見出し画像

雨を待ちながら


雨が降ったら、傘さして、お気に入りの赤いレインブーツ履いて、スマホ片手に濡れた紫陽花の写真を撮りに散歩に出ようと決めた矢先、さっぱり雨が降らなくなった。

明日は雨かな、って少し期待しながら室内に洗濯物を干し、除湿器をつけて、翌日の雨に備えているにも関わらず、まとまった雨が降らない。

今朝も起きたら太陽が出ていた。

…。うれしいんだけど、残念。

なんとも複雑な心境。

いっそのこと、雨じゃないけど散歩に出ようかな、体調的には出れそうだなと思いながらも、これといった後押しがなく、決断するに至らない。

やっぱりいちばんは雨の日に行きたいからね。

そもそも無理は禁物だし、体力もその日のために温存しときたい。

そんな過保護なことを思いながら、洗濯物を外干しする。

でもなぁ、せっかく太陽が出ているんだから、散歩には行かなくても、日向ぼっこぐらいしようかなぁという気持ちになり、いいとこ取りをするべく、ベランダにオレンジ色の椅子を出して、10分だけ日の光に当たってみた。

画像1

あぁ〜気持ちいい。

久々にしっかり太陽に当たった気がする。

そして今日はこんなもんでいいかと、納得させようとするものの、また迷いが生まれる。雨じゃないけどこのまま散歩に出ようか。

うーんと悩みはじめるも束の間、ある瞬間ハッとして、U-NEXTで観ていたドラマの最終回が残っていたことを思い出した。そこに散歩の余地などなく、あっさりと布団に横になってしまった。

どれだけ考えようとしても、結局決まるときは一瞬である。


観るのは【大豆田とわ子と3人の元夫】。


観る前は、奇抜なキャラの主人公がジタバタするドラマなのかと思っていた。しかし、いざ観始めると、その予想は覆された。思っていたより淡々とストーリーは進み、さほどドラマチックな感じもない。似たようなパターンを繰り返しつつ、少しずつそれが崩されていくような、繊細な心の機微が表現された内容に笑ったり涙したりしながら、同時に自身の感情の解放と、整理をしている事に気が付く。

惹かれる映画やドラマは、さほど多くないゆえ、大体自分を浄化する為に観るようになっている。

いいドラマだった。

好きとか、愛とか、繋がりとか、形式とか、そんないろんな既成概念を取っ払ってくれるような、新しい風に吹かれた感じがした。

自由や自分らしさ、等身大やありのままの意味、これまで持っていたいろんな概念の設定が無理なく変更されるような爽快感があった。そして、その根っこにあるものは、いつの時代も変わらない、温もり。

素敵な時空間を体験させてもらえた、不思議なドラマだった。

いい部分は、自分の中にも取り入れたいと思った。

そんな風に思えるドラマって、珍しい。

何より主人公の大豆田とわ子が健気で愛おしくてたまらなかった。松たか子演じる架空のキャラクターとはいえ、その愛おしさを感じさせるとわ子のエネルギーは、しっかり自分の中に取り込ませていただいた。


余韻にひたりながら、ふと、外を見る。

まだ雨は降りそうにない。

このまま二度寝でもするか。

そう思いながらも、別のドラマを検索してみる。

そんなことをだらだらと繰り返していると、

一通のメールが来ていることに気付いた。


友人からだ。

なになに、ふむふむ、なんだか、今までもらったメールにはないような、目新しい提案が書かれてある。

そのまま、メールで返信しようとしたけれど、なんとなく、文字じゃ伝えきれない。

そんな気がして、メールの返信は一旦横に置いて、『久々に電話しない❓』と聴いてみた。

そしたら、出先で、これから用があるから、ウンタラカンタラ…と書かれてあり、『電話するなら水曜にしない?』とのこと。

……んー…一瞬考えたものの、わたしの中には、いつも今しかない。

ダメ元で

【やだ🥺今が旬だから🍑】

とメールを返したら、電話できる場所まで移動してくれるとのこと。

やったー!言ってよかった!わがままでごめんね🙏と心の中で手を合わせつつ、電話を待つ。

すると、その間に夫が帰宅してきた。

友人からは、もう少し移動時間かかるから、また落ち着いたらメールするわと言われる。

その時、ようやく、動けと言われた気がして、直観的に散歩に出ることを決めた。

決まるときは、やはり一瞬なのである。

さっさと着替えて、麦茶のペットボトル持って、外に出る。

あぁ〜やっぱり気持ちいいなぁ。

公園に着いた瞬間、クチナシの花が、強烈な甘い香りで迎えてくれる。

わぁ、もうこんなに咲いてたんだ!

蜜の存在感に吸い寄せられ、写真をパシャパシャ撮る。

画像7

画像2

画像6

画像4

画像5

画像6

白の花って、何でこんなに妖艶なんだろう。

香りが甘くて強くて、虫の集まり方が尋常じゃない。

そして、咲き姿も枯れ姿も蕾の姿も大胆。

なんか、凄い花だわ。


そんなことを思って、目の前に流れる川の向こう側を見ると、おじいちゃんもクチナシの香りに惹きつけられ、わざわざ岩一個分の段差をのぼってクンクンしている。

その姿が可愛くて、思わず吹き出してしまった。

あんなに甘い香り出されたら、ふらふらと引き寄せられちゃうよね。

同じタイミングで同じことをしているおじいちゃんに親近感を覚えながら、写真を撮り終え、いつものベンチに向かう。


しばし、水の流れに身を預けながら、ボーッとする。

10分ほど経ったところで、友人からメールが届く。

“準備できたよー"

ゆるやかで心地よいタイミング。

わたしが家から公園へ移動し、自然を堪能するのと同等の時間をかけて、電話出来る場所まで移動してくれたことに、感謝の気持ちが湧き出てくる。

家族以外の人と会話するなんて、いや、そもそも、会話を目的として、人と向き合うなんて、本当に久しぶりで、なんだか緊張する。

その緊張を突破するように、電話をかける。

久しぶりな感じも特になく、スルスルと溶け込むように、普通に会話が始まる。

とにかく、人と話すことが久しぶり過ぎて、ここ最近感じて言語化されていなかったことが、次々と口から出てくる。

何を話しても、受け止めてくれる。

大切にしているモノや、感覚から受け取る情報、それを処理する上での思考回路は似ているけど、表現方法が真逆だったりするから、そのまま垂れ流しても理解を深め合える安心感。

伝える、伝わる、受け取ってもらって返してもらえるって、悦びでしかないんだなぁって、改めて実感する。

心と身体、そして魂の在り方まで、マクロとミクロを交えたあらゆる視点で会話出来る存在がいてくれることで、わたしのいのちは息を吹き返す。

話せてよかった。ありがとう。

人は同じことを繰り返しているようで、決して同じところにはいない。

昨日のわたしと今日のわたしはもう別人。

5分前のわたしと、今のわたしも、別人。

この記事を描いているわたしと、描き終わったあとのわたしと、投稿ボタンを押した後のわたしも、もう別人。

同じわたしは、どこにも存在しない。

常に螺旋を移動している。

だから、瞬間瞬間の感情が尊い。

どんな気持ちも置いてけぼりにせず、受け入れてあげようって思える。

それがクリアでいられる為に出来る、唯一のこと。

そんなことを想わせられた、朝からの一連の流れと束の間の邂逅。

こうやって、自然や物や人の様々なエネルギー(思考や行動)を受け取って、影響されて、今日のわたしがいる。

今日の出来事がある。

これが生かされている、活かされている、ということ。


今朝起きたら、また雨が降らない。

ベランダは濡れているから、夜中のうちに降っていたようだ。


人生は思い通りにならないから、

面白い。


悦びは、思考を超えた先にある。


意志は出して、そのあと手放したら、自然と流れつく場所がある。


だから安心して、

今日もあなたの心地よい気分のままで。


画像8

画像9

画像14

画像12

画像13

画像13

枯れてもなお、堂々と美しい存在感。


画像14

画像15

花束のような薔薇と電線が調和する。


画像16

画像17

画像19

画像20

画像21

毎年、健気に、一本だけ咲いて目を惹くミニ薔薇。

角度や背景で、別薔薇だね🌹 


散歩の帰り道、やけに自然に堂々と歩いている自分自身にハッとした。

なんだろう、この感覚、なんだっけ、と思い出そうとする。

あ、大豆田とわ子だ。

わたし、大豆田とわ子になってた。

しっかり影響を受けている。

いい影響だ。














ご覧いただきありがとうございます✨ 読んでくださったあなたに 心地よい風景が広がりますように💚