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ラブレター
これまで誰かのために文章を書いていなかった。
自分の頭に思い浮かんだことをそのまま文章にして、一定以上それが溜まったら吐き出す。そんな書き方だった。
だからそれは独りよがりで、とてもじゃないけど人に読んでもらうには私情が入りすぎている。そんな文章だ。自分で言うのは恥ずかしいが、少し気取ってカッコつけていた気がする。
だけど、松浦弥太郎さんが、
大切な人を思い浮かべて書くように。
大好きな人にラブレターを書くように。
このように心がけて文章を書いていると仰った。
「そうだ、大切なことを忘れていた。」
文章は、日記じゃない。
あなたを思って書くのが文章だ。
そういえば、中学2年の冬、好きだった数学の先生が他校に移動になることが知らされたときに、クラス全員で手紙を書いた。そのとき先生に自分の手紙を褒められた。その先生は、「数学」を教えてくれた。数を学ぶことの意味、そして、その面白さを教えてくれた。だから、それをそのまま書いた。心のままに先生に宛てて。
それを受け取った先生は、僕のところに歩み寄り、
「お前の手紙、感動したよ。俺はこの瞬間の為に先生やってるんだな!」
と、平然を装いながら僕の頭をクシャクシャにした。
そのとき普段ふざけて笑いを取っていた先生が、はじめて涙目だったことは僕しか知らない秘密だ。
次の週、家の近くのくら寿司でばったり会った時は、感動的な別れをしただけに少し気まずかった。
文章に限らずだけど、表現は大切な人の事を思い浮かべるとより味のあるものになる。もしそれが不細工でダサくて見るに堪えないものであっても、そこに人の思いが加われば、それが自分の表現になる。
「別のひとになろうとしなくていい。上手いことやろうとしなくてもいい。優れたものを作ろうとしなくていい。自分の普通をとことん受け入れなさい。下手なら下手なりに描き切って私に大いに笑われなさい。上手にやろうとしたって上手にできない。そこに拭い難い魅力があるんだから」
Fさんが小学校の美術の先生に言われた言葉だそうだ。
結局どれだけがんばってもカッコよく自分を着飾っても、自分の普通さは消えない。ならば、自分の心からの表現を突き詰めたい。
いつかは訪れるだろう本番に備えて、これからもラブレターを書き続けよう
大切な人を思った文章を。