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ミュージシャンだからこうでなれければならない、今思えばそんな周りが思う空想に振り回されていたように思う。





ミュージシャンだからこうでなれければならない、今思えばそんな周りが思う空想に振り回されていたように思う。
◯◯だからこうしないといけない、例えば女性らしくとか、男性なのにとか、考えたらキリがないほどに、どこへ行っても、安らげる家でさえも、ありとあらゆるものに拘束されて日常を過ごしていたんだな。
そんなことを思った。
家で過ごす時間が増えて思ったのは生活において振り返る時間が増えたなということ。
どんな場所でどんな人と過ごしていたいかとか、普段から一人の時間は大切にしているつもりだけどこんなに長い時間、自分の好きなように過ごしているのは初めてなんじゃないかなって。
ご飯を食べたいときに食べて、寝たい時に寝て、ギターを触ったり、言葉を残したり。未来を創造したり。テレビのない生活だから自分がスマートフォンをいじらなければ完全に情報は絶たれている。
情報が人にもたらす影響はとてつもなく大きいものだけどそれが大きくなりすぎて、見えなくなってしまったものがある。それは方向性のような道標だ。
探さなくても何となく過ごせる毎日で、気を紛らす娯楽が溢れているから何とも思わないのかも知れないけど、たまにくる虚無感にはそこへ対する寂しさなのか、触れれば通り抜けてしまう実態のないものに導かれて、振り向いたらそこには何もなく、消えてしまっていて、そこを目指していたのに急になくなってしまうという喪失感と共に気付くのは、そこには最初から何もなかった、ということだった。
それは確かに喪失感でもあるけど、今回はまた一からスタートするぞ!と言うどこからかふとやってくるこの湧き上がる気持ちの方が強かった。
どんな状況でも忘れたくない感覚だなと思う。そしていつだって心に留めておけるようにしようと思う。
悲しいニュースが多いけど、ピンチはチャンス、無理をするのではなくて、自分に出来ることをしようと思う。
不謹慎かもしれないが、こういう時だからこそ、見えるものがある。
それが起きたということは紛れもない事実で、目を逸らしてはいけない現実だ。
自分に今出来ることは、誰かを鼓舞することではなくて、自分について考えることで、こうやって言葉に残すこと。
いつもは聞こえない心の声も聴こえてくる時が来るかもしれない。それくらい、いつもすぐ側にあるということを言葉にすること。
いつだって思ってきたことは、"一人の人間として生きる"ということだ。
女性だから、子供がいるから、社長だから、バイトだから、一人っ子だから、高卒だから、頭悪いから、下手だから、綺麗じゃないから、自信ないから、、、、、






沢山のしがらみ。
言葉というしがらみ。
世間の目というしがらみ。
社会というしがらみ。
家族というしがらみ。
自分というしがらみ。
自由というしがらみ。
生きるというしがらみ。





これだけ沢山のしがらみの中で
わたしはどれだけ羽を伸ばし、飛べるだろうか。
わたしはどれだけ地に足をつけ、飛べるだろうか。
わたしはどれだけ宇宙に潜り、飛べるだろうか。
もうそろそろ"そういうのに"捉われるのは辞めませんか。わたし。







Coco








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