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サイコパス哲学#3 “死とは何か?”後編


*注意
・このシリーズは圧倒的個人的な視点からオリジナル哲学を展開していく。
・筆者は哲学、心理学等を学んだこともなく、大学の専攻は建築である。
・高校時代に倫理が好きで、家の壁に哲学者の顔写真を貼り、毎朝挨拶をすることで親交(と暗記)を深めていたサイコパス学生。
・異論が正しいと思えばすぐ改訂される。
以上の点から、哲学としてではなく一種のコメディとして読み進め下さい。


今回は、先日公開したテーマ「死」についての後編である。

みなさんお待たせしました。
(待ってないわ)

以下がラインナップである。

1.前編の振り返り


【前編引用】
みなさんは「死」についてどのようなイメージをお持ちだろうか。僕の”死”に対するイメージはこうだ。
めちゃこわい。
何かのふとした瞬間。シャワーを浴びていたり、寝る前の一瞬。急にそれは襲ってくる。
あと100年もしないうちに何もかも自分からは無くなって、感情も無くなって、無になるのか。心臓がバクバクいって、なきそうになる。たまに考えてしまうことが嫌いで、ずっと逃げてきた。だから今回は自分なりに深く考え、どうにか納得したい。
悟りきった人からのありがたいお言葉も為になるし、哲学的だけど、大の大人がビビりながら向き合うことも哲学的だと思うんだ。
哲学的ってなんだ?
とりあえず、今回はそういうチャレンジである。今回は真面目に”死”について考えていこうと思う。


とにかく筆者は死を恐れていて、それをみんなと一緒に解決してこって話。


2.死後ってどうなるの?

それでは後編の本題に入っていこうと思うが、まずは読んだ本の紹介から。

この本で勉強しました。
(回し者でもなんでもないのでただの紹介だけです。買わなくていいです。なんなら僕の本読みたい人で回し読みしてください。)

長かった。。380ページもある本、久々に読んだわ。。(途中何回も寝落ちして読み返したから500ページ分くらい読んだはず。)

この本を読み進める中で何度も何度も死について深めてしまって、めちゃめちゃ怖い気持ちなった。毎晩、死について考えてて、ほんと途中で何回やめよかと思ったか(泣)

何が書かれていたかというと、

まず、「死後の世界なんてない。」ってこと。

なんなら、あなたのいない死後の世界は、いつも通り始まって、悲しむ人にも少しづつ忘れられていって、ほとんど何も変わらないということ。

そして、僕ら自身の死後の世界なんてものはない。何もない。

これを読んで、自分の中で嫌な死に関する言葉大賞は「何もない。」になった。やめて、そんなんいうの。

この辺読んでる時、かなり強気で書かれてて凄い怖くなった。まあ、薄々わかってたことやし。見ないようにしてた自覚はあるからしょうがないことなんだけど。

SF、都市伝説好きの僕からするとやっぱりショックだった。どっかでちょっとでも希望があればって思ってたから。


でもここで、筆者のシュリーのおっちゃんは言うわけ。

「何もない状態なんて別に怖くないよ」って。

「みんなその状態は経験済みだよ」って。

夢を見ずに眠っている時。お母さんの子宮の中にいた時。
恐怖を感じたことはないでしょ?

じゃあ、何が怖いのかって言うと、

死ななかったらもっといい人生があったからかもしれないという希望や、今生きてるってことを剥奪されることへの恐怖だということなんだって。


これを読んで確かにそうかもしれないと思った。なんで僕が生きたいのかを逆に考えてみると楽しみがあるからだとも気づいた。

ここでシュリーのおっちゃんは自殺についても言及していた。
辛いことがあって、視野が狭くなると死んだ方がマシだと考える状況は起こりうると。でも自殺することが正しいことではない。今はそう思うかもしれないが未来に希望はあるからだと。


3.じゃあ死をどう考えるか

死は全員に起こる。

その生の締め切りをどう考えるかが大事だと僕は思った。
死を考えたときに、絶対やっておきたいことが思い浮かぶと思う。

他人の死を考えることも同じ。

好きな人や家族と話すこともそうだし、やってみたかったスカイダイビング を今、予約してしまってもいいと思う。パテシエに転職してもいいし、着たかったけど我慢したあの服も買っていいと思う。

いつ死ぬかわからないから。
好きなものだけ持ち歩きたい。

僕はパンツは絶対派手なものと決めている。

誰にも見られないが、絶対に派手がいい。やる気でるし好きだし、劣等感を感じても、怒られても、僕はあなたより派手なパンツ履いてますけど?って思えるから。

こんな些細なことでもいいと思う。

自分だけの限られた人生は好きに生きたい。


でも好きなことで生きようとすると、こんな自分が襲ってくる。

「そも道にはもっと上手な人がいる。年齢的にもう難しいでしょ。金銭的に現実味がない。あと何年かかるの。」

また、最近いつの間にこんなに自分はコンプレックスを集めていたのか。なんて考えることがあった。

コンプレックスなんて拾ったつもりなかったのに、踏んでしまったガムのようにネットリへばりついてくる。

そんなときに思い出す一節がある。

 下手ならなお結構、とは僕が昔から言っていることだ。たとえば、美味いと評判の絵にろくな絵はないし、うまいといわれている歌にしても、ちっとも感動しない。
 だからと言って、自分から引き退って、ジメジメして下手であることを認めてはだめだ。そうじゃなく、自由に明るく、その人なりのユニークさを下手さを押し出せば、逆に生きてくると思う。また、その方が人に魅力を感じさせる。(中略)うまいという奴にかぎって、どこかにコンプレックスを持っているもので、むしろ下手なことを明るく自認すれば、コンプレックスをもたずにすむじゃないか。 引用:『自分の中に毒を持て』岡本太郎

結論、もうなんかいろいろ大変なこともあるけど、やりたいことやって好きに生きようって改めて思いました。


今日チャリに轢かれて死にそうになったら、派手なパンツ姿で最後にプリン食べて死ぬかぁ。


最後になんやねんそれ。

思想がいちばん怖いって話。


”死とは何か?”  完。





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