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新宿のあの悪夢に、ボクはほんの紙一重で生き延びた…

その日は新宿で延々と続く不安を抱えながら、山手線が来るのを待っていた。駅はひっきりなしにアナウンスの声が響いていた。ホームは人であふれ、線路に落ちんばかりにごったがえしていた。そこには見たことがない数の警察官が厳しく目を光らせ、パラメディックが慌ただしく走りまわっていた。日本語がわからず、ボクは混乱するばかりだった。この事態を教えてくれるものは誰もいなかった。混沌は永遠に続くように見えた。

あの事件でボクは生き残り、すべきミッションを背負った

あの日は来年開催するイベントの準備に香港に移動する予定だった。フライトの前に人に会う約束で、早朝に駅にむかった。そこで長時間、足止めになったが、何が起こったかはまだ報道されていない。今夜は香港でデジタルアート協会の役員やイベントの主催者、マネージャーや参加作家等との食事会の予定がある。東京や深圳からのゲストも参加する予定だが…。ボクはアメリカから日本経由で香港に行く。すべては香港のアートシーンのキーマン、デジタルアーティスト、リー夫妻のコーディネイトのおかげだ。デザイナーやフォトグラファー、コーディネーター、デジタルアーティストなどが、今度のアートショー《Digital Fest Hong Kong '95》の開催にに賛同してくれている。

空港から香港へは通常通りについた。シャワーを浴びて、今日の長い1日を思いながら、ホテルの部屋で何気なくテレビをつけた。チャンネルを進めると日本の国営放送、NHK放送局のニュースを見つけた。あの事件の報道だ!映像は慌ただしく走り回るパラメディックや警官、駅員たち、シートで覆った死体、けが人、混乱した女性たち…。強い毒を持った物資が原因?何者かが朝のラッシュ時をねらって地下鉄の電車を直撃したらしいという報道だった。『世界一安全だと言われた東京で、日常を破る事件がいとも簡単に起こったのです!』とテレビの中でアナウンサーが叫んでいる。ボクはその近くにいたが、そんなことが起こっていると想像もせず、ただ、いつ来るともわからない電車を延々と待っていた。報道を見て身震いした。ボクはどのくらいの確率で生き残ったのだろう。あと1ミリか、1メーターか…それはだれにもわからない。行内では繰り返しアナウンスが流れたが、日本語わからなかった。あの混乱の中で、ボクに状況を教えてくれる者など皆無だった。

今年、われわれは《Digital Fest Hong Kong '95》を開催する予定だ。その準備のために香港入りした。例のごとく、コーディネータとのうちあわせや、スポンサーとの交渉に、招聘する作家と演出の相談…エンドレスな業務に追われる中、関係者と顔合わせの食事会の予定がある。今日出席する連中は、今夜ボクがここに来ない可能性など想像もしてないだろう。ボクはここにいるが、もういない人間だったかもしれない。その刹那を抱えながら、彼らの待つレストランへ足早に向かった。

1つを失い、多くを得た、Mayとボクの数奇な活動

「るべお、東京から来た仲のいいクリエーターを紹介するよ。Mayという映像作家でね。今度のプロジェクトにぴったりだと思うよ」いつもどおり、穏やかなリーがいた。「それは楽しみだね」とボク。出席者が席につくとリーがボクを紹介した。「るべおはLA出身、現在はサンディエゴ在住だ。カリフォルニアで活躍する壁画作家で、デジタルアーティストとして世界中のアーティストと交流するアクティブな作家だ。そしてこの《Digital Fest Hong Kong '95》のプロデューサーで、この香港で世界レベルのデジタルアート展を開催するため来てくれた!」拍手で迎えられ、紹介を受けてイベントの概要やコンセプト、演出アイデアを説明し、パンフレットを配った。参加アーティストがそれぞれ制作アイデアを出し合う。盛り上がってきた時、リーはMayを紹介した。実はMayも今年、東京でデジタルアート展の開催予定があり、リーも招待作家として参加する。Mayは参加者から大歓迎の拍手で迎えられた。彼女ははボクに東京のアートショーの趣旨を話し、ボクのグループを招待したいと話した。こうして僕とMayの長いつきあいがここ香港ではじまった。

ところが大勢が努力して開催にこぎつけた《Digital Fest Hong Kong '95》は、開催当日、巨大な台風が香港を直撃。長い時間をかけて準備して、招待作家も作品とともに香港入りしている。ボクたちは何としても開催しようと思った矢先、政府は台風の危険数値を「レベル4」から「レベル5」に引き上げた。イベントは中止するしか選択肢がなかった。この悪いニュースをリーとボクはMayに個別にメールで知らせた。香港を所狭しと暴れまわる台風をホテルの部屋から眺めていると、日本が未曽有のテロ事件に巻き込まれたあの日、ボクが偶然助けられたことを強く感じた。その時はまだやることが残っているからだと思ったが、こんな事態になっても、まだやるべきことがあるから、この巨大な台風の中で生かされている。その時、部屋の電話が鳴った。Mayだった。台風で中止になったイベントへの挨拶と、あらためて東京のデジタルアート展に招待してくれた。ボクは未来に目を向けようと承知した。

この最初の仕事を一緒にしてから、Mayとはカリフォルニアやメキシコ、日本やアジアなど、いろいろな地域で広告制作や、都市イベント、映像制作など多くの活動をともにした。ボクたちは稀有な機会に恵まれ、さほど苦労せずに活動できたのは、あのときに生命と引き換えに与えられたミッションが今も続いているからだと思っている。




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