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自然主義についての補足

こんにちは!

わたくし、自然主義についてうっかりしてました。一昨日、絵画の説明をしてすっかり満足してしまい、あとから「危ない危ない」と気づいたのですが、「日本の自然主義」について、あきらかに説明不足になっていて、「日本での自然主義の受容」という視点をを書きそこねてたんですよ。

せっかくなので、この観点や雑感もちょっと書き足して、ミニミニ随筆の続きを書こうと思います。

ちょっとこれはミニミニじゃなくなるかも知れないけど(できたのを見たら8800字でした)、面白い作家がたくさん登場するのでぜひ読んでくださると嬉しいです。


日本では自然主義はどう受け止められたか?


この前AI(claude3.5)に聞いたら、「ラテン語の「ism-主義」には、社会主義のように「こういう考え」を表すだけではなく、日本語の「~流」みたいな感じで、ものを書くときの流儀とかを表す意味もあるよ」

と教えてもらいました。

自然主義は口語訳すると「ありのまま流」であって、西欧ではあきらかに自然科学の概念でした。「ありのまま社会を観察して飾ることなくリアルに書く」って、おもいっきり実験とかの「観察」に似てますよね。

科学と文学は互いに影響し合ってたし、欧米では現在もそうなんじゃないかな。SF作家がいかにアメリカのIT産業に影響を与えたかとか、いろいろ説が出てきています。

日本文学は、もともとサイエンスと共鳴しようという意思はあまりないかもしれません。もちろん、ジャンルがすべてSFである必要はないです。ただ、心の動きとかを精細に書く内面重視の小説でも、やっぱり最新の科学的な知見があるとちょっと印象が変わるんじゃないかな。少なくとも、何か現代的な想像的意匠(イマジナリー)があると、ぐっと「新しく見える」と思います。

(ただ本好きが読んで面白いだけじゃなくて、科学とか医学とか工学とか、他のジャンルでがんばってる人も巻き込んで「面白い」とならなくては、やっぱり影響力は弱まります。わたしはいつもそういうことを考えます。)

日本の自然主義は、一応「西欧の自然主義の影響で登場した」はずなのですが、以前紹介した田山花袋の『蒲団』は、社会小説というより「告白小説」でした。これが日本では独自の発展というか、どうも違う方向へ行ったらしいのです。ここに翻訳のまぎらわしさが加わります。

正宗白鳥の「作家論」で、苦々しく「田山花袋の蒲団」について回想されているので、引用してみます。

先日ある会で日本の山水美の話が出た時、某氏が田山氏の旅行記には、事実 の相違が多く、信用が出来ないと非難していた。しかし、田山氏は西洋文学を曲りなりにでも読んで、自分自身で解釈したところによって、自分の創作態度を改めようとし、『蒲団』のような、他人の物笑いになりそうなものをも、自分でそれを是(ぜ)なりと思ったが故に、断然として創作した。
「僕は昔から比較的正直に世間に生きて来た。誠実を失わずにやって来た。言わば丸はだかで刀槍の林立する中を通って来た」と、『恋の殿堂』の、宗教陶酔時分にいっている。文学の上の氏の革命態度は、氏自身の作品を根本から異ったものにはなし得なかったが、他の文学者に及ぼした影響は甚大であった。花袋流の自然主義が流行して文壇を賑わしたのだ。賛成者でも反対者でも、盛んに自分自分の『蒲団』を書きだし、自分の恋愛沙汰色慾煩悩を蔽(おお)うところなく直写するのが、文学の本道である如く思われていた。

「田山花袋論」正宗白鳥『新編 作家論』(岩波文庫版)

すごく微妙な話なんですが、花袋は確かに「自然主義」の「客観的な観察」という部分を勘違いして理解し、解釈したかも知れないけど、花袋は「誠実で正直で凡庸な人だった」という2つの事実から、その結果について白鳥は指摘します。

つまり、花袋のように「正直に告白をすればありのままの実生活」につながりうる、という日本的な小説観の誕生でした。その影響は甚大で、『蒲団』が出るまでは、そんなことを考えていなかった人たちも、やっぱり『蒲団』みたいな告白小説を書いてしまったそうです。

日本の小説が、「真の人生に根ざした思想」や、弊害として「やや人生の裏側を掘り起こすようなゴシップ趣味」のような俗っぽいところがあるのは、
この花袋の影響ということになります。

ありのまま流は、ありのまま何を書くか、でだいぶ変わっているということになります。ありのまま「人生の真実」を書くのが、花袋流の日本の自然主義という結論ですね。

自然主義歌人って誰?


ところが、こまったことに短歌の世界でも「自然主義歌人」というのが居るんです。「えっ、自然をありのまま写すのは写生写実だから、正岡子規のアララギの系統が自然主義歌人なんじゃないの?」と一見勘違いしそう。

正岡子規の「写生」は、確かにアララギの文学理念になりますが、編集人(主宰)が代わるたびに、コロコロと意味合いが変わってしまう。日本の漢字の概念の弱さと言うか、表意文字だから「こうも読めるしこうも読める」みたいな話かな。

「写生=西洋絵画のスケッチ」

と思ってたら、

子規没後3年しかたっていない明治38年に、後継者の伊藤左千夫が早くも「写生」を拡大解釈して「事実を歌うだけではなく、主観も大事だよ!」 みたいなことを言ったらしくて、ここからいろんな概念が拡大解釈します。

茂吉の「実相観入」とか、
赤彦の「歌道小見」にある「対象を感動ごと描写する(筆者の意訳です)」とか。

そもそもスケッチの翻訳語を、短歌にあてはめて正解だったかどうか、まずもって見解が分かれるところですが、後進の歌人たちがどんどんこの文学理念をアップデートさせていく、という文学集団として「アララギ」は前に進んでいったらしいのです。

この辺の事情は、大辻隆弘著『アララギの脊梁』に詳しいです。(詳細は「島木赤彦の写生論」『アララギの脊梁』を参照)

(私は「未来」の歌人なので、いま近代短歌の解釈で孤軍奮闘している大辻隆弘さんに、どんどん「助太刀しなきゃ!」みたいな気持ちでおりますが…こういう個人的な事情はどうでもいいですね。別稿で大辻隆弘さんの「近代短歌の評論3冊」をどう理解するかという話もしたいですが…。)

さて、話を元に戻すと、

困ったことに、「自然主義歌人」という言い方が、明星というか、浅香社の系統からでてきてしまいます。

石川啄木です。

岩手県立図書館にこんなコーナーが!!


自然主義歌人としては若山牧水(わかやま ぼくすい)、前田夕暮(まえだ ゆうぐれ)を筆頭に、土岐哀果(とき あいか)、啄木(生活派)、吉井勇(よしい いさむ)、北原白秋(きたはら はくしゅう)(頽唐(たいとう)派)、島木赤彦(しまき あかひこ)、斎藤茂吉(さいとう もきち)ら(写実派)といった面々が活躍しました。

「第34回 啄木資料展」岩手県立図書館

えっ。茂吉と赤彦が自然主義(写実派)だって??

……まあいいや、触れないでおこう。

でも実際に啄木が「自然主義運動」について触れているのは事実です。

 詩は古典的でなければならぬとは思わぬけれども、現在の日常語は詩語としてはあまりに蕪雑(ぶざつ)である、混乱している、洗練されていない。という議論があった。これは比較的有力な議論であった。しかしこの議論には、詩そのものを高価なる装飾品のごとく、詩人を普通人以上、もしくは以外のごとく考え、または取扱おうとする根本の誤謬(ごびゅう)が潜(ひ)そんでいる。同時に、「現代の日本人の感情は、詩とするにはあまりに蕪雑である、混乱している、洗練されていない」という自滅(じめつ)的の論理を含んでいる。

 新らしい詩に対する比較的まじめな批評は、主としてその用語と形式とについてであった。しからずんば不謹慎(ふきんしん)な冷笑であった。ただそれら現代語の詩に不満足な人たちに通じて、有力な反対の理由としたものが一つある。それは口語詩の内容が貧弱であるということであった。

 しかしその事はもはやかれこれいうべき時期を過ぎた。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 とにもかくにも、明治四十年代以後の詩は、明治四十年代以後の言葉で書かれねばならぬということは、詩語としての適不適、表白の便不便の問題ではなくて、新らしい詩の精神、すなわち時代の精神の必要であった。私は最近数年間の自然主義の運動を、明治の日本人が四十年間の生活から編みだした最初の哲学の萌芽であると思う。そうしてそれがすべての方面に実行を伴っていたことを多とする。哲学の実行という以外に我々の生存には意義がない。詩がその時代の言語を採用したということも、その尊い実行の一部であったと私は見る。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~

「食うべき詩」石川啄木 『弓町より』

啄木はぼくは歌人だけではなく、その源は優れた批評家だと思っています。
啄木のオリジナリティは、啄木の批評性にあると言ってもいいくらい。

その啄木は、いわゆる自然主義を

「私は最近数年間の自然主義の運動を、明治の日本人が四十年間の生活から編みだした最初の哲学の萌芽である」

と高く評価していますが、ここで啄木が生活という言葉を使っているように、彼にとっての自然主義は「実人生」からくる詩情でした。

 謂(い)う心は、両足を地面じべたに喰っつけていて歌う詩ということである。実人生と何らの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。珍味ないしはご馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物のごとく、しかく我々に「必要」な詩ということである

「食うべき詩」石川啄木 『弓町より』

まさに「地べたに喰っつけて歌う」生活の詩ということを啄木はいい、現代でも通用するような優れた「生活詩という概念」を打ち立てたのです。

まとめー浪漫主義と自然主義


わたしたちが直観で思う「自然を描くのが自然主義」という誤解には、大きな「はしょり」が二つあることに気付きます。

一つは、自然主義は「リアリズム」の問題であるということです。
リアリティがあるかないか、よく短歌では問題になりますので、これはさっとわかると思うのです。

もう一つは、浪漫主義と自然主義が全く対立する概念として存在しているように見えることです。

柄谷行人は有名な「風景の発見」(『日本近代文学の起源』)のなかで、国木田独歩が浪漫主義か自然主義か問うのは誤謬だと指摘しました。

柄谷のいうことをわかりやすく敷衍すると、『浪漫主義(ロマンティシズム』と『写実主義(リアリズム)』は「一対のもの」で、それがどちらかに属するかを決めるものでもないと、全体を通して主張しています。

ひとりの人間のなかに、「リアルに書く」ことと「ロマンティックに書く」ことが同居しうるということです。なぜなら、主義は態度でしかないから。

日本の小説家が、たとえば藤村が『若菜集』という「ロマンティックな新体詩」を書いて自然の美しさを香気高く歌い、詩人として出発したのと同様に、小説家としては『破戒』以後、実人生・実生活のリアリティにこだわったことも「両立しうる」というか、両立しなければならない、くらいの勢いです。

詳しく最後言い換えさせてください。

自然をかくか、社会をかくか、テレビを見て書くか、という対象の景物というのは、ただの対象物(オブジェクト)なので、主義の問題ではないです。

ありのまま(リアルに)書くか
うつくしく(浪漫的に)書くか

こっちが重要だと言うことです。こちらが主義(=態度)の問題なのです。

このことは「短歌」というジャンルにとっても重要です。

短歌の議論が、どうしても「リアルかリアルじゃないか」に還元されてしまうのは、何かおかしいと思っています。別に短歌はリアルに書けばいいというものではないですよね。

何度もこの言葉に戻りますが、日本語には情理と言って、感情も理屈もあります。同じように、美を感じる心があり、事実に正確に即す理もあります。

わたしは総合誌の特集とかでリアリティが大事だ、という議論に付き合う気はあんまりないんです。ただリアリティというとき、同じくらいロマンティックなこころ(情緒)もないといい歌にならないよ、と言いたいのです。

なんかいろいろわかりにくくなったので、ちょっと話題を転じて、小説の話に戻りますね。

日本人は小説好き?


日本の文学、っていうとどうしても「小説」がメインで、いまも小説が一番売れてるみたいな状況が続いています。以前ちょっと話したけど、僕には「小説」ってそんなに魅力的には映らないと言うか、若い頃はたしかに一番夢中になって読んだし、小説家にも憧れがあったんですけど、もう46歳になると、「新しい小説」を手に取って、小説の文体や世界を把握するために感情をぐっと移入するのが、ほんとに大変だったりするんです。

最近後悔があるとすれば、「若いうちにドストエフスキー読んでおけばよかった」ということかな。

とにかく長いし、重厚そうだし、一番短そうなものでも文庫1冊分位あるから、「吉川英治さんの三国志のほうが面白いや」と思って、ちょっと若い頃敬遠したんですよ。今となってはもはや読める気がしない。

大江健三郎も「万延元年のフットボール」は結構早い時期に読んだけど、「ピンチランナー調書」とかは、厚さにおそれをなして、というか、文庫でも「厚い」ってわかるじゃないですか。そこで、「やっぱり短編からかな?」とか自分に嘘をついて、手を出し損ねた悔いがあります。

三島由紀夫の『豊穣の海』とかもたぶん豊穣なんだろうけど、「長そう」という理由でなかなか読めなかった。漱石の最後の作品「明暗」も、勉強だから読んだけど、20代くらいでぼくは小説の「長さ」がちょっと辛くなってきていました。特に『明暗』は筋書きらしい筋書きもなくて、ただきつかった…。

でもいま「文学」っていうとまだ「小説」で、小説家になりたい人が多いですよね。文学史も小説中心で、名文章家は誰ですか? というとやっぱり志賀直哉が選ばれるような。

実はこの小説中心な後世のものの見方のなかで、取り残されちゃった文学者がめちゃくちゃいっぱいいる、と思います。

近代は結構忙しい時代で、どの文学者も「ジャンル」にとらわれずにあれこれ試行していたり、随筆だろうが小説だろうが、評釈だろうがなんでもする、みたいな勢いだったし、現代ではどのジャンルに括ればいいかわからないことをやってる文人もいました。

後世のひとが「小説中心主義」になっちゃったから、忘れられてるだけです。これはその作者のせいじゃなく、ただ見つかってないだけ。実際、その人の文学はめちゃくちゃ面白いし参考になります。

そんなスポットライトがあたってない「文学者」のひとりに、先ほど引用した正宗白鳥という作家がいます。

正宗白鳥について


じつはぼく、近代作家のなかでは、白鳥が一番好きです。正宗白鳥って一応小説は書いてるんですよね。『何処へ』とか『入江のほとり』とか。でも小説だけ読んでると、「うーん、なんか熱量がないよな」っていう感じに見えて、作品としては他の作家に比べると、「カタルシスが足りない」という印象になるのかな、ちょっと片手落ちな印象。

白鳥自身も「小説家になる」という意識は薄かったみたいだし、他の作家と比較するとあんまりぱっとしないけど、一人称の随筆はめちゃくちゃ面白いです。ほんとに醒めた目で周囲を見ていた人だし、ものごとをしっかり「疑いながら見る」という視点を大切にできる人で、とても「客観的」で、一番自然主義的な「科学」の眼を持っていた人のように思います。

ただ、同時代の受けはあんまり良くない。

ちょっと虚無的で、「あれもつまらぬ」「これもつまらぬ」と言う人で、たいして関心のない会合にでては、「つまらなかった」って書く人だったらしいので、シニカルな人と思われてたらしいです。

でもその冷徹さは、文章の簡素さと合わせて、私ははっとします。周囲からもその眼は一目置かれていました。そしてちょっとおちゃめなところがあって好き。

そんな「ニヒルでシニカルな人」と思われていた白鳥も、キリスト教に入信していたらしく、亡くなる直前に「あなたは神を信じますか?」と言われて「信じます」と答えたらしいのですが、あまりの白鳥のニヒリストぶりを知っている同時代の人から、「それは嘘だ」とか「本人は信じてない」とか、「そもそもそのエピソードは捏造だ」みたいに散々言われてしまったらしいのですが…。

戦中・戦後は回想録というか、人物評、文芸批評のような仕事が多くなりましたが、それこそが正宗白鳥の最高の仕事です。「こんなに人をよく見てたんだ」というくらい観察眼が鋭い。小林秀雄から、こんな激賞をされてますし、対談もしています。

賞讚は批評ではない、侮辱(ぶべつ)も批評ではない、と言ってそういう着物をすっかり脫いで了った公正な批評というものは無力である。
批評の技術もなかなか難かしいもので、所謂客觀的批評など書く事は、感情に驅られて、賞讚したり侮蔑したりするのと同程度に容易な仕事であり、いわば批評のいろはである。
 正宗氏は如上の意味での、批評の本質的な技術に通達した、文壇で殆ど唯一人の人だと僕は思っている。從って氏の感想文の中味は、壓してみないと解らない。
 世人は、氣難かしい、皮肉な人間を正宗氏に見度がるが、そういうのは氏の批評文の見掛に惑わされた俗見に過ぎない。
 壓してみれば、意外に自由な闊達(かつたつ)な、澄んだ氏の心という中味が見附かるであろう。

「正宗氏の『文壇的自敍傳』」小林秀雄『作家の顔』(角川文庫:昭和33年初版)

もし、小説よりも「随筆や論理的な文章」が好きという方は、正宗白鳥をぜひ読んでみてください。

作品紹介


青空文庫で読める白鳥の随筆をいくつかご紹介します。

青空文庫で選出されているのはほんとに「名随筆」と言われているものばかりで、「文章が短い」「読みやすいのに味がある」「冷静だけどちょっとお茶目」みたいなのが多くて、面白いです。2・3ページだけど、「あ、そういうことか」という発見があります。

よくこんな簡潔に書けるなあ、と。ぼくもお手本にしなきゃ。

あと、白鳥は和洋でいうと洋が趣味で、英語も話せたらしく、美の感覚が洋風なのです。「日本の山水」はつまらず、「軽井沢の高原がいい」と言ってます。ほんとに自然が好きな自然主義の作家だなあ。

「登山趣味」

――日本は海に囲まれていながら、海の文学より山の文学が多い。

といわれてはっとする文章。これは山岳雑誌に乗った小品ですが、こんな短いのに発見があります。あと、登山家はプロの冒険家よりも「山好き」であるくらいがいいとか、ものの見方が光ります。

「軽井沢にて」

白鳥の軽井沢愛が溢れてます!

「登山趣味」より長いですが、軽井沢がイギリス人によって「西洋に似ている」ということで開かれた保養地・避暑地だったこと、日本ではじめて「高原」と言われたことなどを踏まえると、白鳥が気に入って通ってた理由もわかります。

文学者と軽井沢って結構縁がありますが、はじまりは堀辰雄からではなく、白鳥と小川未明からでいいのかな?

――詩人室生犀星氏は、「軽井沢では煙草を吸うのも贅沢だ」ということを云って、この高原で吸う煙草の味のうまさを讃美していたが、清浄な凉気のなかで読む物語の味いも、下界で読むのとは、自から異っているらしい。

                   正宗白鳥「軽井沢にて」本文より

こんなこと言いながら、英訳の源氏物語を読んでるとかやっぱりすごいですね…。

いいなあ。
本読むのがそんなに気持ちいいなら、軽井沢に行って、ぼくはドストエフスキーを読みたいです!

「編集者今昔」


――今は編輯者は編輯だけに忙殺されてゐるやうだが、あの頃は、編輯の餘暇に自分の文學仕事をやつてゐる者が少なくなかつた。雜誌社の方でもそれを許してゐた。編輯者が自分の雜誌に作品評論を發表することは、むしろ常例となつてゐた。

正宗白鳥「編集者今昔」本文より

いまの編集者とむかしの編集者の仕事ぶりを回顧した文章。いまは編集者は編集しかしないけど、昔の編集者は雑誌の方針を決めるので、「売れるか売れないかは編集者次第」だったり、編集しながら執筆もしてて、自分の原稿を載せたりとか、まあかなりゆるかった、という話です。いつから編集者が編集しかしないようになったんでしょうね。現役バリバリの作家がやってもいいと思うけど…。

Indesignをはじめアドビの壁があるのかな。

「冬の法隆寺詣で」

基本的には洋の人で、和の感覚がわからないという白鳥が法隆寺や中宮寺の仏像を見た話です。たとえが面白いです。

しかし、私が一番注目するのはラストです。

なにっ、松阪牛食ってる??

こういうところ好きだなあ…。

「素材」

前半、「書くことがない書くことがない」とさんざんゴネる白鳥ですが、素材が見つかって猛然と名文を書き始めるというなんかメタ随筆とでもいうのか…。

白鳥の「やる気のなさ」が好きです。

なんかちょっと「シニカルだけど面白そう」と思ったら、ぜひ文庫を読んでみてください。

書籍のすすめ


ぼくが持ってるのはこの「作家論」なんですが、これでぼくは白鳥にハマりました。人物批評が的確すぎ。漱石論が白眉です。岩波ですが、もう絶版かな?


講談社文芸文庫には「白鳥評論」と「白鳥随筆」の2種があり、電子書籍もあるのでアマゾンで買えるようです。一応目次を見ましたが、随筆の方は、ちょっとずつ青空文庫にでているので、「白鳥評論」をおすすめしたいんですが、人物評の人物はそんなに「作家論」と変わらないですが、微妙に出典が違うようで…。もしかすると原典を電子書籍でもっと安く買えるかも知れないです…。買う前に調べるのをおすすめします。

あと、日本文学全集などを買うことができれば、

・ダンテについて
・内村鑑三

など、散逸した長めの文章が入っているのですがこれも面白いです!
小説以外の日本文学もぜひ読んでみてください。

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