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『食』の世界に飛び込んだ、その理由

会社員時代から料理とは無縁の生活を送っていた。食事は、ほぼ外食だった。フリーランスになり、趣味の食べ歩きをする回数は増えたが、料理をする回数は増えなかった。そんな私が、なぜ「食」の世界へ飛び込んだのか。

コロナ禍で賑やかだった商店街が一変、自分にできることは?


商店街が好きだ。
賑わいのなかをふらりと散策するだけで、幸せな気持ちなる。気になるお店を探してホームページで紹介するくらいはしていたことがある。その商店街から音が消えた。そういう状況を目の当たりにして、自分になにかできることはないか?そう思った。

通っていたお店の店主などから話を聞かせてもらう。微力ながら、お店のお手伝いをしながら、考えていることを聞いていただいた。
「動くレストランを作って公園で販売する」
「自転車の屋台などで料理を運ぶ」
「コロナ禍で空いたスペースを活用して、いくつかの店舗で協力してお弁当をだす」
など。

実は、高校生のときに「家族で飲食店をやりたい」と思ったことがあったのだが、それは今なのではないか。とも思った。自分が創業を考えているというと、いろいろとアドバイスをくれた。

はじめて創業を意識したのは、高校生のときだった。


高校のお昼はお弁当で、その日は母のつくったサンドイッチだった。
そのサンドイッチを友達にあげたことがある。

「うめえなっコレッ」

それ以来何度も食べにくるようになった。当時、ぼんやりだが将来は家族で喫茶店をやりたいという夢があった。はじめて具体的に創業のアイデアを考えた2020年に、その記憶が蘇った。

また、こうも思った。私だけではなく、全国的にも家族でお店をやりたい人は多いのではないだろうか。普段、料理をふるまっている母親(父親)は、自分の腕を社会で活かすことができるのではないか。そうしたい人もいるのでは?

そういう人たちを集めて、母親(父親)の料理をだすレストランをつくろう。企画名は「シュフのレストラン」。これを複数の場所でも展開できるようにした企画「隣の昼ごはん」。これは、私の初めての事業計画書となった。ほかにも、公園においしいレストランが少ないことをヒントに、公園にレストランをもっていく「パークレストラン」などを考えた。

結局、そのアイデアは日の目を見ることはなかったけれど、お世話になったグループがある。私はそのグループで知恵と勇気をもらいながら事業計画書をつくっていった。MIT(マサチューセッツ工科大学)起業家育成プログラムのメソッドに基づいて、自分の好きなことと嫌いなことから問題を言語化していく。仮説を裏付ける取材をする。現場の声をきくことの重要性を改めて感じて、公園で困っていることなどをヒアリングしたこともある。ここでの学びは大きく、講師の方や出会った仲間たちは、今でもつながっている。


寒い日に温かいものを。暖かい日に冷たいものを。


公園が好きだ。
緑があり、綺麗。広々している。そんな公園で美味しい料理が食べれるようにしたい。そんな思いもあり、冬の公園で取材をしたことがある。そのとき、あることに気づいた。

大きな公園でも、レストランは少なく、コンビニのサンドイッチやファーストフードを持参している親子が多い。冷たい風が吹く公園でも、子どもは風の子だ。温かい缶コーヒーを握りしめている母親もいた。

暖かい日は、家族や学生たちなど、さまざまな人で賑わう公園も、寒い日はみんな足早に通り過ぎていく。ここに温かいスープやホットサンドを届けたらいいのではと思うようになった。

私は料理の経験が豊富なわけではない。
もちろん、おいしいものを提供する努力は欠かせないが、せめて温度をお届けできないか。そう考えて「寒い日に温かいものを。暖かい日に冷たいものを」をテーマに考えはじめた。


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