グチャグチャでも伝える エッセイ#68
アメリカに移住してから、私のコミュニケーション観は、大きく変わっていきました。
その一つは、前回の記事で紹介したコチラ。
もう一つの大きな変化は、
不格好でもいいから「自分の気持ち」を伝えるクセがついたことです。
アメリカに住んでいると、「英語」=完璧に話せない言語でコミュニケーションをとらなければいけません。
はじめのうちは、英語を「正しく」話すことに一生懸命でした。
けれど、「ちゃんと話すこと」「間違わないこと」に気を取られていると、英語を話すこと自体が怖いし、億劫になってしまい…
必要最低限の会話や、コミュニケーションはとるけれど、
話すことや、伝えることを、なかば諦めている自分がいました。
そんな時、たまたま話したアメリカ人の英語コーチが、
と言ってくれたことがありました。
それからは、間違うことはどうでもいい、
コミュニケーションを取ること・伝え合うこと・通じ合うことが本当の目的なんだから。
と思えるようになり、
積極的に、自分の気持ちを言葉にする努力をし始めました。
考えてみれば、単語が並んでれば言いたいことってわかりますしね。笑
だから、目の前に誰かがいるときは、
「あー、前置詞間違えちゃったなー。」
「今の不自然な表現だよなー。」
「この単語、可算名詞だっけ?」
などの、英文法への疑問は、一旦吹き飛ばして、
伝わればいいんだ♡
と言うスタンスで。
アメリカでは、「建前」で話すとかがあまりなくて、素直な気持ちや考えを言った方が喜ばれるから(私の周りはそう)、
とにかく、自分の持てる範囲のボキャブラリーと英語力で、
完璧じゃなくても、グチャグチャでも、
自分の素直な気持ちを、一生懸命言葉にしていくようになったんですよね。
そして、
そういう風に、自分の気持ちを言葉にして伝える努力をすると、
相手との関係性が深まっていくんだということを、身をもって知りました。
伝えることを諦めて、ただニコニコしていた時には、知らなかった世界が広がっていたのです。
グチャグチャでも、完璧じゃなくてもいい。
素直な気持ちや、感じていること、自分の体験を言葉にして、伝える努力をすることが大事なのだと知りました。
そうすることで、そこに伝え合う余地が生まれるから、
自分のことが伝わるのはもちろん、相手も相手のことを伝えてくれて、コミュニケーションが深まる。
そんな温かい体験をしました。
そして何より、
たとえグチャグチャだったとしても、
伝える努力をするのは、自分自身のためでもある。ということも、痛感しました。
自分の気持ちを無かったことにしないで、
言葉にしようと努力した自分、
伝えようとした自分。
そんな自分への信頼感が深まって、心が満たされるのです。
そしてそして、
アメリカで生活しはじめて、不器用ながらも自分の気持ちを伝える、そんなコミュニケーションの仕方に変わって、
大事なことに気づいたんです。
これ、日本語でも同じだよな。と。
文章だと、マイペースに、
じっくり、しっくりくる言葉を選び取ることができるから、
書いて伝えることは好きなのですが、
会話のテンポだと、自分の気持ちを表す言葉を即座に見つけられないのと、
心で深く思っていることほど、なぜか言葉にするのが難しくて、
日本語でも、
伝えることを諦めて、
当たり障りのない、笑ってごまかすコミュニケーションをしていたなぁと。
けれど、アメリカで、グチャグチャでも不格好でもいいから、自分の気持ちを伝えることがクセになってから、
日本語でも、自分の素直な気持ちを言葉にして、伝えるように変わっていきました。
会話となると途端に姿を消してしまう語彙力で、
擬音語だらけでも、カタコトみたいでも、
完璧じゃなくてもいいから、言葉にして相手に伝える努する。
とくに、相手の素敵だなと思うところとか
心からありがとうって思っている気持ちとかを、
言葉にするようにしていきました。
ちょっと悲しいとか、そういうことも。
すると、ぎこちなくても、変な表現でも、
思いは伝わって、コミュニケーションは深まるんですよね。
こちらが伝えようとすることで、相手が伝える余地もが生まれるから。
そして、やっぱり、
自分の気持ちを無かったことにしないで、素直に言葉に表現しようとした自分への信頼感が増して、心が満たされるんですよね。
だから、私はこれからも、
伝え合うために、
相手のために、自分のために、
グチャグチャでも、不格好でも、
言葉にして伝える。
そんな私でいようと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました😊
Have a good one!