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変人の価値について考えてみた

こんにちは。学部長の谷村です。
「変人」ってどんな価値があるのだろうか。ふと思ったのでみんなで考えてみた。

考えるにあたって、まずはSNSやメディア記事などで話されている「変人」のポジティブ側面とネガティブ側面を集めてみた。

変人の良いところとして多く挙げられていたのが、「常識を壊し、変化を起こすマインドや行動力」だ。変人採用を銘打ち変人をポジティブに解釈している民間企業の求める人物像に似たような記載が多かった。
また、「何らかの専門的分野を持っていること」や「珍しい経験やスキルを持っていること」を良いところとして挙げている場合も少なくない。これも変人に関するサービスを展開している企業や、変人を集めて講演を行なっている大学などの変人観に多い印象だ。

一方で、ネガティブな側面としては非常識であるという点に注目が集まっていた。こちらは何らかの記事というわけでなく、Twitterやブログなど個人のコメントやつぶやきに多く見られた。例えば、「あの変人は常識がないから困る」だとか、「あの変人のせいでこれまでのルールが破壊されて最悪だ」といった趣旨のものだ。

興味深いのが、ポジティブ側もネガティブ側も、「常識外れ」という点に着目していることだ。

では、特別な、あるいはめずらしいスキルや経験をしているという点はどうだろうか。
これもポジティブな側面だけでなく、ネガティブな側面もあるだろう。
例えば逮捕歴とか?

これまで話してきた「常識外れ」な点や「特別な、あるいはめずらしいスキルや経験をしている」点は、共通点があると思う。
それは、その人が世の中や常識に一切忖度せずに、自分自身の考えや興味などに正直に行動をしているということだ。
たまたまこうした方がいいのでは?と思って発言をした、行動をした。その結果が常識外れなことだったり、特別な、あるいはめずらしいスキルを身につけたり経験をしたりすることにつながったのではないだろうか。

つまり、本人たちは別に世の中の人々から「いい変人」と思われたいとか、「悪い変人」だと思われたいとか気にしていない。たまたま自分自身に正直になったら、「常識を打破する発明家だ」とか言われたり、「非常識でどうしようもない人だ」と言われたりしているのではないだろうか。
変人は諸刃の剣のようだ。

でも、変人の言行がポジティブに捉えられるか、ネガティブに捉えられるかは、その変人が身を置いている集団や世代、地域や時代などの環境要因に大きく左右されるだろう。ある環境下ではポジティブに捉えられたものが、ある環境下ではネガティブに捉えられることなんてざらにある。
変人に価値があるかどうかは、周囲の人が都合よく勝手にきめているに過ぎないのだ。

ちなみにこの理論で考えると、表面的には変人に見えない人も実は変人である可能性が出てくる。
周囲に忖度せず、自分自身の考えや興味などに正直に行動をした結果が、たまたまある環境下で常識と考えられていることだった場合、表面的には常識人や凡人に見えるかもしれないが、結果として常識外れの言行をとり「変人」だと思われている人と同じではないだろうか。

そう考えると、すべての人が変人になりうるし、変人というのは何か特別な存在ではなく、人が自分自身に正直に行動をした状態をさしているのかもしれない。そこに周囲がそれぞれの都合でとやかく価値があるとかないとか言うのは全くもって意味がなく、変人は価値判断の枠外にいるのではないだろうか。

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