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非言語的で断片的だが確かにそこに存在するもの

先日、就職活動のために東京に行った。
その日は兄の家に泊まることになっていた。

兄は、1か月前から彼女との同棲を始めたばかりで、家の中にはまだ大量の段ボールとこれから埋められていくだろう大きなスペースがあった。
新生活を機に買った新品のソファと彼女の家から持ってきたという使い古された机の圧倒的な落差が独特な世界観を作り出していた。

兄と彼女と俺。なんだか変な感じがした。家族なのに部外者な雰囲気があった。これほどこの二人が積み上げてきたものが強固なんだと実感した。

次の日早朝に出発するからと、自分だけが早めに寝ることになりリビングに布団を敷いて寝た。寝ようとした。布団の中から耳を澄ましていると兄と彼女の会話が盗み聞こえてしまったからうまく寝付けなかった。

「てりたま始まってたよ」
「あぁ、俺もさっき見たわ。いつ行こうか?」
「週末の楽しみにしよ、最近お菓子食べ過ぎてるから2日間だけ控える」
「わかった、楽しみにしてる」
「そういえば、〇〇の好きなアイス買ってあるんだけど、一緒に食べん?」
「おーーいいねぇ!!たべるたべる」

こんな話をしていた。
「食べるんかい」って突っ込みたくなったし、兄もダイエット話聞いてへんやんって思った。

それはさておき、

会話を聞いて、毎日疲れて帰宅した夜に大好きな人とすこしの間でもこんな会話をして眠りにつく兄が羨ましくなった。

会話をしていることじゃなくて、その会話の節々だったり、声色だったり、空気感だったり、なにか言語化できないところで伝わる温かいものあって、それがとても素敵に思えた。

日々の中のちょっとした楽しみやちょっとした笑顔は、とても断片的ですぐに過ぎ去ってしまうけれど、実はそれが一番温かくて柔らかい。それらを拾って集めて温めて続けて大切にしていく。

そして、

こうやって大切にしたものは、きっと一言の「好き」や「愛してる」よりもより確かなものとして存在することになると思う。

だからこそ、この非言語的で断片的だが確かに存在するそのなにかをいつまでも温め続けられるような、そんな人間になりたいと思う。


以上。