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「あなたにアルコール依存症という病名をつけても構わないのですよ」

2014/08/18

醒ヶ井クリニック(心療内科・精神科)の日。最近どうですか?と豊見見先生に聞かれたのでまずは「相変わらずです」と答えた。

続けて、8月は少し仕事が楽だが、暑すぎるマンションのなかで家事、掃除をするとへとへとになって辛いと言った。
また、旅行に行っても酒を飲まなかった、一緒に行った夫は「かわいそう」と言っていた、夫は飲んでいたが私は我慢したので辛かった、美味しい食事のときに飲めないのは悲しかった、と話した。


豊見先生はパソコンへ打ち込みながら「旅行中飲まないのはえらかったですねえ」と言った。

私はほめられても嬉しくなかった。我慢している辛さのほうが強くて褒められても割りに合わないのだ。

私は続けた。AAについて調べたが、AAは完全にアルコール依存症で生涯断酒を目指す人の集まりで(と私は思っているので)私が行くところとしては合わないと思う、私は年内断酒できたら年明けに飲むつもりだし、連続飲酒,
幻覚や振戦せん妄を経験していない、そんな人がミーティングに出て“わたし、2015年になったら飲むから”なんて言ったら大迷惑だ、だからプレアルコホリックの人のプログラムがあるところと言う条件で調べてみた、そうしたら久里浜にプレのプログラムがあった(この時代はまだ減酒外来はなかった)、対象者の症例や条件に私も当てはまったので行くことにしたが、電車に乗り遅れて行かれなかった・・・。


すると豊見先生は
「実は私、久里浜に月何回か通っていて患者を診ているんです。」
「ただ久里浜のプレアルコホリックの人のミーティングの参加者はほとんどが50代以上の男性でそのグループにあなたがなじめるかは疑問ですねぇ」と言った。

まあ、久里浜の専門の先生がここで個人的にカウンセリングをしてくれているのだからわざわざ久里浜に行かなくてもよさそうだということでこの話は終わった。

その後豊見先生とアルコールについていくらかやりとりをした。というか私がこう話した。

ワインを飲んでいたときのほうがもっと活動的だった、夕食時に“今日も1日頑張れた~はぁ~”という瞬間がワインを飲むときに訪れた。この瞬間が断酒してから全く無い。ずっと疲れっぱなしだ。そういうリラックスできる瞬間があったからこそ夕食の後片付け、朝食作り、弁当作り、そして次の日の仕事も頑張れたのだ。
私は食後に酔って寝てしまうことなど無い結婚してから2回だけ、17年間にたった2回だけ具合が悪くなったことがあったが、飲んでも家事仕事はしていた、出来たのは一瞬でも夕食のときにそういうリラックスできる瞬間があったからだ。
話しながら泣きそうだった。

わたしのいつもの話に対して豊見先生は
「お酒以外にリラックスできるものはほかにないのですか?」と聞いてきた。

今の生活は仕事と家事が大半を占めていてそんなものはない。

以前は、夜に食事を作らず夫や友人と外食することも出来たが、断酒してから出来なくなった。
これまでも夜にゆっくりテレビや映画を見るなどということはほぼなかった。リラックスできることをさがすなど不可能だ、と言った。事実そうなのだ。

私は話を飛ばして、夫が私の現状に対して飲めなくてかわいそう、前もちゃんと休肝日は作っていたしそんなにたくさん飲んでいないのに・・・・と時々言うことも伝えると、それに対して豊見先生は
「旦那様はもう少し(私の問題に)理解があってもいい」
と言ったと思う。

具体的に何を言われたか覚えていない。
その後豊見先生に言われたことがあまりにもショックだったからだ。

いくつかのやりとりの後に先生はいつもの関西訛りのある柔らかい口調で言った。

「あなたにアルコール依存症という病名をつけても構わないのですよ」


私は絶望が目前に迫っていることに恐怖を感じて少しの間口がきけなかった。

アルコール依存症という病名をつけられたら今のところは治せる薬も治療法もない。完全に、死ぬまで断酒しかないのだ。このことは本で読んで知っていた。

死ぬまで飲めないのは終身刑だ。

「やめてくださいよぉ~、ちゃんと半年断酒しますから!」とわざとにこにこしながら言ったが、この後先生と何を話したかあまり覚えていない。気が動転しそうだった。そんな診断は何としても避けなければならない。

どうしよう、どうしようと恐怖に怯えながら次の予約を取って帰った。



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