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polyhedra

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【孤高】 私の真髄をテーマにした無料記事です。
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#エッセイ

根性なしとひとに叫んだのは初めてだった

違和感をつくる 化粧は武器、なのだとおもう 全て落としたときの開放感と、脱力感 何も塗らずに外へ出て帰ってくると、なんだか少し疲れてるのがわかる こう見られたい、こう見せたい、というより武器 シャキッとする、させてくれる武器 根性なしとひとに叫んだのは初めてだった しょうがなくやるくらいならやらなくていい ああしなきゃこうしなきゃじゃない 音楽で伝えたいことはなに? 小さな画面にのめり込んでいても 何もそこにはないよ ああ、だからいたいのか 広い、広いせかいへ行きたい 漠然

『ただいま』なんて言うから私は『おかえり』って言えたんだよ

穏やかすぎて怖かった 大きな海辺にぽつんといて 勝手に不安になってた どうすればいいんだろうってなってた 何もしなくていいのに そこでただ寝そべって 起きたいときに起きて 好きな音楽を聴いて それだけでいいのに やっと足先を海に伸ばしてみた どれくらい経っただろう ここまで来るのに どれくらい経ったのだろう 目の前には、変わらない景色がある 気付けなくて、ごめんね 信じる、勇気がなかったの それでもずっとそばにいてくれて、ありがとう それでも愛してくれて、ありがとう 今ま

ただ、唄えばいい。それでいい。

27.28歳 "一番身体が動くとき" というのは、自分の"思うまま"に動かせるという意味だと思っている。今が一番色んな意味で自由というか。 学生時代とは全然違う世界、社会人5.6年目。 ある程度自分の考え方や価値観が本当の意味で見えてきて、決まってくる頃。 高校生の頃からバイトをしていた私は10年以上"働く"ということに携わっていることになる。 同じ職場の人、お客さん、上司や後輩とのコミュニケーション、仕事へのモチベーションだったり、向き合い方だったり。礼儀やマナー "社会へ

"『私はうたうことが好き』だけじゃダメなんだよ"そんなはずない、と言える自分じゃなかったのが悔しかった。

肌の調子も心も軽くなって、だいぶ背筋も伸びてきた。 同じことの繰り返しが始まったらそれは『やめなさい』だ。 滅多に使わない命令系。 『吐いちゃえばいいじゃん』はまだまだ難しい、というよりしたくないの方が強い。 弱さを見せない姿が強さに見えるのは、相手に委ねているからだ。 ただそれを意識下においているかそうでないかというだけ。 孤独は誰にでもある。そして戦っている。 それは閉じこもったものではなく、誰もいない高いところで空の先の地平線を眺めている感じ。前はずっと暗くてひとりだっ

いつも心をいっぱいにしている その気持ちがあなたの誇り

自由に歌えなくなったとか 私の作りたい音楽が何度も何度も否定されて 何より自分で自分をいつでも信じてなかった でもそれを認めてしまったら すぐにでも崩れてしまうこともわかっていて ずっと戦っていたと思う 信じることができなかったのは 自分に自信がないとか、ステージが怖いとか それもある、他にも沢山あるけど そんなことよりも 『私が届けたいと思う人たちに届けるまで』 そんなこと思っちゃいけない どこか受け入れられずにいた 人の中に入ることができないこと 人の感情が怖くて、

小さなことで、喜んで、小さなことで、抉られてる。

『"小さな成功体験"を積み重ねていきましょう』 自己肯定感のことをよく調べたり考えたりしているときによく見る言葉だった。 虫は小さな声なのではない、周りの音がうるさすぎるんだと思った。茂みをよく覗くと見えてくる蜘蛛の巣も知らないうちに壊してしまっていたこともあるんだろうなあ。 冷たい水面に足先をつける時、そこから伝わる冷たさはどこまで伝わるのかを想像しながら踏み入れる。 そこから沈んでいく、冷たさと温かさ。 身体は慣れてくれるだろう。でも心が追いつかない。 たった一言で、ペラ

空虚が私を探すきっかけになる

『よく人を見てるね』と言われる。 なんとなく初めましての人でも体調の良し悪しがわかったり、人としての厚み、オーラは目に見えるものではないけどなんとなく感じている。 人としての厚みがある人からは『気の張り詰まったピリピリ』、そんなものを感じることが多い。独特の雰囲気がある。その人の人格を知るには数えきれないほどのツボの中からこれだ!と見つけ出す判断と決断、経験だったりそれを見つけたとしても言葉にする勇気が私にとっては必要だったりする。 その見ているものが例えばその人自身で作り出

光も闇も包みたい、そう思った。

光も闇も包みたい、そう思った。 光が怖いならあなたの影になろう。 闇が怖いならあなたの光になろう。 『だから、大丈夫。』 言えるようになるからね。 ※無料記事です 誰かに認められることを望んではまた失って、求める。どこにもゴールはないのだと知ったけど、それでも探している自分がいる。 ネットの書き込みを漁って疲れるのは『読む』ことでその書き手の感情が入り込むからで、何気なく見ているつもりでも心が使われて、無意識にでも疲れが出るのだと思う。だからたった数文字でも、点の使い方

今日も呼吸をしていてすごいよ、と伝えたい。

『前向きになった方が幸せだよ』 楽観主義を強要されることで鬱のリスクを盛り上げてしまうという"ポジティブ思考信仰"というものがあるのだそうだ。 中野信子さんの『ペルソナ』を読んだ。 これによって長年の自分の違和感がとってもクリアになった。気軽に言われる『元気出せよ』が昔から嫌いだった私。そんなこともあってか、"人に光を与える"の難しさをずっと考えている。 そもそも"与える"というのはどうしても対等な気がしないのは私だけだろうか?言い方がきつくなるが"強者と弱者"みたいなのがチ

いつかわかる時が来る、その時まで、少しづつ、少しづつでいい、歩いてみよう、そう思う。

突然ですが、自分のことを書き留めようと思います。 (だいぶ長く描いたのと、ちょっとセンシティブな内容になってます。ごめんなさい。) 高校を卒業してからずっと東京でギターの弾き語りで、唄ってきた。 ライブハウスや路上ライブ、県外だと九州一周旅や関西に行ったり、山口県では大学の学園祭に出たり、他にも様々な場所で唄った。 あとはCDを出したり、ワンマンライブ、主催ライブや、個展などもやったなあ。 本当に沢山の、人達と出逢ってきました。(本当に、ありがとうございます。) 実際にラ

明日何を感じてるかなんて生きてみなきゃわかんない

明日何を感じてるかなんて生きてみなきゃわかんない。 それくらい明日を生きるって当たり前のようで当たり前じゃないんだよね。 言葉が好きな理由は、外見ではなく、その人の内面が映るからだ。 顔も見たことのない人の本を買って励まされるのは言葉の使い方や、話し方、その描き方でその人がどんな体験をして、どんな頭の中で、どんな創造をしながら描いているか、それだけが読み手の頭に入ってくる、外見だけを見て、比べられる、思わず比べてしまうと言ったストレスがない。 今までの経歴や、学歴もまだ入る

ミュージシャンだからこうでなれければならない、今思えばそんな周りが思う空想に振り回されていたように思う。

ミュージシャンだからこうでなれければならない、今思えばそんな周りが思う空想に振り回されていたように思う。 ◯◯だからこうしないといけない、例えば女性らしくとか、男性なのにとか、考えたらキリがないほどに、どこへ行っても、安らげる家でさえも、ありとあらゆるものに拘束されて日常を過ごしていたんだな。 そんなことを思った。 家で過ごす時間が増えて思ったのは生活において振り返る時間が増えたなということ。 どんな場所でどんな人と過ごしていたいかとか、普段から一人の時間は大切にしているつも

声は感情のコントロールをとる舵

何もせず過ごすよりできることやって死にたい ただ歳をとるだけではなくて、知るということを止めないで 無知は思考を停止させる ぐちゃぐちゃな感情を感じていることがいい 家族だから怒ることができる 唄はだれかに声を誇示したいわけじゃない 声は感情のコントロールをとる舵 景色にはメロディがある この間夢を見て感じた言葉たち。 変わらずに覚えておいてねと言わんばかりに溢れ出すから思わず書き留めた。 連日繰り返される悲しいニュースを見ているだけの私。 明らかに世界は変容しているの

自分が気持ちよく吸い込める空気は、どこにあるのだろう。

意志を持ったぶれない人、または固まったまま動けないだけなのか。 静寂の中で過ごしたい。 言い切ることが出来なかったそのたった一瞬で、何もかもが崩れていってしまう。そんなことがあった。 とてつもなく大きな想いがあって、それを動かす方法は沢山あって、一つ間違えれば、『悪』だと言われることもあるかもしれない。 善と悪はいつも隣同士、背中合わせにある。どんなことでもそうだって本当に思う。 言葉を遮ることがどれだけあなたを傷つけただろう。 ずっと、きっと、居場所の話をしている。 自分が