ベトナム・ダナン視察で感じた幸せのヒント
仕事の関係でベトナム出張に来ております。
ニューヨークやサンフランシスコの企業視察や、ラスベガスのカンファレンス参加など、いわゆる先進国の視察にはよく行っているのですが、今回の視察先はベトナム・ダナン。
お世辞にも発展しているとは言えない、ベトナムという国で、国策企業の視察をするという稀な経験をしています。
ベトナムという、まさに今、先進国への階段を登っている最中の国。その階段を登るリーダーシップを担う企業と、まだまだ途上国の色が濃く存在するローカルタウンを行き来しながら感じたことを、綴りたいと思います。
ベトナム・ダナンという場所
最近日本人のリゾートの行き先として、人気が高まってきているベトナムのダナン。
確かに、ダナンには魅力が沢山あります。
・日本から近い(直行便で6時間。これは海外旅行としてはお手頃な感じ)
・物価が安い(ビール200円、水50円、ランチ300円くらい。これは安い)
・海鮮が安くて美味しい(海が近いのでシーフードが美味)
・何よりもリゾート感!(海でビール飲めればいいという方には本当にオススメ)
何年か前に、来たときもダナンで海鮮とともに飲んだビールの味が本当に美味しかったのを覚えてます。
まあ、そんなこんなでダナンは、本当にいいところなのですが、この場所を「幸せ」という切り口から考察してみたいと思います。
旅行記事とかはたくさんあると思いますが、実際に最先端で働いている人と接する中から見えてくる景色は珍しいと思うので軽い気持ちでご覧ください。
Are you happy?
この視察で最も感じたのは、ベトナムで生活する人は、みんな幸せそうな顔をしているということです。
全員ではないですが、日本と比べて、明らかに笑顔が多い印象でした。
今回の視察で、ちょくちょく聞いてみました。
あなたは幸せですか?と。
すると、ほとんどの人が笑顔で「Yes」と答えるのです。
市場で働く人、ローカルな食堂で働く人、最先端の国策企業で働く人、ただただ道端で座っている人、様々な生き方をしている人にまんべんなく聞いています。
おそらく賃金にも大きな違いがあるでしょう。生活レベルも高低差激しい国だと思います。
それでも、みんな幸せだという。これは、非常に興味深い結果となりました。
なぜなのでしょう。
国策企業からローカルまでの人々と話した経験から、この結果を考察していきたいと思います。
働かないという選択肢
まず一番に感じたのは、働かなくても堂々と生きている人が多いということです。
※働かないとは、生活のために、日雇いで軽く働いている人も含みます。「継続的に働いていない」ことを指しています。
それは、ベトナムの人々の「他人の人生を認める」文化が強く影響していると感じました。
いつも私は不思議だったのです。
東南アジアに旅行すると、昼から道端で、軍議を打ったり、お酒を飲んだり、ただ話をしている人が結構います。
何をしているのか、疑問だったので、今回現地の国策企業の社員に聞いてみました。
そしたら一言。
「彼らは、働かないという選択をしたんだ」
この発言には軽蔑の意が一切なく、むしろその選択を認めているような力強さがありました。
なるほど。なるほど。なるほど。
恥ずかしながら、働くが当たり前の文化で生きてきた、私には無い発想でした。
同時に、ベトナム人が幸せそうに生きている一つの理由がここにあると思いました。
国策企業で働く人も、市場で働く人も、働かない人も、自分が選んだ人生という自負を持っている。
そして、他人の選択を認め、無下にしない文化。
ここが、日本にはない1つ目の幸せのヒントだと、私は思います。
自分の中にある絶対的ルール
ベトナムのローカルタウンには、日本に比べて圧倒的に「社会的なルール」が少ないです。
・信号ほぼない。
・禁煙場所もほぼない。
・店も予定通りに開かない、早く閉まっちゃう。
・スーツ着て働いている人なんて、ほとんどいない。
・市場では基本言い値。
でも、うまく街は回っています。
ルールや規律でどうにか生活を回している日本とは何かが違う。
これも現地の人に聞いてみました。
色々教えてくれましたが、まとめると回答はこう。
「自分たちの先祖に恥じる行動はしたくない」
ベトナムは仏教徒が多いことで知られています。
その軸は、自分たちの先祖や土地神、地域に置ける英雄などに祈りや感謝を捧げること。
つまり、仏教の教えという真理に照らし合わせ、現代の生活の中でどう振る舞うべきかを、自分で考え、行動しているということです。
ここにも、幸せのヒントがありそうです。
日本にいると、自ら考えることなく、社会的にルールや制約に従うコトが多いですよね。
ここで〇〇をしてはいけません、〇〇禁止、〇〇したら罰金、とか。
最近の日本では、この「社会的ルール」というのが、どんどん増えてる印象です。
こうした環境下で生きていくと、思考停止してしまう危険性があるのでは無いでしょうか。
日本にもマナーという考え方がありますが、無宗教が影響してか、ひとつの行動に対して、批判と肯定が対立する構造が多く生まれます。
しかしながら、ベトナムでは、多くの宗教派閥があるにせよ、目指すべきゴールが大きくズレることは無いので、上の構造は起きにくい。と現地の方々が伝えてくれました。
宗教があることが幸せに直結するとは思っていませんが、ゴールや思想を統一化することで、自分自身でゴールと照らし合わせ、自らのルールを設けながら生活する。
そうすると、幸せに少し近づくのかもしれません。
自分の人生を自ら選ぶということ
ベトナムで感じたことは他にもありますが、総じて、自己決定の頻度が多いということです。
そして「社会的な文化」と「自分の中のルール」が、その自己決定を支えています。
下の記事にもありますが、自己決定の度合いが幸福度に影響することは、理論的にも証明されているようです。
https://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/18j026.pdf
日本という国では、規則やルール、社会的な文化が邪魔をし、自己決定がしにくい状況に陥っている可能性が高いと私は思います。
幸せに生きるために、我々の国や社会の目指すべきゴールがどこにあるのかを明確にし、他人の選択を尊重する社会にするために我々は何ができるのでしょうか。
上記の社会にするために、そして幸せな社会を作る一端を担いたいと強く思うことができた、良き視察となりました。
国策で国を豊かにすることは本当に善なのか
最後に。
今回の国策企業での視察では、ベトナムという国を豊かにするために、国と民間が手を合わせて、力強く推進する姿が見て取れました。
この国策企業は、民間大学も設立し、国自体の活性化・ベースアップを図っています。
さらに、オフィスを中心に街を作り直す計画すらあがっているそう。
コレには極めて刺激を受けました。国と民間企業が正しく組むことで、ここまで推進力が出せるのかと。
しかしながら、今回の視察で感じた、自己選択の度合いが、国全体として減ってしまうことはないのかという疑問がずっと私の頭に残っています。
GDPだけを目的に動くのではなく、自己選択の機会を損失しない国力アップが実現することを祈って、考察を終えたいと思います。
※来月末にはエストニアに視察に行きますのでそこで感じたことも綴ってみたい思います。
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