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今日も呼吸をしていてすごいよ、と伝えたい。




『前向きになった方が幸せだよ』
楽観主義を強要されることで鬱のリスクを盛り上げてしまうという"ポジティブ思考信仰"というものがあるのだそうだ。
中野信子さんの『ペルソナ』を読んだ。
これによって長年の自分の違和感がとってもクリアになった。気軽に言われる『元気出せよ』が昔から嫌いだった私。そんなこともあってか、"人に光を与える"の難しさをずっと考えている。
そもそも"与える"というのはどうしても対等な気がしないのは私だけだろうか?言い方がきつくなるが"強者と弱者"みたいなのがチラチラするのが気になってしまう。だから使う場面はほとんどない。
それでいうとgiftの方がしっくりくる。プレゼントを渡すことには何の縛りもないし、在るがままの私があなたに贈るもの!という感じ。もっと言えば受けとらなくてもいいよ!みたいな自由さを感じる。
書店に置いてある自己啓発本というものは、大体"ポジティブな思考が自分を変える"、"こうして生まれ変わった"なんて言葉が並べられているけど、そういった言葉で10人中10人が同じように刺さるかと言ったらそうではない、ということだ。たしかに、相手を明るくしてしまうほどのポジティブな人はとっても素敵だなと思う。キラキラ輝いていて、そこにいるだけで周りの雰囲気が変えてしまうほどの陽のオーラというか、見ていてほっこりする。素直な人だなあとか。(陽のオーラに充てられるとなんだか自然とポカポカするよね。)
ポジティブになんなきゃ!なんて自分が一番わかってるのに、背中を押されてそのまま崖から突き落とされたような気持ちになることは正直ある。相手からしたら肩をポンポンくらいなのだろうけどね。好意でくれたものだからその人にも申し訳なくて尚更落ち込む。
自分に置き換えるときに人と同じようにならないといけない"らしい"私たちはきっとここでダメージを受けていると思う。こうして無意識にも入り込んでくる"考えるより感じろ"精神はどうしても苦手だ。全てのことに当てはめてしまいがちだけどそんなことはない。
幼い頃から前へならえと教えられているあの習慣って怖いよね。(余談だけど、電車や道を空けられるのも、信号を守るのも、小さな子供が多かったりする)
本の言葉に感銘を受けても、読んだ次の日には忘れてるなんて沢山あると思う。
こうしてできていく小さな破片みたいなのが沢山積み重なっていくと、どこを触っても切れてしまうほどの大きくて刺刺とした刃物になって自分を傷つけようとしてくるんだよね。それが自分への喪失感に繋がっていく。刺さり慣れてしまって痛みさえ感じなくなって麻痺している人、刺さっていることに気づかない人さえいる。基本的に私たちは自己肯定力が乏しいし、自殺大国だなんて言われてしまうのは多分自信満々な人が浮いてしまうあの感じを知っているからだろう。そうやって本当の自分がどこへもいけずに苦しむ。このままじゃダメだ、と考えることはとても素敵なことだけど、結局思い詰めてしまうよね。誰かに何かを打ち明けることがとても心苦しい時がある。迷惑かけないように、私が僕が我慢してればいいなんてそんなことは決してないけど、ないはずなんだけど、それしか選択できない時がある。あることが当たり前、そんなことないってわかってる。でもまた一瞬気を抜けば忘れてしまう、引き戻"されて"しまうんだ。
自分がいじめられている事実を子供は親には知られたくない、知られちゃいけないと思うのだそうだ。"迷惑をかけてはいけない"と。"弱くちゃいけないんだ"と。真っ直ぐに生きている人が何故苦しむのだろう。苦しんでいい人なんてどこにもいないけど、もっと誇れればいいのにね私たち。自分より人を思いやることができることは、とてもすごいことなんだよと、伝えたい。今日も呼吸をしていてすごいよ、と伝えたい。





Coco





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