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時の雫 2021

時には固定しているカタチがない。
もちろん物理的な時間というものはある。
だが、人間が感じる時間にはカタチがない。

矢のように感じる人もいれば
大河が流れるが如くに感じる人もいる。
一瞬で射抜かれ、時の重要なことを悟ることも
生きていく上では大事なことだ。

時の流れを大河に例えれば、
曲がりくねった川が所々で渦を巻き、
滝をつくり、やがて海に続く大河になる。
その大河も初めは一滴の雫。

時の雫、その一滴は大河へ続く人生の道である。
生を受けたその一滴の雫を、大河を流るる時も
忘れないことが人間にとって大切なのではないか。

「時熟」という言葉がある。禅の言葉でもあるし、
哲学でもハイデッカーが『存在と時間』の
中でも述べている。

むずかしく考える必要はなく、
日常でも「時が熟する」と聞いたり
言ったことがあるだろう。
時間というものは最もよいタイミングを持つものだ。

つまり人の人生においても、いくつも
最もよいタイミングの「時」がやってくるものだ。
それを見抜けるか外すかは人生にとって
もたらす成果に及ぼす影響は大きい。

もとから自然はその時の流れで生きている。
果実は最も熟する時を待っているし、
花は最もきれいに咲くべき時を知っている。
自然は時のなかにいて、時を操ろうとはしない。

今はほとんどの野菜は一年中手に入れることはできるが、
それらも自然の産物ゆえ本来は「旬」の時がある。
その旬を知ることは時熟の知ることと同じだ。

人間は生産性を高める必要性から温室栽培を進歩させ、
いまや工場で野菜を育てる時代である。これは人間が
時間をコントロールしていることを意味する。
コントロールによって時熟を早めているに他ならない。

どうも人間は時が熟するのを待てないらしい。
時間をコントロールできると思っている。
だけどどうだろう。

時間をコントロールすることよりも「時熟」を
知ることの方が大切ではないか。
その感性を鋭敏に保つことが
人間としての在りようのように思う。

人間は時の大河にあっても、
その最初は一滴の雫なのだと知り、やがて世の中の
あらゆるものの「時熟」を産み出す偉大な大河となる。
それを心身に刻み繋いでゆくことが大切なのだと思う。


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