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酒とビンボーの日々 ④奥渋でビンボーウォーク

年の瀬も押し迫ったある日、仕事で渋谷から帰ってきた。
しかも、奥渋と呼ばれるところから。

奥渋とは渋谷の奥の宇田川町などの松濤の下の一地帯のことをいう。

渋谷の奥だけに「奥渋」だなんて。
そんな言い方をし始めたのはここ10年くらいだ。
昔は本当に知る人ぞ知る地域だった。
そこは小金を持っている人たちが集まる隠れ家のようなお店がたくさんある。

僕が大学生のころ、アルバイト先の社長にこのあたりの自宅兼店舗みたいな天ぷら屋に連れて行ってもらったことがある。
もちろん場所は知らない。幾度も角を曲がって見たこともない路地にでた。

そこではもちろん、銀杏の天ぷらなんて初めて食べたし、
きめの細かい雪塩で天ぷらを食べるなんていう経験は初めてだった。
それこそ、それはお店だったんだろうか?という疑問が付きまとった。

大きなアナゴの天ぷらはサクッとふたつに切り分けられて目の前の小皿にその身を重ねて盛られた。胡麻油の香ばしい薫りとその切り口からたちのぼる湯気がまた食欲をそそるのである。
そんな天ぷらを食べながら白ワインのボトルを開けた。
そのワインも恐らく高いものだ。

ワインの喩え方は知らないのだけれど、ブドウの味が濃く、まるで美味しい出汁を飲むかのようなつるりとした感触を覚えている。
飲むことが心地よい、そんなワインがある。

酔いに目を真っ赤にした社長が「シャブリ」と言ってニヤニヤしていたのを思い出す。
僕はそんなワインを飲みまくった。その社長には悪いことをしたと思ったが、まだ20歳を過ぎた若造だ。遠慮なく飲みなさい!と言われたのをいいことにおかわりにおかわりを重ね、この美味いワインをたらふく飲んでしまった。社長とあわせてボトル4、5本は飲んでしまったような気がする。

あとで聞いたところではその社長は男色家だったらしく、
ポンコちゃん無事でなによりだったわね~
なんて事務のおばちゃんから言われたっけ(笑)
そのとき社長は僕に合わせて飲んでしまってベロベロに酔っぱらってしまったのだという。それ以来、ご相伴にはあずからせてもらえなかったな。

あのときで、もう20数年も前になる。

その頃は奥渋なんて言われ方はしていなかった。
近くの坂を上ったところには松濤の「シェ・松尾」の本店があったのは知っていた。そのまた坂下の当時は汚かった鍋島公園で酒を飲みながらウォークマンで音楽を聴いたりしていた。

魚屋が経営する定食屋兼居酒屋みたいなお店や宇田川の暗渠をいくと角打ちのようなお店があったりと少し下町のちょっとのんびりした空気があった。
おしゃれタウン渋谷の少し外れたところが今でいう奥渋というところだったが、今は「小金持ちを誘い出すための罠が仕掛けられた街」という感じが否めなくなった。

そうはいうものの「その罠」にはまりたくて奥渋を徘徊するのがなにを隠そう、貧困民族でもある僕なのである。

うらやましい。嗚呼、うらやましい。

ビフグルマンで高い点数を取り、ミシュランでも星を取っている鮨屋が見える。半地下にあるその店はワイワイと賑わっている。目の前の職人が握っている鮨、それを手渡しで食べてみたい。

クソ、うらやましい。とてつもなく、うらやましい。

和食の店が見える。出汁を引いて、今日はオリジナルのおでんを作っているなんて看板に書いてある。トマトのおでんが美味しいとかも書いてある。削り昆布なんかかけたら美味いだろうな。

ああ、僕といえばこれから松濤への坂を昇り、鍋島公園で100円ショップで買った揚げ塩ピーナッツと焼酎で冬の微睡(まどろみ)へ旅立とうとしているのである。
だが、さすがに夕方6時をこえると刺すように冷えてくる。
ベンチでピーナッツを齧りながら飲む酒は300円くらいで済むが、とてつもなく寒いのが難である(笑)

あまりの寒さに一本飲み終わらず、これからしばらく閉店する東急百貨店をぐるりと回って、東急前に出てくる。全然酔わない。つまらない。つまめない。やっぱり温かい場所で飲む酒が一番だな。だが、それには 金が要るのである。

嗚呼、ひもじい。貧しい。

その温かな部屋の引き戸を引きたい。そして、
あたたかに薫る出汁の匂いを嗅ぎたい。
まずは熱燗でも頼みながらお通しの「手作りくるみ豆腐」なんか食べながら、刺身を注文したいなぁ。そうか、
ならば鯛がいい。養殖でもいいから脂がのった鯛の刺身。湯霜にしてもいい。できれば塩で食べたい。すだちなんかを絞って。

もう、妄想が止まらない。死にかけのマッチ売りの少女のように。





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