断する人の育ってきた環境や経験などによって左右される主観的なものなので、100人いれば100通りの変人像が存在する。類似するものはあっても完全一致はあり得ないだろう。判断する側の人間が多様なように、判断を受ける側の人間も一人として同じ人間は存在しない。そのため、すべての人が、誰かにとっての変人になり得る。逆にいうと凡人でもあり得る。
人は皆変人であり、凡人であるのだろう。

以前、自分は変人だと認識する過程について考察した。また、前述のように他人を変人だと認識する過程についても考察した。それを通して、世の中には変人の認知について下記の4通りが存在すると考えられる。

①変人である自覚があり、周囲の人も変人だと認識している
②変人である自覚があり、周囲の人は変人だと認識していない
③変人である自覚はないが、周囲の人は変人だと認識している
④変人である自覚はなく、周囲の人も変人だと認識していない

これまで考察してきた通り、変人というのは判断する人間の主観に大きく依存する。そのため上記では①~③がすべて判断する人間にとっては変人に該当する。

一方で、「真の変人は自分を変人だと思っていない」という説は一部から根強く支持されている。これは何か。

「真の変人は自分を変人だと思っていない」とは裏返すと、「自分を変人だと思っている人は真の変人ではない」という意味になるだろう。

他者が、「あの人は自分を変人だと思っているけど、本当は変人ではないよね」と判断するというこの現象は、大前提として「自分が変人だと表明している人」の存在が必要だ。
つまり、変人の自覚がある人の中で、わざわざその自覚を表明していない人もいる。

ここで「自ら変人であることを表明する人」を分析したい。この中には、前述の「変人の自覚がある人」も含まれているが、「戦略的に変人であることを演じている人」も含まれている。この戦略的に変人であることを演じている人というのは、裏を返せば「自らが変人ではないという自覚」があるからこそ、変人になりたいと「変人を演じている」のだと思う。

戦略的に周囲と違うようにみせることは決して間違っていない。ビジネスにおいては競合との差別化をしつこいくらいに言われる。
そして、相手に違和感を抱かせないように差別化できる人はとやかく言われないのだろう。だが、無理をしている感が見え透く人や、わざとらしさを感じられる時に、その人の「自分は変人」という主張が空虚に映ったり、反感を覚えたりするのではないだろうか。その結果が「真の変人は自分を変人だと思っていない」という説につながるように思える。

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