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"人生とは何か"を考え続けるのが人生。

使命って何だろうか
人が生きる目的とは何だろうか‥
そもそも、人生ってなんだろうか…

といつも考えていた。

宇宙ってなんなのか
神様ってなんなのか
人間ってなんなのか

次元を調べたり、
宇宙空間の謎についてを読んでみたり
神の存在を問うてみたり、
色んな宗教を調べてみたり。

あれこれしてみたけれども
結局正解が分からない。

色んな説があり、
どれも間違っているようにも見えて
どれも当たっているようにも見える。

それもそのはず
人間はまだその謎の解明に至ってない。

なんで知らない土地を開拓したくなるのか
なんで人は月に行きたいと思うのか
なんでわざわざ遠い宇宙へ行こうとするのか
ロケットを作り、命がけで乗る飛行士がいて
それを見て、自然とワクワクする
あぁ、宇宙って凄いなぁ不思議だなぁと
未知の空間に胸が高鳴る。

どうしてなのか。
疑問に思った。

謎を解明できるはずもない壮大な宇宙を
一生かけて研究する科学者たちがいる

まだ足を踏み入れたこともない
まだこの目で見たこともない
本当にあるかどうかも分からない存在なのに。

でも、分からないから知りたくなる
行ったことないから行きたくなる。
少なくとも地球人の本能には
それが組み込まれているんだと思う。

でもその本能の理由は?

ある時気づいた。

私たちは一番私たち自身が謎なのである。

自分は誰なのか、なんなのか、
生まれ変わりがあるのか
一回きりの人生なのか
生きるってなんなのか
死んだらどうなるのか

自分の存在が一番謎だ。
と私は思う。

何度も生まれ変わってる人かもしれない
でもそう思うように意識を組み込まれて
生まれてきた一時の産物かもしれない

あるいは、どこかにいる宇宙人が操作してる
ゲームの中のプレイヤーなのかもしれない

意識も発言も想いも
その高度なゲームに組み込まれてる
ボタン一つなのかもしれない。

一番私たち、人間が謎ではないか。

そう思ったとき、

そうか、私たちは、
自分の存在を知るために、
自分の存在を確信するために
未知や宇宙の謎を解明したがっているのかもしれない

と。。

広い宇宙の答えが分かれば
私達の存在も分かるかもしれない

隣の未知の場所を開拓して
何かに出逢えたら
自分の存在の位置を確認できるかもしれない

相手の存在により、
自分の存在を確立する

そのために宇宙へ向かっているのか

宇宙へ向かうことがそうさせてるのか

その順番は分からない

でも少なからず
二元性で成り立っている地球では
その方程式が成り立つ

自分という言葉も相手がいるから成り立つ
右があるから左がある
上があるから下がある

(この二元性はどの次元まで成り立つのか
やはり三次元までなのだろうか...)

必死に宇宙の謎を解き明かす科学者たちは
それを通して、自分の存在を証明しようと
しているのかもしれない。

しかし、結局は三次元に住む私たちに
高次元の謎の正解を知るには限界がある

小さい頃から思っていた

「キリストを神が生んだなら、
神はどこから生まれたのか?」

永遠の謎

「宇宙の裏側は?
宇宙はどうなってるのか?」

無の状態から宇宙はどう生まれたのか

ビッグバンやらなんやらあるが
結局それが起こった理由も確率も
それ以前の状態も

宇宙を考えれば考えるほど
正解が見えない

私たちの今の次元には限界がある
地球で生きてる人間の脳では限界がある
そう感じている。

そもそも三次元しか
実際に体感してないのだから
仕方のない話だ

"キリストの復活"が
"奇跡"と言われてる惑星なのだから。

でもビッグバンも
宇宙が拡大し続けている説も
進化論も、輪廻転生説も
全て全て全て、、

間違いはないと思っている

だから
私の中では全ての事象において
答えはない。と信じている。

リンゴの色を
青と答えたからって
それが間違いであり、赤が正解であると
誰が断言できようか。

地球では赤が正解と言われてるかもしれない

けど

その答えは誰も知らない。
正解は間違いがあるから存在する。

正解も間違いもない世界がある。

光と闇が
表と裏が
善と悪が

正解と間違いが

同時に存在する世界がある。

それが宇宙だと思う。

宇宙の同時存在は
本当に今の次元では分からない
でも分かり始めている

だから色んな人が
色んな説を唱えても
どれも正解でも間違いでもないのだ

でもきっとどこかに答えがある。

私たちの存在
この地球
この宇宙
それを作ったとされる
神かなにか

その全てが問いなのだ。

問い、それ自体が神が与えた
最高の人生のオプションじゃないだろうか

全ての答えが分かれば
面白くもなんともないから

だから答えはどこかにある
でもその答えは
この広い宇宙に同時存在している

そして広い広い広い宇宙
考えれば考えるほど分からない。

先程も言ったように限界がある

でもその広い宇宙は
自分の存在を確立するために
あるとしたら?

この広い宇宙の全ては
私たちの中にあるのかもしれない

この謎の全ての答えは、
一番の問いである私たちの内にあるのかもしれない

そして、答えを知るのが人生

とは私は思わない

この地球は?この宇宙は?
この答えは?私たちは?人生は?

その問いを問い続け
考え続けるその過程が
私たちの人生であると思う。

答えが分かれば
その瞬間にゲームは終わる

答えを探し続ける
問い続ける
考え続ける。

答えを知るよりも
その過程に価値がある

だから神はこんなにも
謎だらけのものを創り
問いを投げ続けている

そのこと自体が
神の愛だ。と私は思ってる

人生の目的や使命が
分からないのが間違いではない

でもその問いに
向かい続けることが
人生であると思う。

知りたい。と思う
その欲求が

一番人間を成長させているのかもしれない

きっと私たちの次元が上昇しても
またその先の壁にぶち当たる

きっとずっとその繰り返しをしながら
成長をしていくのかな。。

一体神って何なんだろうか

果てしなくて

自分の中にある気がする

私は小さい頃
「永遠」という言葉が
怖かった

自分たちの次元にはない概念だから、
想像できなかった。

永遠の命を得るために神に祈り、
神に懺悔する人たちが謎だった。


永遠って怖くないのか
永遠って面白いのか?楽しいのか?
終わりがあるから、その過程を
楽しめるんじゃないのか?と。

だから「死」という
インターバルがあるのかもしれない

この考えに至るヒントをもらった
アニメ「PSYCHO-PASS」の台詞で
今日は終わります。

今日のWORD

「…きっと大切だったのは、善と悪の結論じゃない。
それを自分で抱えて、悩んで、引き受けることだったんだと思う。」

        アニメ PSYCHO-PASS

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