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#ロメリア戦記『魔王を倒すより、倒した後のほうが難しい』 (目に見えない問題って対応しずらいし、評価しづらいよね)

人は『わかりやすく強大な問題』を、『わかりやすい英雄』が打ち砕く物語が好きだ。
しかし、「結果を出した(ようにみえる)人が、功績の100%と限らない」

例えばすぐれたテコの原理だと出力される要素(作用点)と、それらを生み出すエネルギーの力点は別なんだなぁ。

もちろん、作用点をうまく作らないと大きな仕事は出来ないけど、重たいモノがあがった事実&作用点ばかりに注目がいき、見えにくい支点・力点が忘れられがち問題。

この偉大な働きでありながら、忘れられがちな支点・力点のようなサポート役…ここにスポットをあてたのがロメリア戦記という作品だ。

この物語の主人公である、ロメリア伯爵令嬢は優秀なサポーターでありながらも、非戦闘員であったため『わかりやすい活躍』がまったくなかった。そのため魔王を倒した直後に彼ピの王子に捨てられた所から物語がはじまる。

戦略戦術について今まで聞いた中で、スゲェと思った言葉は
『仲間たちが勝てる確率を少しでも上げる決戦の地、戦い方を探しだし、決戦前に辿りつく手伝いしか僕はできない』といった趣旨の話。
これはUSJ復活の立役者として有名なマーケティングの森岡毅さんの言葉。

この物語の主人公、ロメリアはまさしく『決戦前の問題』を対処し、『戦う前に勝ちやすい状況作り』の天才と言っていい。
勇者たちがただ戦う事だけに専念できるように資金調達・諜報活動などの問題点を対処しつづけてた。バックオフィスの天才といえる。


このロメリア戦記のユニークなところは魔王を討った勇者より、魔王の居場所を特定したロメリアを評価する作者の描写だ。

『王子達がいなければ魔王を倒せなかっただろうが、私(ロメリア)がいなければ、王子は魔王の前に立てなかった。』

これは織田信長が桶狭間の戦いにて、今川義元を討ったモノより、今川義元の居場所を見つけたモノを高く評価したのを思い出す。 ロメリア戦記には他にも日本などの合戦の話を参考にした描写がみられ、作者の有山リョウさんは歴史に明るい印象だ

バックオフィスなどの悲劇は、優れた仕事をしても評価されにくいこと。

テコの原理の効用をあらわす 「十分に長い棒・丈夫な支点があったら,地球のような重いものでも動かすことができる」 という言葉がある。
が、多くの人は地球が動いた事に驚いて作用点を評価しがちだが、同様に作用点から遠くはなれた偉大な仕事を耐え抜いた支点、棒は評価されにくい。

『合戦そのものはそれまで積んだ事の帰結よ』
『合戦に至るまで何をするかが俺は戦だと思っている』
『猿(ひでよし)意外、本質は誰も理解せんかったがな』

≪ドリフターズ≫2巻より

漫画・ドリフターズで登場した織田信長はこのように述べている。

残念ながらその指摘どおり、ロメリア戦記でも水面下の活躍を勇者パーティーは誰も理解できず、ロメリアを役立たずと追放してしまう。


『問題が起きてからの対処』は成果を上げれば目立つし、評価も測量しやすくこれを続けていれば英雄と呼ばれることもある。

しかし『問題を未然に防ぐ対処』を行っても何かが起きなかったことは証明できないし、このような試みをする人達は評価しずらい。目に見えない英雄なのだ。

人々は窮地に陥ると英雄の誕生を望むが、実際の英雄が誕生し、その活躍が頻繁で目立つのは既に何段階ものステップに失敗してるともいえる。

『私たちは問題が起こっては対応するというサイクルに陥りがちだ』
『トラブルを処理して、緊急事態に対処してと、次から次に起こる問題を片づけるが、問題を起こすシステムそのものを見直すまでには至らない』

≪上流思考――「問題が起こる前」に解決する新しい問題解決の思考法≫より

同時にロメリア戦記では魔王軍から見た視野も面白い。
魔王という『魔族の英雄』の亡き後の魔王軍の混乱は凄まじい。


また討つべき英雄『魔王』なき後の魔王軍は統率がなく、行動がよめずに人類は悪戦苦闘する。
人類も魔王軍も、『新しい問題は何か?』を把握できてないのだ。

主人公であるロメリアだけは手を打つ。
コミック版の表紙、帯に面白い事が書いてる。
『伯爵令嬢、魔王を倒した後も人類やばそうだから軍隊組織する』
『捨てられ令嬢。ひとりで、軍を、街を、人を作り上げる。』

勇者である王子は、目にうつる魔族はその強大なチカラで片っ端らから自ら討とうとする。英雄ではあるが、問題が起きてからの「討伐」なのだ。

ロメリアは問題が起きてから対処するのでなく、この先に起きる事が考える。問題に先に対処し、人類・魔王軍の軋轢が起こす問題システムそのものを対処できるモノに変えようとして見える。

英雄がさって統率をうしない、問題を見失った後の混沌だけが残った乱世において、何が人類の問題であるか?
ロメリアだけは問題そのモノをみつめようとしてるのではないか。

この物語だけでなく、我々の人生は問題が繰り返し訪れる。
それは貧困かもしれないし、疫病かもしれないし、まだ知らない他の何かかもしれない。

それに対処しようとすることは当然だ。その脅威に巻き込まれるのを怯えるのは当たり前だし、巧く対処できるものが評価されるのも当たり前の成り行きだ。

しかし、問題が常習化していくうちにメシの種になって生活がまわり、対処の繰り返しがかえって問題を継続させ、終わる事がないループにはいっていないか?と、自問するのも大事かもしれない。

既に常習化している目前の問題に対処するのも大事だが、問題を起こしてるその仕組みそのものを終わらせるのもまた大事なのだ。

では、そのためには何が大事なのだろうか
≪上流思考≫の言葉をここで紹介しよう

「上流活動には不思議な点がある。とても重要な取り組みなのに、必須でなく任意であることがおおいのだ。」

「救助や対策、対応など下流活動は、やるかやらないかの選択肢の余地がない。医師は心臓手術を拒否できないし、介護士はおむつ替えを拒否できない」
「これに対し上流活動は他から強制されるのでなく、自由意思で行うものだ。」

「そのため、誰かが「当事者意識」をもってその活動をすると決めなければ、根本的な問題はいつまで経っても解決しない。」
「この問題を生みだしたのは私ではない。でも、それを解決するのは私だ」

≪上流思考――「問題が起こる前」に解決する新しい問題解決の思考法≫より抜粋

ロメリアは物語でなんども自らに問いかける
 「私にできること」
 「私ができること」

そして決意する。

勇者パーティーを追放され、もはや戦う義務がない伯爵令嬢の身に戻ってもなお、ロメリアは自らの自由意思で再び戦地にむかう。

 「はじめましょう。私の戦いを」と

最後までみてくれて有難うございます。
今回の記事で紹介した、ロメリア戦記、上流思考の本はコチラになります。

また、他にもマトメをつくっているので良かったら御覧ください。


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