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「なりけり」と漢文教育

今日の記事で高木佳子さんの『玄牝』を改めて読んでいて、「あ、そうだ」と思い出した。「文語がカッコいい」、という感覚を煎じ詰めていくと、どうも僕が昔ハマっていた「漢文」に元が辿れるのではないかという気がした。

新潟県民の「郷土の英雄」はまずもって「上杉謙信」である。むかしの祖母の兄弟筋は「産めよふやせよ」の時代だからとにかく兄弟がたくさんいて、よくうちに遊びに来ていた。

そのなかのひとりで、とても良くしてくれた人に、子供のぼくによく将棋を教えてくれたり、酔っ払うと「詩吟」を大声で歌って聞かせてくれたおじさんがいた。

詩吟は大きな声で漢詩を唸るように読み上げる、日本の伝統芸能である。

詳しい説明はこちら↓

一番有名なのは、上杉謙信と武田信玄の「川中島の戦い」をもとに日本の漢学者、頼山陽が作った漢詩「川中島」だ。郷土の英雄の名場面だから、新潟県民は「詩吟好き」率が高かったのかもしれない。

(以下のリンクは音量注意↓)

小学何年生だったか(多分5年生)、進級したときの記念に上杉謙信の伝記をプレゼントしてもらい、やっぱり決戦のシーンになると、この漢詩の「べんせいしゅくしゅく」が書かれていてわくわくした。小学校の高学年にしてはこの漢詩、かなりオーバースペックだと思うのだけど、当時のぼくはこの漢詩が結構好きで、ひたすら暗誦した。

鞭声粛粛(べんせいしゅくしゅく) 夜河を過(わた)る
曉に見る千兵の 大牙を擁(よう)するを
遺恨(いこん)なり十年 一剣を磨き
流星光底 長蛇(ちょうだ)を逸(いっ)す

頼山陽「川中島」(関西詩吟文化協会HPより(ふりがなはすべて筆者))

当時の伝記には確か、馬のいななく声が敵に聞こえると悪いので、馬の口に轡を噛ませて、1万もの兵士が夜の河をしずかに渡ったと書いてあったはずだ。

まず、「鞭声粛粛 夜河を過(わた)る」が、めっちゃ全部省略が効いていて、とにかくカッコいい。文語のカッコよさとは、この省略とか、なり・けり・たりのピシっピシっとした言い回しだったと僕は思い出す。

暁け方、霧がはれると武田軍は上杉軍がみな川をわたりきっているのにビビる。
「しまった!」
その瞬間、上杉軍が武田軍に一斉に襲いかかり、謙信は単騎で信玄の本陣に突入してきた。
「ガツーン!」
信玄は謙信の太刀を2回、鉄の扇で受け止め、1回は甲冑にあたったとか。結局、信玄の援軍が到着し、上杉軍は武田軍を打ち漏らして、戦は引き分けになる。

こんな様子が全部この漢詩に書かれているのだけど、当時「詩吟」を知らなければ「漢詩」なんて触れることができなかっただろう。ぼくがよく「意味」なんてどうでもいい、というのはこの漢詩を暗誦した体験があるからなのかもしれない。

                ※

実は戦後、あとかたもなくなってしまったのは「漢文教育」ではないか。

戦前まではかな文字(いまの古文)、漢字(漢文)、そして外国語(英独仏露いずれか)の3つの文章が必修だった。つまり第一外国語は英語ではなく、古い中国の漢文(しかも日本人も読めるよう書き下し文が付されたもの)だったということになる。

歴史の授業のとき、みんな満州とか気軽に言ってるけど大丈夫かな、と思っていたのだけど、もしかして当時の人たちは漢文をやって、中国語はペラペラだったかもしれない。少なくとも軍のエリートはみな漢詩も短歌も嗜んでいたと思う。

いまは第一外国語が英語なので、一度「海外の概念を漢字に直して理解する」必要がなくなった。ポストモダンを「近代以後」とは言わない。フェミニズムを「婦人解放運動」とも言わない。「婦人」なんて言ったら、現代では「いつの時代の話?」なんて言われるかもしれない。

現代では西洋のことばはそのまま訳者の判断ではカタカナになったりする。デリダの脱構築には、原文のdéconstructionの要素は半分くらいしかない。だから西洋語は常に翻訳不能というより、漢字化不能だ。接頭辞なんてものが漢字にないから、ニュアンスがうまく伝わらない。

だから急にカタカナでクィア・スタディーズとかカルチュアルスタディーズなんて言い方になる。カルチュアル・スタディーズはカルスタと呼ばれた。ぼくはめちゃくちゃ応用して使っていたけど(この文もそう)、なんかニュアンスだけで馬鹿にする人たちがいたような気がする。

               ※

僕は東京のほうが進んでいるような気がしてこっちに出てきたけど、実は様々なジャンルで「地方には残っていた(当時の)感覚」というものがあると思う。進んでいる、なんて言い方は厄介だ。ぼくは若い街に住んでいたから、たしかにその時は渋谷系みたいなオシャレなものに魅力を感じていたけど、よく考えると東京には「格調」がない。漢字の魅力というより、漢字の魔力を教えてくれる教本(テキスト)もない。

ぼくが自然に「地理と歴史はつながっている」なんて言えるのも、新潟県にいたころは「信長の野望」の武将名がそのまま市町村の名前になっているなんて当たり前だと思っていたからだ。

新発田は市の名前、柿崎は町名として知られていたが、いずれも上杉家の有力武将の名字である。とっておきは武田信玄に追われて川中島の原因になった村上義清・国清親子である。北信濃(いまの長野県)とは関係ない下越のほうに領地をもらったらしく、それは村上市として現代まで続いている。

案外地方のほうが漢字教育が盛んなんてザラかもしれない。ぼくは伊勢とか竹取のような物語は嫌いだったけど、郷土の武将のエピソードならたくさん言えるのである。

ちょっと今日は高木さんの話はできなそうだけど、基本は格調がある言い方のほうが怖い。男性の声で「やめろ」というのと女性の声で「やめよ」というのはどっちが怖いか、なら、あきらかに女性の文語の声のほうが怖い。

殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あかあきつ) ゆけ

水原紫苑『びあんか』

雁書館から出た「2INシリーズ」の水原紫苑さんの『びあんか/うたうら』を、ぼくはめちゃくちゃ惹き込まれて読んだ。しかし、この「ゆけ」と言った声は誰の声なのか、いまだに解釈をぼくはためらっている。この一時空けの「ゆけ」には、言葉を越えたなにか魔力のようなものを感じるからだ。

オカルトぎりぎりだけど、漢字にはなにか人を動かす「魔力」のようなものがある。アメリカ軍が恐れたのは漢字ではなく、この「魔力」の方だったのかもしれない。

次回こそ高木佳子さんか花山多佳子さんを読む。


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