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変人の対義語は凡人なのか?

こんにちは。
学部長の谷村です。
これまで変人について考えてきましたが、今回は変人の対義語としてよく使われる「凡人」について考えてみました。


まず大前提だが、変人学部ではすべての人は変人としての可能性を持っていると考えている。だが、変人としての可能性を遺憾なく発揮できている人は少ない。その状態、つまり変人状態になれていない人のことを、何というのか。
一般的には、凡人(状態)という言葉が対義語的に使われるケースが多い。

そこで、対義語辞典で「凡人」と引いてみた。だが、いくつか引いていっても「変人」が出てこない。あれれ、と思い逆に「変人」で引いてみると、やはり「凡人」は出てこない。出てくるのは唯一「常人」という聞き慣れない言葉だ。途中で諦めてしまったので、必死で探せば「変人」と「凡人」が対義語として出てくる辞書があるかもしれないが。

不思議に思い、広辞苑で「凡人」と引いてみると、下記の記載だった。

①特にすぐれた所のない、普通の人。「―には理解しがたい」
②身分の低い人。平民。

この通り、「凡人」には二つの意味があるようだ。
①は純粋な「普通のひと」といった意味合いだろうか。一方で、②は「たいしたことないやつ」のような価値判断が含まれている。歴史的に身分の低い者に対して使われてきた事例もある。
「変人」という言葉の辞書的意味にはこの価値判断が含まれておらず、単に「普通とは違った人」という意味合いで捉えられるため、対義語としては出てこなかったようだ。

私たち変人学部においても、変人や凡人に対して価値判断を含まない。単に、その人がもっている変人性を発揮できていれば変人状態にあり、発揮できていなければ凡人状態にあると考える。
そのため、時と場合、環境などによってこの状態は入れ替わることも十分にあり得る。常に変人、常に凡人という人は存在しないのかもしれない。
そうした意味で、凡人よりも、単に普通な人のみをさす「常人」という言葉の方が対義語としてはわかりやすいのかもしれない。

ちなみに「天才」という言葉があるが、これも変人学で考えると、大変主観的で相対的な言葉になる。
つまり、変人の中で社会的価値を認められた人のことを「天才」と呼ぶ可能性が高い。評価者や時代によっては天才と呼ばれない。生前に全く評価されなかったが、後世に評価されている偉人があてはまりそうだ。

ここで、「秀才は変人にも凡人にも当てはまらないのでは?」という質問がありそうだ。つまり、普通の人が理想とする状態を努力などを通して達成した人、有名大学に合格した人とか大手企業に就職した人とかが当てはまるだろうか。
だが、ここで注意しないといけないのが、外観と内面の区別だ。

つまり、外観では凡人にみえる人。世間がいうレールをただ歩んだだけに見える人だったとしても、その人が周囲の目を気にして、世の中的なベストを考えた上での選択ではなく、自分自身の哲学に素直に従った結果がたまたま世間的な正解と同じだっただけの場合、その方はけっして凡人ではなく、変人なのだ。
一方で、世の中的には珍しいこと、変わっていることをしていて変人にみえていたとしても、本人は親の家業をただ何に疑問もなく受け継いだだけだった場合、果たして変人といえるのだろうか。
このように、外観と内面で変人と凡人にずれが生じることがあり、重視しなければいけないのは内面であることを気をつけなければならない。

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