私生活フォークと政治的距離ーー岡林信康から吉田拓郎、井上陽水、そしてユーミンへ(「音楽に政治を持ち込むな」を再考する)
本論稿は、大学生である私が学士論文として執筆したものの第二章にあたる。本論は、私の個人的な政治と音楽に関する興味に端を発している。「音楽に政治を持ち込むな」という言葉が発されることがあるらしい。どこの誰が発しているものなのか、正直わからない。しかし、TwitterのTL上においては論争になっていたと記憶する。そのような言葉が仮に発されていなくても、そのように思っているどこかの誰かがいるのだろうと、想像されているように思われる。私はこの「音楽に政治を持ち込むな」という言葉、あるいはそのように想像してしまう人々が存在し、論争となっているこの状況に対し、そのような状況が当たり前ではなく、そうではない状況もあり得たことを示したい。第1章においては政治とフォークソングという音楽の強い結びつきについて示した。今回においては、その結びつきが崩れていくような状況を吉田拓郎、井上陽水、松任谷(荒井)由美に関する資料を引き、どのようなものであったのか、確認していきたい。どうかお付き合い願いたい。
第2章 音楽と政治と若者の結びつきが絶たれていく時代
第1節 私生活フォークとはどのようなものか
第1章においては、1960年代末のフォークソングに関して、音楽と政治と若者がどのように結びついていたのかに関して確認した。ここからは60年代末に結びついていた音楽(フォークソング)と政治と若者が1970年代に入り分離していく過程、もしくは分離している状況がどのようなものであったのかについて見ていきたい。まず60年代末の音楽、政治、若者が結びついた状態から半ば延長線上にありつつも、政治が他の二つから分離していく、もしくは分離する過程を追う足がかかりとして、一つ資料を引用したい。以下は社会学者の上野千鶴子、文学博士であり歴史研究者である成田龍一、日本文学者の小森陽一の1960年代、70年代についての鼎談の一部であり、1968年以降の文化史について語られる場面における小森の発言である。
この資料で「反革命四人組」と表現されている吉田拓郎、井上陽水、小椋佳、松任谷由美はどのような音楽を展開したのだろうか。この反革命という表現から、60年代末のフォークゲリラのような体制の変革を求め、音楽に社会や民衆を変える力があると期待できるような状況から、政治が若者と音楽から分離しているようなシーンが作られ、その象徴のようなものに四人のアーティストがなっていたことは想像できる。この四人は「自己完結した私生活主義の歌の世界」を展開した人物とされているのである。これを踏まえ、若者と音楽という関係から政治が分離していく状態を描く。まず第1章で取り上げたフォークソングの系譜にある吉田拓郎、井上陽水について、彼らの音楽を形容する「四畳半フォーク」あるいは「私生活フォーク」と呼ばれるジャンルについて見ていく。さらに松任谷(荒井)由実などに代表される「ニューミュージック」と呼ばれたジャンルの登場と流行、そして松任谷(荒井)由美の音楽と若者リスナーがどのような関係にあったのか、また若者リスナー自身がどのように自分とそれらの音楽を関係づけていたのか、雑誌の資料などを引用し、描き出していきたい。
まず「私生活フォーク」あるいは「四畳半フォーク」(以下、私生活フォークとする)とは一体何であるのか、その特徴について見ていく。60年代末のフォークゲリラのような運動と結びついていたプロテストを志向するフォークソングと何が違うのか。私生活フォークに関して、社会学者の小川博司は以下のように述べる。
小川は、フォークゲリラをはじめとする60年代末の若者のさまざまな「異議申し立ての運動」が掲げたような「タテマエ的な言葉、理念を表すような言葉」に距離を置き、自らの私的世界に閉じこもる「シラケ」の状態があると指摘する。そして言葉への不信感が若者から私生活フォーク、叙情派フォーク、四畳半フォーク(以下まとめて私生活フォークとする)が支持されたとしている。ここから伺える私生活フォークの特徴は、まず理念的な言葉、建前的な言葉を掲げプロテストするあり方から距離をとり、自らの私的世界に閉じこもっていることだ。私生活フォークのこの特徴からは、もうフォークゲリラが語るような、フォークソングを通じて政治や社会を変えられるようなムーブメントを作り上げられるという期待はなくなっている。政治と結びついているようなフォークソングのあり方が難しくなっていることが想定できるだろう。さらに私生活フォークの特徴を掴むべく、吉田拓郎について見ていく。小川は吉田拓郎を以下のように捉える。
この資料からは、吉田拓郎の音楽、ひいては私生活フォークの二つの特徴が見てとれる。第一に60年代末のアングラフォークと対比した時に、「社会問題をテーマ」にせず、「自分の身近な私生活」を歌うという姿勢を持っていたことだ。第二に、アングラフォークの延長線上に位置付けられることだ。ギター(エレキギターではない)に合わせて歌う演奏のスタイル、そして「自分の思ったことを歌う、歌いたいことだけを歌う」という姿勢はアングラフォークをはじめとするフォークソングを引き継いでいるものである。この二つの特徴からは、私生活フォークが少し上の世代のアングラフォークの半ば延長線上にありつつ、プロテストをせず、政治的メッセージをわかりやすく全面的に表明いないという点で、異なったものであることがわかるのではないだろうか。次にこの資料だけでなく、他の吉田拓郎を批評した資料からも、彼の音楽、私生活フォークの特徴を確かめたい。社会学者であり、ポピュラーミュージックを研究する南田勝也は雑誌に以下のような文を寄せている。
この資料においては吉田拓郎を「フォークのアングラ気質と政治の要素を『全否定』する役回りだった」として、明確に60年代末のアングラフォークとは異なった政治的ではないフォークシンガーとして位置付けている。彼はフォークソングの系譜にありながらも、フォークゲリラ、アングラフォークに見られるような「社会告発のために歌う」ことを全面的に出さない人物であるとされる。二つの資料を経て、彼が政治や社会問題から距離を置こうとする特徴を持っている、少なくとも批評家やリスナーからそのような特徴を持つ人物と思われていたと言えるだろう。またアングラフォークが反商業主義的であったのに対し、売れて何が悪いというような商業主義に迎合する態度を持っていた。
第2節 政治との距離がある「私生活フォーク」
次に私生活フォークとして分類され、第2章冒頭で「反革命四人組」として名前が挙げられていた井上陽水に関しての資料からも、私生活フォークの特徴、さらには若者が支持するような音楽が、政治的、社会的問題、既存のプロテストのあり方から距離をとっていく状況があったこと、それがどのような状況だったと想定できるのかを見ていきたい。フォークミュージシャンである小室等、漫画家である黒鉄ヒロシ、ギタリストである星勝の、「傘がない」について語る鼎談の一部で、小室が井上陽水の「傘がない」について述べる資料である。
井上陽水についても、60年代末のフォークゲリラのようなあり方から距離をとっている人物として認識されていることがわかる。政治や社会のあり方に抵抗を試みる反体制的な運動と関連していたプロテストソングのあり方に、疑問を投げかける歌を作る存在であったと彼はみなされている。またここで発言している小室等は60年代末から、70年代頭にかけて活動し、URCレコードから楽曲を発表していたフォークグループ六文銭のリーダーであるがその発言の内容は興味深い。「熱に浮かされたように体制に反抗している様」「親のスネをかじっておきながら上から目線で平和なんて謳っている若者」という表現からは、集会においては反戦を歌い平和を語っていたフォークゲリラの若者に対しての冷めたような眼差しが向けられている、また少なくとも好感を抱いていないことがわかるのではないだろうか。ここからは彼のプロテスト至上主義だったフォークソング、アングラフォークに携わりながらも、学生運動のような政治的運動とは距離を置いていることが少なからず伺える。ではここで話題に上がっている「傘がない」とはいかなる曲なのか。歌詞を見ていきたい。
〈傘がない〉
作詞・作曲:井上陽水 発表年:1972年
都会では 自殺する若者が増えている/今朝来た新聞の片隅に書いていた/だけども問題は今日の雨 傘がない
※行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ/君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ※
つめたい雨が 今日は心に浸みる/君の事以外は考えられなくなる/それはいい事だろう?
テレビでは 我が国の将来の問題を/誰かが深刻な顔をして しゃべってる
/だけども 問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ/君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ/つめたい雨が 僕の目の中に降る/君の事以外は何も見えなくなる/それはいい事だろう?
(※くり返し)
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ/君の家に行かなくちゃ 雨の中を/行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ/雨にぬれて行かなくちゃ 傘がない
この曲の歌詞からは1960年代末から70年代中頃にかけての若者の政治への感覚の変化が読み取れるのではないだろうか。まずは60年代末の岡林信康らを代表するアングラフォーク、あるいはフォークゲリラで歌われていたようなフォークソングと比較した際に、直接的なプロテストをするような表現は見られない。首相や機動隊を揶揄することもなければ、差別、反戦について歌うこともなく、そこに権力や体制に抗おうという内容は明確には直接的には表現されていない。むしろ、「自殺する若者が増えている」、「我が国の将来の問題」といった60年代末であれば、プロテストの対象であったような社会問題を引き合いに出しながら、「だけども問題は今日の雨」であり、「君」に会いに行くに際して、「傘がない」ことなのだと歌われる。さらには「君の事以外は考えられなくなる」「君の事以外は何も見えなくなる」ことが「いい事だろう?」と歌われ、社会問題から距離をとって、君、あるいは自分と君という関係に引きこもるような態度が示されていると読み取ることができる。このように「傘がない」の歌詞からは、私的な生活と社会問題を比べ、私的な生活の重視が歌われている、政治的、社会的問題、あるいは体制にプロテストすることから距離をとっていると解釈することができる。しかしながら、ここで留意したいのは、この解釈はただの一つの解釈であるということだ。この歌詞には他にも解釈の仕方がありうる。例えば、歌詞には明確に言葉として表れていないが、「自殺する若者が増えている」という社会問題を受けて、「今日の雨」により、「君」が自殺を決意しないように迎えに行く、という政治の話題をより身近な生活というものに引き寄せてシチュエーションを提示した歌とも解釈できうるし、この曲を聴き、他の解釈をする者もいるかもしれない。ではここで「傘がない」、ひいては井上陽水を、政治から距離を置こうと、プロテストや社会問題から遠ざかっているものとして位置付けるのは完全に不適切なのだろうか?ここで考えるべきは二点ある。
一つ目は、この歌詞の解釈が当時を生きた人々からどのようにされているのか、傘がないがどのように語られ、批評されているのかという点である。政治的、社会的問題、プロテストから距離をとっている曲だと人々に解釈され、語られているのであれば、「傘がない」が発表された当時においては、プロテストソングとして「傘がない」を解釈できないような状況、つまり若者と音楽が、政治から距離を取ろうと試みていた状況が存在していたと推測でき、かつ井上陽水、「傘がない」を政治と距離を置いた人物として位置付けることが妥当とできるのではないだろうか。フォークシンガーであり、井上陽水とツアーを回ることあったなぎら健壱は以下のように語る。
なぎらの記述からは、井上陽水の「傘がない」はアングラフォークのような社会抗議を行うフォークソングとは異なるものであり、それがプロテストをやめ、「私」を歌うものであったと評価している。
同じ鼎談にて、黒鉄はこのように発言している。
またこの鼎談の途中に挟まれる雑誌の小見出しのようなものは以下のようになっている。
これらの記述からは、「傘がない」が60年代末のアングラフォークのようなプロテストソングへのプロテストを試みたものとされている。すなわち「熱に浮かされたように体制に反抗している様」、政治とフォークソングが結びついているような状況に対抗し、「本当にそれでいいの?」と疑問を投げかけた歌として解釈されている。ここからは少なくとも「傘がない」が既存の政治、社会的問題に真っ向から向き合うプロテストのあり方から距離を取ろうとした歌であると、解釈したくなるような時代状況、雰囲気があったことがわかるのではないだろうか。また「ごく個人的な世界を歌うような歌詞が斬新で、衝撃的でした」という部分からは、「傘がない」が私生活フォークと呼ばれるような「僕」と「君」に関しての個人的な世界に引きこもっているという解釈が垣間見えるのではないだろうか。ここではこの曲はプロテストソングとは解釈されず、個人的世界について歌った歌として解釈したくなるような状況があったのではないだろうか。また「斬新で、衝撃的」という評価からは「個人的な世界」を歌うフォークソングのあり方が目新しいもので、それまでのものにはないものであったことがわかる。これらから井上陽水、「傘がない」を政治と距離を置いた歌として位置付けても良いのではないだろうか。
考えるべき二つ目は、解釈の幅が広くなっている歌詞の表現、言葉選びの問題である。60年代末のプロテストフォークにおいて、表現はより直接的であった。前掲した、岡林信康の「くそくらえ節」では政治家など体制に対して、明確に批判がなされていた。そこに解釈の余地はほとんどないように思われる。例えば「ある日政府のお偉方/新聞記者に発表した/正義と自由を守るため/戦争しなくちゃならないと/嘘こくなこの野郎/こきゃがったなこの野郎/おまはん等がもうけるために/わてらを殺すのケ」という歌詞をプロテストソングであるという仕方以外で解釈することができるだろうか?「傘がない」は解釈の幅があるような歌詞となっているのである。また仮に「傘がない」が前述したようなプロテストソングとして解釈できるとしよう。なぜプロテストを行うのに、直接的な表現を避け、政治から距離を置いているとも解釈できるような歌詞表現、言葉選びになっているのだろうか。この問題からは、フォークソングが、仮にプロテストを行うとしても、直接的な表現ではできないというような状況が生まれていたということが推測できるのではないだろうか?「傘がない」をプロテストソングのように解釈できるとして、そこには直接的な表現でプロテストをせず、政治、社会的問題、プロテストから距離をとっているとも解釈できなくてはならない、解釈に幅を持たせざるを得ないような状況、少なくとも、政治、社会的問題、プロテストから距離をとっているとも解釈できなければ、曲が支持されないと思ってしまうような感覚、雰囲気があったのではないだろうか。これらを踏まえると、「傘がない」は、フォークゲリラが盛んに行われた1960年代末にと比較して、政治が音楽と若者から分離していっていることの傍証になるのではないだろうか。
私生活フォークの特筆すべき特徴を以下のようにまとめる。第一に政治的、社会的な問題から距離を置こうとする、または体制にプロテストするようなあり方からは距離を置こうとしていること。第二に私生活について語り、個人的な世界に閉じこもろうとする志向を持っていることである。第三には、アングラフォークのシンガーが反商業主義的であったのに対し、商業主義に迎合していることである。そして、この私生活フォークが人気を博した時期には、政治と若者と音楽が分離した状況があったように思われる。それはフォークゲリラの時代とは異なり、反体制を掲げる若者とフォークソングが結びつかなくなっている状況があるように思われる。フォークソングがプロテストをやめ、政治から距離を置くような状況がそこにはあったと考えられる。
第3節 ニューミュージックと政治的距離
ここまで私生活フォークと呼ばれたジャンルについて概観し、その特徴を掴むとともに、1960年代末から70年代初頭にかけて、政治と結びついていた、若者と音楽の関係性が変化し、政治から距離が取られつつあることを把握してきた。ここからは、その分離した状況について、70年代中頃から80年代にかけても確認したい。そのためここではニューミュージックと呼ばれる音楽、その代表とも言える1971年にデビューの松任谷(荒井)由美と、そのリスナー達の感覚について見ていきたい。松任谷(荒井)由美は現在、松任谷由美の名義で活動しているが、婚約し、姓が変わる以前は荒井由美名義で活動をしており、数々の楽曲を発表している。ここでは両名義での音楽キャリアについて言及するので、両名義の活動を包括した存在として彼女のことをファンからの呼称であるユーミンと以下する。ではまずニューミュージックとは一体どのようなものであろうか?
ニューミュージックとは、この論文でここまで扱ってきたアングラフォークや私生活フォオークなどのフォークソング、そして企業主導の歌謡曲では「ない」という否定形で定義される音楽であることがわかる。ニューミュージックとは、否定形で定義されることからもわかるようにこれまでの音楽にはないような目新しい特徴を持つ音楽である。また前述した資料に「サウンド重視のニューミュージックは、言葉への不信をより徹底させたものといえる」とあるようにアングラフォークなどとは異なり、歌詞のメッセージ性により特徴づけられるのではなく、歌ではなく楽器の演奏、あるいは歌詞にしても言葉の譜割に注力している音楽である。
ここからはニューミュージックの特徴を踏まえ、ニューミュージックを代表するユーミンが政治とは距離を置いている存在として捉えられていることに焦点を置きながら、ユーミンの曲、またリスナーの語りを見ていきたい。そしてユーミンの曲の特徴、リスナーの曲の捉え方から、1960年代末とは異なった音楽と若者の関係性、若者のあり方について記述していく。まずユーミンとはどのような歌手として認識されているのか。エッセイストである酒井順子は以下のようにユーミンを語る。
このようにユーミンはシチュエーションを提示する、「瞬間」を描くと語られている。「ストーリーやイデオロギーや感情そのものを歌にしていくのではなく」と言われているが、逆にイデオロギーや感情を歌にしていたのは、プロテストを行うようなアングラフォークであると捉えられるだろう。ユーミンの曲はそうした政治性を持つ歌ではないと捉えられていたことがわかる。「何かを訴えるのでもなく、伝えるのでもなく」という部分からも、そうしたプロテスト、政治性から離れたところにある曲として認識されていることがわかる。ユーミンの音楽は政治性を持たないという点について、ユーミンの自殺した女性に関しての1979年発表の曲「ツバメのように」に関する「ルージュの伝言」に記されたユーミン本人の語りとそれに対する酒井の評価を引用する。
これを踏まえて酒井は以下のように述べている。
この文章からは、プロテストをするフォークソングのあり方とユーミンに距離があると分析し、むしろフォークソングの暗さを感じさせないユーミンの歌詞のあり方を評価するような態度が見受けられる。自殺を社会問題としてプロテストすべきことというよりも、美しく演出するものとしてユーミンは描いたという評価をしている。アングラフォークであればプロテストの対象とし、井上陽水があくまでも社会問題のように歌詞に引き合いに出した「自殺」に対する捉え方の変化が見られるのではないだろうか。ユーミンは政治と分離しているものとして捉えられており、当時を生き、ユーミンの熱心なリスナーであった酒井の語り口からは、この曲をプロテストソングとして受け取る姿勢、解釈する姿勢は見受けられない。プロテストソングとして解釈することができるような曲であるのだが。ここからは当時のリスナーがユーミンの曲をプロテストとしては引き受けないような状況、60年代末と比較し若者と音楽が政治から分離しているような状況が存在したことが推論される。ユーミンの曲においても政治のあり方、社会問題、体制に対するプロテストの要素は見いだせなくなっている。
第二章においては、吉田拓郎、井上陽水、松任谷(荒井)由美について考察し、岡林信康を代表とするようなアングラフォーク、関西フォークと比較し、彼らが政治と距離を置いていることを示した。次回はより政治と離れていく音楽と若者に関する実践、松任谷(荒井)由美を巡って新しい生き方が当時生まれつつあったことを見ていきたい。それは現在の若者とされる我々の感覚が当たり前ではないものを示すものである。現代では良いとは言えないイメージを伴った「消費」をして自己表現する生き方について記述していく。
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