部屋充、ときどき家を出る。

せっせと毎日珈琲を淹れる。それ以外は、特にルールもなく、もけもけしています。たまにのぞ…

部屋充、ときどき家を出る。

せっせと毎日珈琲を淹れる。それ以外は、特にルールもなく、もけもけしています。たまにのぞいてくれる程度で、お付き合いして下さい。

最近の記事

休息pt.3

起き抜けの寝癖をこんもりのっけた頭でこれを書いている。 起きた瞬間、腹痛に見舞われ、それが治まったあとも眠たくはあるがなんとなくベッドに戻れずにいる。すぐお腹が痛くなるこの体ともはや二十数年。”またか”くらいで処理はできるが、毎度HPは若干削られている。 うぅ…。 上の階のひとのゲームの効果音が聞こえる。なんかがしゃがしゃわちゃわちゃ言っていて、なにしているのかさっぱりだけど、わからんくらいが丁度いい。ゲームは、あんまりうまくないからすぐに本を読んでしまって、結局あんまやら

    • 静物としての街とその温度について

      また一つ、温度のなかった場所に温度を感じることができるようになった。 街を歩いているときに、自分が街を構成する一要素であることを考えながらも、一方で、客体として街を俯瞰して見ることが増えた。街は流動的でありながらもその実態を保ち続けている。街を街たらしめる何かをそこに宿し続けている。街は、不可逆的だが再現性のある揺らぎをもってそこに存在している。 信号待ちをしている親子がいる。 犬の散歩をしている50代くらいの男性がいる。 路線バスからは老夫婦が下車してきた。 動かない

      • ニュートラル

        気張る必要がないというのは、ものすごく気持ちの良いことだと思う。 自分は、このくらいなのだ、この感じで生きているのだ。という達観をしながら生きることは、心地よい。 何かになろうとするときに、自分がそこに到達していないことを気にしすぎると、とても気がめいってしまう。 けれど、どれだけ頭がよくとも、どれだけの功績を残そうとどれだけお金を稼ごうと、誰しもいつか最後が訪れる。それまでの間になにを成し遂げ、何を残したのかなど知るかいや。でいい。 自分を良く見せることも、誰かに羨ま

        • 休息part2

          一週間ぶりにまた凪いだ時間を確保できた。冷え性の冷たい指先でこの文章をちまちま書いている。外を見れば、春先にも思えるほどの日差しがあった。日向ぼっこしよう。そういえばむかし、街中に最上の日向ぼっこスポットを探索して遊んでいた。「時間ごとに場所が変わるから、午前中に良くても午後はこっちの方がいい。」みたいなことを考えて、自分だけのお気に入りスポットを開拓していたっけか。 珈琲が美味しい。当たり前だ。最近美味しくない珈琲を飲む機会が減った気がする。誰も豆腐味の珈琲を生産しなくな

          休息

          先ほどまで、江国香織を読み、珈琲を嗜んでいた。 部屋には、レコードプレーヤーからEric craptonの Next time you see herが流れていた。部屋の電気は付けていない。窓から差し込む日光の僅かな明かりの中で、静かに本を読むのが落ち着くから。 机の上には、一昨日買ったスターバックスのテイクアウト珈琲が残っていた。試しに一口飲んでみた。案外、飲めないことはない。ただ、冷たくもなく熱くもない曖昧な味がした。風味は完全に損なわれている。 ここ最近は、さまざま

          傷とどう向き合うか

          「集団行動苦手だよね?」「あいつは変な奴だから」「冷たいよね」 これらの言葉を何度も何度も言われてきた。言った本人は、大抵軽い気持ちで言うけれど、そういう言葉が蓄積して心をグサグサ刺していく。それらの言葉は忘れられず、傷は残り続けるし、いっこうに癒えない。誰かの好きをメチャクチャに否定し、誰かの事を自分に見えている一面だけで決めつけて判断して、その隠れた真意や影の努力、見せていない部分を見ようともしない。こういう無自覚の暴力が身近にも世の中に溢れていることを最近痛感する。  

          ヘボいやる気で生き抜いて

          大学1年の夏、モテたいという理由だけで始めた珈琲。 始めた当時は、コーヒー味の水を生成しては、なんでこんなことになるのかと研究を重ねていた。けど、動画見たり本を読んだりするとそれなりにできるようになってきて、インスタントと肩を並べられるくらいにはややおいしく淹れられるようになった。 それから、数年後。 その当時のモテたいと言う若さは消え失せ、毎朝の習慣だけが定着し、せっせと珈琲を淹れ続けている。いまではもう味を研究したり、新しい味を求めていろんなカフェに行ったりすること

          ヘボいやる気で生き抜いて

          雨と頭痛とクロワッサン

          最近、雨の日が続いてすこぶるこまっちょる。 洗濯物は干せないし、外出する気も失せちゃうし、なにより頭が痛いくなる。 このあたまいたいも動けないほどいたい訳じゃないから、それなりに行動できてしまう。けど、いつも1時間でできることが、2時間くらいかかるほど頭が働かない。ズーーーン、ぼけーーって感じになる。気を抜くと口が空いて、アホ面をかます。一人暮らしでよかった。 あぁーーーー、ねむい。でも午後から予定があるから寝てらんない。むーーーーー。なんで頭がぼやぼやしているときに限っ

          雨と頭痛とクロワッサン

          ときに世界は自分のためにあると言える傲慢さがほしい。

          ときに世界は自分のためにあると言える傲慢さがほしい。

          非言語的で断片的だが確かにそこに存在するもの

          先日、就職活動のために東京に行った。 その日は兄の家に泊まることになっていた。 兄は、1か月前から彼女との同棲を始めたばかりで、家の中にはまだ大量の段ボールとこれから埋められていくだろう大きなスペースがあった。 新生活を機に買った新品のソファと彼女の家から持ってきたという使い古された机の圧倒的な落差が独特な世界観を作り出していた。 兄と彼女と俺。なんだか変な感じがした。家族なのに部外者な雰囲気があった。これほどこの二人が積み上げてきたものが強固なんだと実感した。 次の日

          非言語的で断片的だが確かにそこに存在するもの

          人間にもケータイみたいな充電のゲージが付いてれば、みんなすこしは生きやすいのになぁ。

          人間にもケータイみたいな充電のゲージが付いてれば、みんなすこしは生きやすいのになぁ。

          毎日すこしずつバグってる。

          ミスドのレジが自動化していた。 僕の列の3つ前のお年寄りが会計した時、小銭を詰まらせて、レジが故障していた。店員が「少々お待ち頂けますか?」と言葉だけは丁寧だが、手つきが明らかにイラついていた。 ひとりでに世の中が機械化していく。 DXが進んでいく世の中で、取り残されていくのは、これまで社会を支えてきたおっさんおばさんたち。 でも、おっさんが機械をぶち壊しているのを見て、少し安心した。どれだけ世の中が機械化しても、おっさんは機械化出来ねぇんだなって。人間らしさがそこにあっ

          毎日すこしずつバグってる。

          ラブレター

          これまで誰かのために文章を書いていなかった。 自分の頭に思い浮かんだことをそのまま文章にして、一定以上それが溜まったら吐き出す。そんな書き方だった。 だからそれは独りよがりで、とてもじゃないけど人に読んでもらうには私情が入りすぎている。そんな文章だ。自分で言うのは恥ずかしいが、少し気取ってカッコつけていた気がする。 だけど、松浦弥太郎さんが、 このように心がけて文章を書いていると仰った。 「そうだ、大切なことを忘れていた。」 文章は、日記じゃない。 あなたを思っ

          普通の変人。

          どうせ真面目に生きていたら、普通の人になんかなれやしない。みんな何かが欠けていて、みんなその分何かを持っている。だから、人間の総合値は、皆同じである。  普通に慣れない僕たちは、もう普通じゃなくなろうとしなくていい。普通に生きて、普通に働き、普通に寝るのだ。どうしても普通になれない部分が、たとえそれがダサくカッコ悪いものでも、その人の魅力であると言えるのだろう。太宰だって、ダサかったじゃないか。じゃあ、俺はもっとダサい。それでいいのだ。異常で、異端で、変態で。そのままでいいの

          雨音と又吉と蝉

          1月某日 いつから眠っていたのか、気づいたらもう外は真っ暗だった。ついでに雨も降り出したみたいだ。部屋の明かりはついていない。スクリーンにはYouTubeが垂れ流されたまんまだ。又吉が好きな映画の主人公について熱弁している。一瞬妖怪と間違えた。 外で蝉が鳴いていると思ったら、又吉のYouTubeから聞こえているみたいだ。そりゃこんな寒い時期にはいないよな。不規則な雨音と又吉の声と蝉の鳴き声が部屋に響いでいる。それが妙に安心する。 雨音で世界から遮断されて、初めて又吉と対話

          同じ本を読んだら

          もし、あなたが誰かと同じ本を一冊読んだら、 その誰かと一冊分の会話ができます。この一冊の中には、きっとさまざまな言葉が散りばめられ、それぞれ解釈は違っても、同じ言葉を獲得しています。すると、同じ本を読んでいない人よりも遥かに会話がスムーズになるんじゃないと思うのです。 もし、あなたが誰かと同じ本を二冊読んだら、 きっと、それだけで仲良くなります。ついでに、文庫本二冊分の言葉、およそ20万文字分の言葉を共有していることになります。こうなれば、もう会う前からその本を通じて会